【財界さっぽろ編集部総力取材】10/31投開票・衆院選道内“最深”情勢(4)10区・11区・12区

 財界さっぽろオンラインでは、公示中の第49回衆議院総選挙について、4回に分け、北海道内12の小選挙区の終盤情勢をお届けする。今回は道10区、11区、12区について。

 以下、文中すべて敬称略。顔写真や各候補の訴えは公式WebサイトやSNSなども確認のこと。現在行われている期日前投票、31日の投票日に向けてぜひとも参考にされたい。

(文中の政党略称=自民→自由民主党、立民→立憲民主党、公明→公明党、共産→日本共産党、国民→国民民主党、社民→社民党、れいわ→れいわ新選組、N党→NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で)

   ◇    ◇

〈10区〉=夕張市、岩見沢市、留萌市、美唄市、芦別市、赤平市、三笠市、滝川市、砂川市、歌志内市、深川市、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、浦臼町、新十津川町、妹背牛町、秩父別町、雨竜町、北竜町、沼田町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、初山別村、遠別町、天塩町

神谷 裕(かみや・ひろし)53歳 前職(1期)立民公認、社民道連合支持
元衆院議員秘書、元日本かつお・まぐろ漁協職員
https://kamiya-hiroshi.jp/

稲津 久(いなつ・ひさし)63歳 前職(4期)公明公認、自民・大地推薦
公明道本部代表、元厚生労働副大臣
https://inatsu.com/

「私は与党から随分評価をされている」

 10月19日の公示後第一声。立民公認・神谷裕がこう話すと、集まった支援者の顔には思わず笑みがこぼれた。

 同日夕方、公明代表の山口那津男が道内唯一の小選挙区候補・稲津久応援のため来道。美唄・砂川両市で街頭演説を行った。すでに選挙戦最終盤のような迫力で「勝たせてください!」を連呼すると、その後も22日に来道の首相・岸田文雄を始め続々と大物が投入されてきた。

 山口はこれに先立つ同2日、そして本稿執筆翌日の28日にも来道。これだけ短期間に党代表が“親征”を繰り返すのは、公明の小選挙区候補9人の中でも稲津がとくに苦戦を強いられているからだ。

 10区は小選挙区制移行後、旧民主党の小平忠正が“王国”を築き、自民候補は全く歯が立たなかった選挙区。そこへ目を付けた公明が、地元・芦別市出身道議で09年に衆院比例道ブロックへ転出していた稲津を12年衆院選でくら替えさせた。

 この際、自民10区支部は中選挙区時代に自民代議士として確固たる地盤を築いた渡辺省一の子息で、当時岩見沢市長だった孝一の擁立を求め、猛反発した。

 支部と公明との折り合いがつかなければ、自公の道内での選挙協力体制が崩れる。最後に自民本部が示した落としどころが「渡辺の比例道ブロック単独1位」だった。以降12年・14年・17年と過去3度、支部は渡辺の擁立を模索しつつも、最終的にこの体制は維持されてきた。

 他方、自民の内規で比例単独での上位優遇は2度まで、と決められている。17年衆院選では、渡辺の上位優遇がなければ稲津の選挙区当選はおぼつかないとする公明の強い要請もあり、それを覆して3度、優遇された。

「基礎票は3万票ほど相手が上回っている」と公明関係者が認めるこの選挙区で、稲津が3度勝利を得てきたのは、渡辺を比例上位で優遇することと表裏一体だった。

 ただ昨年11月、自民10区支部総会で稲津の支持を正式に決めた際、渡辺は「党の決定を受け入れる」と発言。自民支持層や支部関係者の目にそれは、比例優遇を諦めたものと映った。

 その後曲折あったが、首相が渡辺と同じ宏池会領袖の岸田に代わり、公明の4たびの猛プッシュもあったことで4度目の上位優遇が決まった。公示日前日、10月18日夜のことだ。

 とにもかくにも、体制は4度維持された。だが「これでようやく前回のスタートラインに立っただけ。決まるのがあまりに遅く、むしろホッとして緩む自民支持層もいる。この体制で長らくやってきた弊害として、自民候補の名前を書きたくても書けないならと崩壊した支部すらある中、最大出力で支援できるかは……」と地元自民関係者は支援の効果に疑問符を付ける。

 一方の神谷は、前回からさらに上積みを狙う要素を加えた。空知農民政治力結集連絡会議が神谷に対し、前回の「支持」から「推薦」に支援を格上げしたからだ。

 冒頭の神谷の第一声では、同会議議長で北海道農民連盟委員長でもある大久保明義も街宣車に登壇し「勝つぞ」の三唱。「支援を格上げしたからには、それだけの結果を出さなくてはいけない」(神谷陣営関係者)と意気込み、草の根レベルで支持拡大を行ってきた。

 道内の農民連盟組織でも“不偏不党”を標榜、道議会の組織内候補も中間会派に所属させている農連がここまで肩入れするのはなぜか。専業の大規模経営農家が道外に比較して多いとされる道内だが、米どころの空知管内は畑作や酪農・畜産が主の他の管内と比べて農地集約や効率化が進んでおらず、それが故に厳しい経営を迫られる農家が多いからだ。

 昨年来のコロナ禍で“米あまり”も発生。干ばつに見舞われた今年の道内だが水田に大きな影響はなく豊作の一方、ホクレンが米農家に渡す先渡し金「概算金」は大きく落ち込んだ。

