【今月号特選記事】財界さっぽろ記者が行く 東西南北2849km・道内選挙区旅日記 Web版(後編)

 10月31日投開票の第49回衆議院議員選挙は、北海道内12の小選挙区に32人が立候補し、比例北海道ブロックには10の政党・政治団体合わせて43人が名を連ね、全20の議席を巡って激しい戦いを繰り広げた。

 きょう11月15日に雑誌版が発売された月刊財界さっぽろ12月号では、衆院選公示後の12日間に道内で起きていた深層情報をお届けする「怒濤の衆院選特集 “半月後でも面白い話”」を掲載。本誌記者らによる緊急座談会や編集部総力取材による激戦の裏側を28本の記事による特大ボリュームでお贈りしている。

 特集では本誌記者がほぼ全選挙区を旅すること2849km、各候補の遊説や選挙事務所の雰囲気などありのままを綴る“旅行記”を掲載した。以下、紙幅の関係で削らざるを得なかった“面白いところ”を含めたWeb版、本日は後編を掲載する。(文中敬称略)



〈Day 6〉10月25月日曜日=札幌市北区・西区管内(2区)

 連日の長距離ドライブに疲弊したこともあり、この日は札幌市内でもっとも狭い2区を回ることに。自民新人・高橋祐介の事務所では、高橋と数年来の知人として秘書を買って出た陣営関係者が応対してくれた。

 自民元職で元農林水産大臣の吉川貴盛が、自らの不徳で議員を辞職。それを受けた4月の補欠選挙は自民が候補擁立を見送った。

 もともと2区内は、札幌の開拓時代にさかのぼる名士の子孫が町内会に残り、市議や道議と密接に結びついてきた。北区・東区の古い街並みではそれらが保守層を形成する一方、地下鉄沿線の新興住宅地には若者や子育て世代が集中。道内一狭い選挙区内で、古いしがらみとのかかわりと空中戦を同時にしなければいけないところ、それが2区だ。

 その点、高橋は豊平区出身で縁もゆかりもない一方、しがらみもない。その点を期待する声はあったが、三々五々、自民地元支部関係者らが回れるところを回る、といった具合で組織だった活動はできなかった。

左写真は北区で遊説する高橋祐介氏(10月25日)。右は北24条駅前で朝街宣に立つ松木謙公氏(10月29日) ©財界さっぽろ

 事務所も活気があるとは言いがたかったが、高橋自身は疲れも見せず至って元気。近隣で街頭演説をしていた高橋の姿も見物したが、足を止める人も少ない中で懸命に走り回っていた。「今回は適わずとも次につながる戦いを」という声が支持者から聞こえてきたが、比例復活もならなかった今となっては“戦後”が気になるところだ。

 続いて、北区麻生にある立憲・松木謙公事務所を訪ねた。かつて呉服店だったとおぼしき古民家風建物で陣営幹部と情報交換。長らく2区で議席を維持し、松木に地盤を譲って以後は連合後援会長も務めた故・三井辨雄の代からこの区での選挙に携わる人物で、12区の幹部同様「そろそろ俺も楽をしたい」といいつつ、今回も采配を振るっている。

松木氏の事務所。かつては呉服屋だったらしい(10月25日) ©財界さっぽろ

 前述の通り、また数字上も高橋の劣勢は戦前から明らかだったことから、立民道連からしても2区は最初から勝ちを計算されてきた選挙区。「全然応援弁士も来ないし、遊説をやってくれる市議も市議会があって来られない時はあるし」と、それはそれで悩みがあるものだ。

 この日は早めに切り上げ、明日は早朝から十勝管内をぐるっと巡ることに。市内を行ったり来たり10kmほど。



〈Day 7〉10月26日火曜日=十勝管内(11区)

 朝5時に札幌を出発し、日帰りの強行日程で11区の取材に回る。

 午前は別の予定をこなし、午後イチで訪ねたのは自民・中川郁子事務所。本誌12月号衆院選特集の通り、新聞記者が中川に名刺を破られる“事件”の現場だ。鼓動を高鳴らせながら虎穴に飛び入らんとドアを開けると、本人は不在。代わりに顔見知りの関係者が複数いてホッとする。

 だが情勢について話し込んでいると、中川本人が突如登場。すわ、緊張の度合いが跳ね上がる。

 実は、地元紙の恐らく中川番の記者もいたのだが、彼女と面識のない本誌記者はどう挨拶したものか、名刺入れを握りしめながら逡巡。すると今度はそこに自民参院議員・長谷川岳が関係者への激励に登場!

