【さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー】第19回・世界の黒澤明監督がかつて愛した札幌駅前通【喫茶編】

 月刊財界さっぽろ2020年12月号より、新連載「さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー」が始まりました。

 筆者は札幌市の出版社「亜璃西社」社長でエッセイストの和田由美さんです。和田さんはこれまで「和田由美の札幌この味が好きッ!」といったグルメガイドブックや「さっぽろ狸小路グラフィティー」「ほっかいどう映画館グラフィティー」といった、新聞・雑誌等のエッセイをまとめた書籍を多数刊行されています。

 今回の連載では、札幌市内の「通り(ストリート)」や「区画」「商店街」「エリア」などの「マチナカ」(賑わいのある場所)を、毎月1カ所ピックアップ。その場所について、名前の由来や繁華街となっていく上での経緯、さらに現在に至るまでの変遷といった歴史と記憶を綴ります。

 今回は第19回「世界の黒澤明監督がかつて愛した札幌駅前通(中編・喫茶編Ⅱ)」です。

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 活字の世界へ足を踏み込んで半世紀近くになるが、1970年代初め、2年ほどOL生活を送ったことがある。鬱々とした日々の救いは、ランチタイムに喫茶店でコーヒーを飲みながら本を読むひと時だった。

 そんな時に立ち寄った一軒が、和田義雄さんが、中央署の前で経営していた喫茶「サボイア」。店にはオーナーの著書『札幌喫茶界昭和史』が置かれていて、それが当時の私のバイブルとなった。知らない店が多かったが、なかでも印象的だったのが「紫烟荘」(南3西4)で、札幌駅前通の東向き、昔の明治屋真向かいにあったという。

©財界さっぽろ

 1951(昭和26)年に札幌を舞台に撮影された黒澤明監督の映画「白痴」を初めて観た時、主演の森雅之が喫茶店に入るシーンがあり、ガラス窓に貼られた「紫烟荘」の文字に気がつく。その店名こそ、先の札幌喫茶界昭和史で知った有名な喫茶店だったのである。65年に閉店してしまったから、私にとっては幻の店で、スクリーンの映像で店内を眺められ、とてもうれしかったもの。

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 さて、札幌駅前通に面した店は数多いが、今回は大通公園から南側の通り沿いにある店をピックアップしながら、よもやま話をしてみよう。

 大通公園3丁目の北側に建つ大通ビッセ(旧拓銀本店)2階には、コーヒーの旨さで知られる「徳光珈琲大通店」がある。オーナーの徳光康宏さんは、東京のスペシャルティコーヒー専門店の草分け「堀口珈琲」で修業。2005年に石狩町にある祖父母の持ち家(現・石狩本店)で、焙煎工場を開いて独立した。この大通店は、2010年にオープン。片側が全面ガラス張りで天井が高く、陽がさんさんと降り注ぐ中、ゆったりとコーヒーを楽しめる。

 徳光さんが祖父母の建物でスタートしたのに対して、祖父が長らく営んだ専門店から名を継いだのが、駅前通から少し離れた「丸美珈琲店」(南1西1)シャルティコーヒーに魅せられ、08年にコーヒーソムリエ北海道第1号の資格を取得、今も仕入れのために世界の産地を巡る。私はこの2人と、前回に紹介した96年から発寒で「工房横井珈琲」を営む横井力さんの3人を、札幌のコーヒー界におけるスペシャルティコーヒーの“三羽烏”と秘かに呼んでいる。

 駅前通から仲通りに入ったパレードビル1階で、一世を風靡したのが「ホールステアーズカフェ」である。宮越屋珈琲の総帥・宮越陽一さんが、バブル期の87年に開店し、設計は喫茶の名店づくりで定評のある今映人さんが手掛けた。

 カウンターとボックス席が、深緑色の石材を使った壁で仕切られ、横長の店内にはいつも静謐な空気とBGMのジャズが流れていた。残念ながらこの店舗は19年1月、33年の歴史にピリオドを打ったが、ここで修業後に独立した、今を時めく若手三人衆のことも書き留めておきたい。それが「板東珈琲」(大通西11)の板東修市さん、「ミンガスコーヒー」(南1西1)の川手元弘さん、「CAFÉ early」(南2西24)の小林久さんの2人である。

 人気店のホールステアーズカフェは、目も回るような忙しさで、余りの過酷さに「この店で1年以上働くことが出来れば、どこでも通用する」と言われたほど。その激務に耐え、コーヒー道を突き進んだ3人は、ほぼ同じ世代。しかも、3軒とも、ネルドリップで丁寧にコーヒーを淹れ、どの店も優劣をつけがたいほど旨い。これほど優れたカフェが、次世代によって続々と生まれていることを、札幌人は誇って良いと思う。

 横道にそれたが、さらに南へ進むと左手に見えたのが、「千秋庵」(南3西3)の旧ビル。70年代の旧ビルは1階が店舗で、2階がレスラン、半地下に「ビエンナ」という名の小さな喫茶店があり、穴場だった。また、クリスマス時期になると、冬服を着た男の子と女の子が、いつも1階のショーウインドーを覗いている。日が暮れているのに子どもだけとは困ったものと思ったが、後から人形と気づき苦笑したことを思い出す。

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 その斜め向かいにあるシルバービル(南3西4)地下1階には、今や伝説の喫茶「どッコ」が、かつて入居していた。80年代に花咲くサブカルチャーの先駆けともいうべき店で、遊び心の旺盛な小助川克顕さんが店主だった。彼を慕って、「ウィークエンド(後のウエス)」代表の小島紳次郎さんをはじめ、いつも若くて元気な若者たちが集まった。小助川さんは今もご健在で、4年前に「米寿をお祝いする会」が開かれ、昔の常連客が数多く参加した。

 それほど通りには、思い出が詰まっている。と同時に、この街の通りを彩る数々の喫茶店には、未来の街文化を切り開く志の高い店主たちが居ることも記しておきたい。