【さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー】第21回・中島みゆきの歌詞にある喫茶ライフがあった 北大通㊤

 月刊財界さっぽろ2020年12月号より、新連載「さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー」が始まりました。

 筆者は札幌市の出版社「亜璃西社」社長でエッセイストの和田由美さんです。和田さんはこれまで「和田由美の札幌この味が好きッ!」といったグルメガイドブックや「さっぽろ狸小路グラフィティー」「ほっかいどう映画館グラフィティー」といった、新聞・雑誌等のエッセイをまとめた書籍を多数刊行されています。

 今回の連載では、札幌市内の「通り(ストリート)」や「区画」「商店街」「エリア」などの「マチナカ」(賑わいのある場所)を、毎月1カ所ピックアップ。その場所について、名前の由来や繁華街となっていく上での経緯、さらに現在に至るまでの変遷といった歴史と記憶を綴ります。

 今回は第21回「中島みゆきの歌詞にある喫茶ライフがあった 北大通㊤」です。

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 いまだ路面電車が市内を縦横無尽に走っていた1960年代の終わり頃、JRの線路を跨ぐ陸橋から北18条辺りまでの西5丁目線が、「北大通」と呼ばれた。大昔は大学通ともいわれたそうで、北大生の居住地が北へ延びると共に、北18条以北も指すようになったという。

 当時の私は、道内では難関といわれた藤女子短大英文科に入学したばかりだったが、確かな目的意識も無く戸惑っていた。というのも、南高1年の時、大病を患って2カ月近く入院。授業についてゆけなくなり、勉強を捨て、読書三昧と名画座通いに明け暮れた。高校3年になると、クラス中が受験で血眼となるが、卒業後に何をしたいのか明確でない私は、とりあえず学生であり続けるために付け焼刃の勉強で大学を受験した。

 運よく入学してみたものの、男兄弟で育った私には、女子大というのが馴染めなかった。そんな時、アナウンサー志望の同級生と一緒に北大放送研究会へ入部したのが、学生時代及び喫茶店通いの始まりである。

 放送研は、北大正門を抜けたクラーク会館近くの「文連会館」が活動場所だった。いつも会を終えると、近くの喫茶店で先輩たちと雑談するのがお決まりで、その時に初めて訪れたのが、正門前の自転車店左隣にあった喫茶「ライフ」(北9西4)である。中島みゆきのアルバム『あ・り・が・と・う』に収録された曲「店の名はライフ」に登場し、1階が喫茶、2階は紫煙がもうもうの雀荘だった。元「旅と鉄道」の編集長で紀行作家の芦原伸さんは、その2階の上の屋根裏部屋を仮住まいに、1階の喫茶でアルバイトしながら北大文学部のロシア学科に通っていたそうだ。

 この店は、後に「ニューライフ」と改名。往時は6000冊もの漫画本を揃え、別名「北大まんが図書館」とも呼ばれ、他の追従を許さなかったという。ここは91年に閉店したが、翌年には札幌駅近くの国際ビル地下でうどん店「味処あずま」として、営業を再開している。自転車店はやがて文具店に変わり、その後、92年に取り壊され、ホテル「北栄館」を経て今はマンションが建つ。

 当時、北大正門の並びにあった古書店「南陽堂」の左隣角で営業していた、瀬戸義則・美智子夫妻が67年に開業の喫茶「ドルフィン」(北8西5、現セイコーマート)も記憶に残る。学園紛争がクライマックスを迎えた69年11月には、北大封鎖の解除で道警機動隊と学生が店の前で激突。かつてのインタビューで美智子さんが、「打ち込まれた催涙弾の煙で、1週間も目が痛かったです」と話していたことが忘れられない。道路拡張の立ち退きで02年に東区(北14東4)へ移転し、娘さんが中心となり「カフェ ドルフィン」を開店。が、この店も2020年に閉めたという。

 同じ北8条の少し西寄りの一角には、クラシック喫茶「コンサートホール」(北8西4)があり、北大オーケストラのメンバーやクラシック好きが常連だった。もちろん聴くのがメインだが、室内楽のコンサートを開き、音楽好きの談話室としても活用された。

 このほか正門前には、私が72年に創刊したばかりのタウン情報誌「月刊ステージガイド札幌」を快く取り扱ってくれた「北海楽器」、新刊の書店「金門堂」などが建ち並んでいた。

 そこから少し北上して北10条まで進むと、北方や沖縄関係などの学術書をはじめ、郷土史の資料が豊富な古書店「サッポロ堂書店」(北10西4)があった。今はもう閉じてしまったが、北海道在住の作家たちが史料を収集する際には欠かせない店だった。右横の中通りには、SFやミステリーも扱う「薫風書林」が遅れて開店したが、ここは今もネット販売のみで営業を続ける。蛇足だけれど、かつてこの右隣に女性オーナーの喫茶「朱蔵」があり、手造りの定食が美味しかったっけ。

 それにしてもこの界隈は、老舗の筆頭「弘南堂書店」(北12西4)をはじめ、「いちまる書店」(北10西4)や「十一条書店」(北11西4)、など、昔から古書店が多かった。なかでも弘南堂の高木庄治・庄一さんには、私のグラフィティーシリーズ第1弾『さっぽろ喫茶店グラフィティー』の制作時に、希少な喫茶店のマッチラベルを撮影させて貰うなど、とてもお世話になった。この本が版を重ねていなければ、その後のグラフィティーシリーズは世に出ていなかったろう。

 また、この辺りの喫茶店と言えば、思い出されるのが「レンガ家」(北15西4)。ススキノでブランコのあるバー「ディズニー」を経営していた桝田徳寿さんの店で、ブレンドをしっかりドリップで淹れて飲ませてくれた。桝田さんは、札幌が舞台の大泉洋主演の映画「探偵はBARにいる」で、寡黙なマスターを演じた俳優でもある。今はワンコインバー「かまえ」(南2西6)をビジネスホテルの1階で経営していて、夜な夜な映画好きや文化人などが集う。

 さて、次回は北18条界隈を振り返りたいと思う。