 先月号では長谷川が絡んだ記事を書いたばかりということもあって、思わず中川事務所スタッフのふりをすることに。激励の挨拶をする長谷川に拍手などしてやり過ごす。

 中川・長谷川の2人がやおら事務所を出たのを見て、こっそり筆者も退散。そこから車で5分ほどの立憲・石川香織事務所へ。ピンクをキーカラーとして前面に押し出した石川、事務所内もピンク一色の装い。

“事務所スタッフ”らしく長谷川岳氏(右)を撮影。写真左奧は中川郁子氏(10月26日) ©財界さっぽろ

 中川の選挙対策本部が地元有力者をずらっと並べたのに対し、石川陣営は草の根戦術。スーパーの駐車場前で車を停め街頭に立った石川の演説は、政策を語るだけでなく、目に入ったもの、通りがかった人に語りかけるスタイル。自転車通学の生徒に「インスタもやっています!」と話しかける姿が印象に残った。

近くの高校から下校中の高校生にアピールする石川香織氏(右から3番目)(10月26日) ©財界さっぽろ

 帰りは食の宝庫・帯広に来て何も食べられないのは悔しい、と思い、行きつけの豚丼専門店に。大満足で店を出て音更帯広インターから一路札幌へと思ったらすぐに道路情報版を見て愕然とする。「占冠―夕張間20時から通行止め」。この日は正規の通行止めではなく予備日だったのに。豚丼、食べなきゃ良かった……。この日の走行距離は438km。



〈Day 8〉10月27日水曜日=札幌市中央区(1区)、札幌市西区、後志管内(4区)

 各社の中盤情勢調査で騒がしくなってきたのが4区。立憲・大築紅葉が猛然と追い上げているという。早朝に1区立憲・道下大樹の街頭演説を見物したあと、JR琴似駅で立憲参院議員・蓮舫が大築の応援演説に入ると聞いてまず足を運んだ。

たまたま当社の近所で街頭演説中だった道下大樹氏(右)。左は応援演説する参院議員の徳永エリ氏(10月27日) ©財界さっぽろ

 昼前なのに驚くほどの観衆が集結する中「私一人では手が足りない、女性議員が国会には必要だ」という蓮舫のアジテーションはいつも通り堂に入っていた。大築もさすがは元フジテレビ記者。立憲の政策に対する理解が深く、訴えに説得力がある。

 白いジャケットに緑のパンツスタイルはさわやかさをアピール。同じ格好をしたお姉さん2人も同行していた。妹の選挙を家族ぐるみで支えているのだろう。

演説が終わるや否やすごい早さで駆け出して聴衆に支援を訴え、そして戻ってくる大築紅葉氏(10月27日) ©財界さっぽろ

 終了後は小樽市内へ。大築事務所は市の指定歴史的建造物「旧小樽無尽本店」に居を構えている。北洋銀行の前身である小樽無尽の本店として1935年に建設され、その後は北洋銀行小樽支店として営業。だが老朽化や拓銀との合併に伴う店舗統廃合のため2001年に支店は廃止。一度は解体が決まったが、地元の市民有志らがお金を出し合って買い取り、その後は「おたる無尽ビル」として保存、活用されている、花園地区のシンボルだ。

