【さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー】第17回・世界の黒澤明監督がかつて愛した札幌駅前通【前編】

 月刊財界さっぽろ2020年12月号より、新連載「さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー」が始まりました。

 筆者は札幌市の出版社「亜璃西社」社長でエッセイストの和田由美さんです。和田さんはこれまで「和田由美の札幌この味が好きッ!」といったグルメガイドブックや「さっぽろ狸小路グラフィティー」「ほっかいどう映画館グラフィティー」といった、新聞・雑誌等のエッセイをまとめた書籍を多数刊行されています。

 今回の連載では、札幌市内の「通り(ストリート)」や「区画」「商店街」「エリア」などの「マチナカ」(賑わいのある場所)を、毎月1カ所ピックアップ。その場所について、名前の由来や繁華街となっていく上での経緯、さらに現在に至るまでの変遷といった歴史と記憶を綴ります。

 今回は第17回「世界の黒澤明監督がかつて愛した札幌駅前通(前編)」です。

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 JR札幌駅の南口を起点に中島公園まで続く「札幌駅前通」は、今も昔も“街の顔”ともいうべきメインストリートだ。

 かつて黒澤明監督が札幌を舞台に撮った映画「白痴」(1951年)には、しんしんと雪の降る中、駅前の通り沿いに美女の肖像が飾られた写真館や理髪店、土産品店など戸建ての商店が軒を並べるさまが、しっかり映し出されていた。

 その頃は“停車場通り”と呼ばれたそうで、正面に飾り窓のある美しいルネッサンス様式の3代目駅舎が建ち、正面左手には八角ドームが存在感を放つ「鉄道管理局」(16年〈大正5〉築、56年焼失)があった。

 シャンシャンと鈴の音を鳴らしながら走る馬そりと共に、人口がまだ30数万人という戦後の札幌はこうだったのかと映像から教わり、ノスタルジックな気分に浸れたものだ。

 79年10月初旬から鵡川町(現むかわ町)ほかで「影武者」の映画ロケが行われ、黒澤明監督にお会いする機会を得た。当時の私はタウン情報誌を営んでいて、ある朝突然、東宝映画の宣伝部の方から電話があった。「黒澤監督が、要らない時に記者を呼び必要な時には呼ばないと怒っているので、現地へ行って欲しい。午後からは東京や関西の記者が来るので、それまでのつなぎで…」と言うのだ。

 まだ若かった私は、それは大変と用意されたタクシーに飛び乗り、ほかの地元記者と一緒に苫小牧経由でロケ地へ向かった。到着後、慣れぬカメラを持ってウロウロしながら戦国武将の信長(隆大介)と家康(油井昌由樹)を眺めていると(監督は衣装を身に着けた二人を見せたかったらしい)、やがて本州から芸能記者が大挙して到着。記者会見が始まった。

 その時の余談で黒澤監督が札幌の街について語り、「僕が『白痴』を撮った頃の札幌は、駅前に降りた時から個性的で魅力ある街でした。それが今は、どこにでもある都市と同じになってしまって…」と嘆かれていたことが忘れられない。

柔らかい光がこぼれる店内が懐かしさを誘う、琴似エリアの名喫茶「ラ・トゥール」 ©財界さっぽろ

 ともあれ、人々に長く愛されていた3代目駅舎は、老朽化で取り壊されてしまった。野幌森林公園にある「北海道開拓の村」の入口は、この駅舎の外観を縮小して復元したものである。

 次の4代目駅舎は地下1階、地上4階の鉄筋ビルとなり、52年12月に開業。地下東側には、札幌初の地下街となる「ステーションデパート」が誕生した。当時の地図を眺めてみると、喫茶店やラーメン店などの飲食店だけではなく、理美容室、玩具店、貴金属店など多種多様。当時は地下街が珍しく、間違ってステーションデパートに入り込み、出口がわからず地上へ出るのに往生した地方出身者も少なくなかったという。

 同じ年、地下の西側には、映画館「テアトルポー」がオープン。狸小路に全国初の地下劇場「帝国地下劇場」を誕生させた天野興業が、これまた全国初の駅地下映画館として世に送り出した。「テアトル」とはフランス語で「劇場」を意味するが、それに汽車ポッポーの「ポー」を合わせたというから愉快だ。その後、地下鉄建設工事のために休館し、72年に誕生する「札幌駅名店街」地下2階で新装オープン。当時は料金格安の1本立ての名画座だったこともあり、列車待ちの客をはじめ、学生や若い映画ファンなどにとても愛されていた。

 駅前のデパートと言えば、昭和生まれの私が、即座に思い浮かぶのは「五番舘」である。札幌興農園を前身に1906年(明治39)、“札幌初の百貨店”と銘打ち、開店した。電話が5番だったので、その名が付いたといわれ、横浜西洋館を模した赤レンガ造りが人気を博した。市民の間では、「三越は見る店、丸井は遊ぶ店、五番舘は買う店」とまでいわれ、庶民的な値段で繁盛したという。

 この五番舘が、装いも新たに「五番館西武」となったのは、1990年(平成2年)のこと。既存のA館とLOFTが入った新しいB館の間にある仲通りが、敷石までレンガ造りで統一され、緩やかな縁石のカーブと共に新しい魅力を生み出していた。1階の喫茶「OLD&NEW」のガラス窓から外を眺めると、雪降る日も雨降る日も黄昏どきにはガス燈が灯る、映画のワンシーンのような素敵な情景が見られ、まるで見知らぬ外国にいるような気分になれた。

 しかし、7年後には西武百貨店と合併して社名を「札幌西武」に変更。長い間、市民に愛されていた「五番舘」の名前は消える。そして09年10月、札幌西武は閉鎖となり、興農園時代から100年余りもの長い間、市民に親しまれてきた五番舘は、札幌西武の時代をもって完全に姿を消したのである。

 ところが、その往時の仲通りが、11年に大ヒットした大泉洋主演の映画「探偵はBARにいる」のワンシーンとなって残されている。この作品は、札幌在住の人気ミステリー作家・東直己の原作を基に、脚本も古沢良太と共同で担当した札幌出身の須藤泰司プロデューサーが長年温めていた企画で、橋本一監督とコンビを組み、満を持して映画化。設定では、ススキノ「ラーメン横丁」を舞台に繰り広げられているはずの乱闘シーンに、なぜかガス燈が煙る札幌西武の仲通りが使われていた。

 今となっては貴重な映像なので、機会があれば、ぜひ確かめてみて欲しい。