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Interview

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4期16年、北海道に自信を取り戻せた!掲載号:2019年1月

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高橋はるみ 北海道知事

高橋はるみ知事は2003年に初当選。地域経済活性化、北海道ブランド力向上の旗振り役として、道政を牽引してきた。北海道命名150年という節目の年だった18年を含め、4期16年を振り返った。

総力を結集して試練を乗り越える

――2018年は知事にとって、どのような1年でしたか。

高橋 年初からのトピックスでいえば、2月の平昌オリンピック・パラリンピックでどさんこアスリートが大活躍しました。

それから北海道産ワインがGI(地理的表示制度)に指定されました。これからの北海道農業や食のブランド向上に大変意味があることです。

そして何よりも、18年は北海道命名150年という記念の年で、8月5日には天皇皇后両陛下のご臨席を賜り、式典を開催しました。

その日を含む夏休み期間中、子どもたちの記憶に残る一連の150年事業を実施しました。

そうした中で、9月6日に胆振東部地震が発生しました。

節目の年に、北海道の記録が残る限り一番大規模な内陸地震があったということ。それだけではなく、全道域で電力供給が途絶する、いわゆるブラックアウトが起きました。日本においても初めての経験でした。

そうした非常事態に、道民一丸となって一生懸命に努力をしました。信号がとまっても、気をつけようという気持ちを一人ひとりが持ち、大きな死傷事故もなかったと聞いています。

ガソリンや食料が足りなくなるという生活の不便もありましたが、それぞれの立場で自制して、考えて行動できました。世情不安になることもなく、海外のみなさんから対応を評価されています。

私ども北海道は、150年という節目に経験した試練を、われわれの総力を結集して乗り越えていく。このことが50年後の北海道命名200年につながり、次の世代を支える子どもたちにとって、大変意義のあることと考えています。

――被災地の復旧・復興の現状はいかがですか。

高橋 復旧・復興は一歩一歩、着実に進んでおります。応急仮設住宅の建設も、2期工事が完成の段階です。地元からご要望のあった福祉仮設住宅も、年内の完成を目指しています。お年寄りの方々等の安全・安心な生活も守っていきたい。鵡川高校の学生寮も、応急仮設住宅としての整備のための議論を進めております。

地震では、厚真町を中心に広範囲で土砂崩れが起きました。明治以降で最大といわれる崩落、倒木があり、林業にも大きな被害がでました。

酪農では全道での停電により、搾乳ができなくなる事態が起きました。非常用電源の導入について、国へ要請しながら、道としても支援策を講じたところです。乳業メーカーさんにも働きかけをおこなっています。

――胆振東部地震後、インバウンドが落ち込みました。観光における復興対策を教えてください。

高橋 「ふっこう割」の適用により、海外からのお客様にも来道いただいています。

11月にはタイ・バンコクを訪問し、うれしいエピソードがありました。タイにジャンさんというタレントがいらっしゃって、彼女に「ほっかいどうスマイルアンバサダー」の一人に就任していただいております。

彼女が仲間といろいろ相談をし義援金を自ら集め、道に贈呈いただきました。その場に彼女のファンのみなさんがきていて、大いに盛り上げてくれました。北海道が好きというだけではなく、タイの方々が今回の震災に思いを寄せてくださったことが、うれしかったですね。

民間とJR利用促進組織を立ちあげ

――JR北海道の経営再建、赤字路線廃止問題への対応については。

高橋 これから10年くらい後、すなわち北海道新幹線が札幌延伸後くらいまでに、JR北海道は自立をすることを目指しています。

それまでの間、国と私どもが連携をして、JR北海道を支える、という議論をこれまでしてきました。

いま、補正で予算を計上して、関係団体の方々と協力して利用促進しようと。年内にも組織を立ちあげて、道民だけではなく、道外の方々にしっかりアピールしていきます。

加えて、国と連携して財政支援をおこなうという議論は、2年後の法改正までの間、どうするのか。国土交通省鉄道局との議論、そして道内自治体の代表の市長会、町村会との議論、あるいは沿線自治体のみなさまとの議論を加速化させています。

私の使命は地域おこしの“旗振り”

――2003年の知事選に出馬しました。北海道知事への挑戦は、新しいチャレンジだったと思います。

高橋 03年に道知事にならないかと、町村信孝先生、武部勤先生、中川昭一先生を中心に、お声をかけていただきました。

その頃の北海道は、北海道拓殖銀行破綻の後処理がまだうまくいっていなかっと思います。

北海道開発予算も、大臣がおられて1つの省を形成して予算が計上されていました。それが国交省の1つの局になりました。

道民のみなさんが、これからの北海道は大丈夫なのかと。自信を失っておられた時期だったのかな、と記憶しております。

だからこそ、自前の資源での産業おこしにたけていると思われる経済産業省の役人である私に、お声がけがあったと思っております。

――知事に就任して、どのような思いで、職責に臨まれてきましたか。

高橋 私の目で客観的、中立的に見ますと、その頃の北海道は確かに国からの開発予算が不透明の状況でした。しかし、北海道には世界に冠たる資源があると。1つはいまや当たり前と言われている食であり、一次産業です。

そして、観光産業と、豊かな環境資源があります。今一度、道民の方々と見直して、それを使って地域おこしをやっていこう。その「旗振り」役が私の使命であろうと。そうした強い思いでこれまで知事を務めてきました。

「米チェン!」で北海道米の普及拡大

高橋 私は知事に就任し、北海道米の普及拡大を目指す「米チェン!」運動を推進しました。知事になる前、ススキノなどの飲食店で、「当店はおいしい魚沼産コシヒカリを使用しています」と、わざわざ看板に書いてあるお店を見たんです。札幌のど真ん中で、これはおかしいと思いました。

また、あるパーティーのお土産で農産品を入れてるのはいいのですが、お米は道外産だったこともありました。北海道米は量も品質もよくなってきているのに、寂しさを感じました。

私は道民が北海道のお米を食べる食率を上げようと思い立ちました。当時、59%だった北海道米の食率が、17年は86%に達しています。それだけでも、地域経済の循環につながります。私も先頭にたって行動したのを覚えています。

――北海道米以外でも、知事就任時と比べて、増えている数字もありますね。

高橋 たとえば、道内のインバウンドは03年との比較において、29万4000人から、17年は279万2000人(約9倍)に増えました。

道内港からの道産食品の輸出も、03年の153億円から、17年は674億円(約4倍)になっています。

それぞれのお立場の方々がモチベーションを高めれられ、頑張ってこられた。北海道はどこにも負けない地域として発展できる。自分たちの北海道ブランドというのは、どこよりもすばらしいんだと、道民の方々が自信を持って、この地域の明日を考えていただけるようになってきました。

この15年間、知事を務めてきた中で、それが何よりうれしいことなんです。

――本日は大変お忙しい中、ありがとうございました。

=ききて/前田圭祐=