 このビルの3階に位置する大築事務所は、多目的ホールとして使われてきた場所でもあり、広々としている。

 まずは一番奥に座っていた道議OBとしばし情報交換。その後陣営幹部にも話を聞いたが、大築の演説を「まだまだ物足りない」と辛口で評したことには少し驚いた。

「母が紅葉する秋の山を見て(自分の名前を)名付けた」と紹介していた大築氏(10月27日) ©財界さっぽろ

 恐らくはかつてこの選挙区で無敵を誇った鉢呂吉雄(現参院議員)と比較してのこと。自民関係者が日中戦争の八路軍と掛けて“鉢呂軍”と呼ぶほどに強固な組織戦を展開してきたのが4区。要するに理想とするところが高いのだろう。

 続いて訪れたのは自民・中村裕之事務所。通常時の小樽本部事務所をそのまま選対事務所にしている中村だが、入り口には「電話大作戦会場」の張り紙。3度の選挙で積み上げてきた支持層、企業後援会など、中村は道内の他候補に比べても強固な後援会を組織している。そこから集まる名簿も恐らくはすごい数、のはず。

どの陣営でも電話掛けは必須の戦術。「作戦」と付くと高揚感があるのは筆者が男子だからだろうか(10月27日) ©財界さっぽろ

 中に入ると意外なほど静かではあったが、小樽市内を遊説中とのこと、そちらにも人を割いているようだ。応対してくれた小樽担当の秘書とは、激戦を物語るようなリアルな話を含めて情報交換。追い上げられていることをひしひしと感じ、また戸惑っている様子もあった。

 それはそうだろう、中村は郡部を中心に国道整備や高速道路延伸、インターチェンジ改良など、道内では他の選挙区の追随を許さない実績を積み上げてきた。それが故に官公庁OBや建設業界など支援団体がフル回転してきたわけで、その結果が世論調査の結果として返ってこないのだから。本日は76kmの旅。



〈Day 9〉10月28日木曜日=後志管内(4区)、苫小牧市(9区)

 接戦区には各党とも応援弁士が続々と投入されている。28日は午前10時から、4区の後志管内倶知安町に農林水産大臣の金子原二郎が入ると聞き見学に。

 もともと郡部は中村の土俵だが、この2日前、中村の親分・麻生太郎が「ヤッカイドウ米」発言で物議を醸していた。米農家だけでなく農家全般に対する侮辱と受け取った人もおり、中立だった地元農民連盟なども大築に振れたらしい、というのは後から聞いた話。

中村裕之氏(右)がまさにマイクを持った瞬間に暗雲垂れ込め、風が強まり雨が降り出した(10月28日) ©財界さっぽろ

 かくして大臣がわざわざ火消しにやってきたのだが、前段で中村がマイクを持った瞬間から雨が降り出し、瞬く間に豪雨へ変貌。それがみぞれに変わったところで金子がマイクを握り「中村君は雨男だそうで」とカマす。

 普段なら笑いが起きていただろうが、冗談では済まない悪天候に皆、苦笑いだった。その場にいた全員がずぶ濡れとなり、かくいう筆者もレインコートを羽織った程度だったため、ズボンや下着はおろか、一時は防水機能の無い自前のデジタル一眼カメラが動かなくなるほど“浸水”。冷や汗までかいた。

 それを見届けた後は、国道276号線を通って、9区の中心部・苫小牧市へ。夕方に元首相の安倍晋三が自民・堀井学の応援で訪れると聞いたからだ。

 まず向かったのはある労働組合の事務所。9区は室蘭・苫小牧とも民間企業の労働組合加入者が多く、本格的な立民と共産ほかの野党共闘に対するアレルギーは他地域よりも強い。

 一方で選挙戦中盤までの各社世論調査では、野党統一候補の立憲・山岡達丸の優勢が伝えられていたことから、実際のところを知りたかったのだ。

 結論からいえば「心配無用、しっかりと山岡をやっている」と組合関係者は断言した。むしろ「自民候補に票を寄せていくのでは、といったデマが流れて困っている」とした話もあった(本稿特集に別記事として掲載)。選挙も終盤になるとこういった怪情報が乱れ飛ぶのが常。各陣営とも、ある意味それに流され踊らされながら対応していくものだ。

 続いて堀井の事務所にも立ち寄りたいところだったが、事前にアポイントを求めたある陣営幹部は「話すことはない」とピシャリ。劣勢で迎えた終盤戦、応援弁士がことのほかたくさん入っていたこともあり、迷惑をかけると思い自重した。むしろ選挙終盤でも面会、応対してくれる事務所の方々には感謝の念しかない。

元首相・安倍晋三氏(右)の強力な応援むなしく敗れた堀井学氏(左)(10月28日) ©財界さっぽろ

 本日最後は、この日千歳市や札幌市西区についでやってきた元首相・安倍晋三。堀井の危急存亡の秋に駆けつけたのだ。

 立民地元支部関係者と話し込んでいたため、ギリギリになって安倍応援演説の会場である地元大手建設会社の本社駐車場に向かうと、近隣はすでに“安倍渋滞”が巻き起こっていた。

 沿道にも作業服や制服を着て会場に向かう人の長い列が続くため、徒歩で10分ほど離れた大きな駐車場に車を停め、カメラを片手に走る。

 広い広い会場に到着すると、動員も含めた大勢の支持者を前に、上下とも真っ白な服を身に纏った堀井が来場者とグータッチを続けていた。

 相当に疲れたのであろう、半ばうつろな表情で拳を合わせ、頭を下げ続ける堀井。会場を警備するSPを見やると、同じように疲労の色が浮かんでいた。大物、つまり要警護対象者が入ると道警のSPも都度かり出されることになる。激戦区“あるある”を人の顔に見取って帰路につく。ふと車のルームミラーに写る自分の顔を見ると、これまた同じ顔をしていた。この日は267kmを移動。



〈Day 10〉10月29日金曜日=札幌市白石区、豊平区(3区)

 選挙戦も残すところこの日を入れて2日。本日は最激戦区の3区を回る。まず白石区役所庁舎前に立憲代表・枝野幸男が来ると聞いて足を運んだ。

 早めにつくと、野党を応援する市民団体有志による「選挙へ行こう~♪」の生演奏がスタート。2016年の道5区補選で、市民団体を接着剤とした野党共闘が始まって以来、こういうリベラル的な応援は5区内でよく見かけるものだった。それが3区に来るとは珍しい。15分ほど門前の小僧をしていると、だんだん歌詞が頭に入ってきて、何としても投票へ行かなければ、などと思う。もともと選挙の日は「家族で投票に行ってその後外食」(モーニング娘。『ザ・ピ~ス!』より)を心掛けているが。

荒井優氏(左)ほか接戦区の支援で緊急来道の枝野幸男氏(10月29日) ©財界さっぽろ

 そうこうしていると、立憲・荒井優が登場。ほどなく党首の枝野も到着した。テレビでも散々聞いた枝野の応援演説に続き、荒井は父で前衆院議員の聰から“たすき”を受け継ぐ思いを熱弁。筆者にも小さな子どもがいるが、いつかこうして何かを引き継ぐ日は来るのだろうか、と何だかジーンとした。

 その後は相手の自民・高木宏壽の事務所へ。陣営関係者と情報交換している隣では、選対のIT戦略を担うスタッフができたての応援動画を自画自賛している。

 若い実働部隊がどれだけいて動けるかは大事なこと、などと感慨深く思っていると「このあと荒井事務所にも行くんでしょう?」と付き合いのある陣営関係者にバレる。

 続いて高木事務所から車で5、6分ほどの荒井事務所を訪ねると、荒井の父・聰が新聞を読んでいた。

 ほかの陣営で聞いたところによれば、選挙戦途中まではあまり表に出ていなかった聰も、激戦の報にいてもたってもいられず、支持者回りを始めたのだそうだ。

「今や自分の選挙より一生懸命だよ」と荒井選対幹部が笑って話すと、聰は「俺と優、よく間違われるんだよね」と苦笑い。支援者によれば、背格好は全く違うが、演説での言い回しに似た部分があるようだ。

 そんな聰を見て、筆者は「父が出張ってくる選挙」に思い当たる節があることに気が付いた。

「ある別の選挙区でも、お父さんがいてもたってもいられずに前に出てくることがしばしばなんですよ。ただし、それをやるたびに票が減るのが悩みなんです」

 そう伝えると、破顔一笑した聰は「俺はそんなに前に出ないよ」といいながら、道外からの応援弁士を出迎えるべく外出していった。この日は市内のみ16km。明日はいよいよ最終日。



〈Day 11〉10月30日土曜日=千歳市、札幌市厚別区(5区)、札幌市中央区(1区)

 最終日は5区と1区を回る。5区の自民・和田と立憲の池田はともに千歳市から北上して厚別区でフィナーレを迎える。

千歳駅そばを練り歩く和田義明氏(左写真の左)と同じく千歳市内で最後の訴えをする池田真紀氏(10月30日) ©財界さっぽろ

 早朝は千歳市内で2人の遊説をキャッチアップ。その後厚別にある双方の事務所を訪ねた。

 和田事務所では知り合いの若手経営者と偶然鉢合わせ。和田は後援会の若返り、もっと言えば自分の名前で支持者を増やす取り組みを続けている。その1人として奮闘しているようだ。

今回巡ったどの選挙事務所よりも綺麗だった池田氏の事務所(10月30日) ©財界さっぽろ

 次に顔を出した池田事務所では、顔見知りの陣営幹部にこれまでの土産話を振る舞う。途中、支援者が「比例復活はいけそう?」と話していた。結果として池田はそれが叶わなかったが、惜敗率の見込みまで票読みすることは、今回はどの陣営も難しかっただろう。

 ちなみに池田事務所で荒井の父・聰の話をすると「ああ、うちにも激励に来たよ」とのこと。十分、前に出ている、というのは言うだけ野暮か。

赤れんがテラス前での遊説で支持者と固く握手を交わす船橋利実氏(10月30日) ©財界さっぽろ

 最後に訪れたのは激戦区の1区。赤れんがテラス前で街頭演説する自民・船橋利実には参院議員・長谷川岳が応援に。船橋選対の青年部が、TikTokで“少し前に”流行った「きゅんです」の看板を掲げている。若年層と女性票が課題、とされている陣営の健気な努力だ。

参院議員・長谷川岳氏(右)が高木宏壽氏支援を訴える(10月30日) ©財界さっぽろ

 続いては豊平区の中の島駅で同じく最後の訴えをする3区自民・高木宏壽の演説をカメラに収め、最後はもう一度中央区に戻って船橋の狸小路での最終演説を見学。さすが1区だけあって、札幌市内の名だたる経済人も多く詰めかけ見守った。夜の街頭に立っていると、公示日から比べても札幌の中心地ですら肌寒くなったことに気付く。

 こうして、最後は駆け足ではあったが、自らの旅を終えた。残念ながら8区内を訪れることは叶わなかったが、彼の地にもさまざまな思いを抱えて戦う人たちの姿がある。次はぜひ話を聞いてみたい。

   ◇    ◇

 最終日の112kmを足して移動距離は計2849km。公示12日間中11日間で52カ所の街頭演説取材と事務所訪問の間にいただいた名刺は62枚。忙しい最中に対応いただいたことに心からの感謝を申し上げたい。

 31日の投開票を経て、道内は与党の7勝5敗、比例含め全20の議席は公示前の10対10が12対8と与党優勢に変化して幕を閉じた。

 終幕後、筆者が話を聞く限りどの候補も客観的な指標が当てにならない中での肌感覚の戦いは、想像以上に神経を使った、と口を揃えている。

 他方、来夏の参院選を踏まえて、早ければ再来年4月の統一地方選挙に合わせて次の解散か、と見る向きもある。野党第一党は新しい党首を迎えることとなる一方、与党内でも長らく続いた安倍一強からパワーバランスに静かな変化が見られる。

 国民、道民として、居住地の選挙民として、ただの選挙が好きな一人の記者として、次の選挙が待ち遠しい。

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