「政府の米対策の行方を注視してきたが、期待できる内容とは言えなかった」(農連関係者)と語っており、政権への反発は解消されていない。批判票の受け皿として、前出の小平の秘書として、立民きっての農政通という評価を受けてきた神谷はうってつけの存在だ。

 そうしたことから、マスコミ各紙や政党が行った公示後中盤までの調査でも「横一線」「激しく競り合う」との評が並ぶ。まさにがっぷり四つ、勝負は投開票日当日、投票箱のフタが閉まるまでまったくわからない。


〈11区〉=帯広市、音更町、士幌町、上士幌町、鹿追町、新得町、清水町、芽室町、中札内村、更別村、大樹町、広尾町、幕別町、池田町、豊頃町、本別町、足寄町、陸別町、浦幌町

石川 香織(いしかわ・かおり)37歳 前職(1期)立民公認、社民道連合支持
立民青年局長代理、元日本BS放送アナウンサー
https://ishikawa-kaori.net/

中川 郁子(なかがわ・ゆうこ)62歳 元職(2期)自民公認、公明・大地推薦
元農林水産政務官、元三菱商事社員
https://nakagawa-yuko.jp/

 全国で唯一の女性同士の一騎打ち。どちらも政治家の妻で、聖心女子大OGというおまけつきだ。自民党・中川郁子と立憲民主党・石川香織の戦いは、全国的に注目を集めている。

 石川は元衆院議員・石川知裕との二人三脚での選挙戦。中央から応援弁士を呼ばず、草の根選挙を展開。個人演説会も重要視している。

 選挙中、自民陣営は「与党政治家がいないから国からの予算が減った」と流布。石川は具体的な数字を示し、予算が増えていることをアピールし、そうした声に真っ向から対峙する。

 一方、中川は背水の戦い。こちらは対照的に、知事の鈴木直道や農業界トップらがマイクを握る。そうそうたる顔ぶれが、中川支援を訴えている。さらに、長年にわたり敵対関係にあった新党大地代表・鈴木宗男の支援も受ける。大地支持者が「中川」という名前をどれだけ投票用紙に記入できるのか。

 現時点では、石川が頭1つ抜けだしている。


〈12区〉=北見市、網走市、稚内市、紋別市、猿払村、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、礼文町、利尻町、利尻富士町、幌延町、美幌町、津別町、斜里町、清里町、小清水町、訓子府町、置戸町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、興部町、西興部村、雄武町、大空町

川原田 英世(かわはらだ・えいせい)38歳 新人 立民公認、社民道連合推薦
元網走市議会議員、元衆院議員秘書
https://eisei-kawaharada.net/

武部 新(たけべ・あらた)51歳 前職(3期)自民公認、公明推薦
農林水産副大臣、元衆院議員秘書
https://takebe-arata.com/

菅原 誠(すがわら・まこと)48歳 新人 共産公認
共産北見地区委員長、元京セラ社員
https://twitter.com/sugawara_makoto

「朝早くから集まっていただきありがとうございます。これから宗谷管内、行ってきます!」

 自民公認の武部新は、元党幹事長を務めた父・勤の地盤を引き継ぎ、道12区でこれが4度目の選挙となる。

 公示翌日の20日朝、オホーツク管内と宗谷管内の分かれ目である枝幸町音標(おとしべ)のコミュニティセンター前には、暴風雨にもかかわらず20人ほどの支持者が集合。10分ばかりの挨拶に聞き入り、街宣車に乗り込む武部を見送った。公示2日目にこの地から宗谷管内を巡るのが毎回の恒例なのだという。

 日本一広い選挙区内に道議以下数多くの地方議員、地元秘書と無数の後援会が存在。相手のあることだが、選挙のたびに得票数、得票率を伸ばし続けてきた。誤解を恐れずに言えば道北の僻地、悪天候の早朝ですらこれだけの人を集めることが、その強固さを物語る。

 総裁選では「党風一新の会」で若手議員のとりまとめ役の一人として存在感を発揮。岸田内閣のもとで党総務会長に就任した福田達夫の代わりに、代表世話人となった。「4期目からは積極的に活動していきたい」と以前語っていたが、その通りの行動力を見せた。党農林部会などで汗をかいたこともあり、農林水産副大臣にも就任。党の将来を担う人材として期待されている。違う角度から見れば、選挙のたびに当落を気にする存在ではない、と党内で認知されているのだ。

 武部の強固な地盤に対して、過去3度にわたり野党系勢力はその影も踏むことができなかった。自民への政権交代が起きた2012年は、父・勤に土を付けた松木謙公が一敗地に塗れ、14年は北見市議だった水上美華も敗北。そして17年は立民と旧希望の党への分裂騒ぎの中、道内では少数派だった希望を選んだ水上が陣営にまとまりを欠いて再び破れた。14年、17年は野党の票をすべて合わせても武部の票を下回った。

 そうした状況もあり、立民地元支部による候補者選考は漂流の一途を辿った。元国会議員やその候補者、地元自治体議員、地元出身スポーツ選手などさまざまな名前が浮かんでは消えていった。

「たとえ勝てずとも骨を埋める覚悟で、何度か出てもらえる候補を」というのが、地元連合関係者を始め共通の認識。だが落選後の扱いなどは細部まで詰めることができず、時間だけが過ぎていった。

 今年の初夏ごろから地元支部は道連に候補擁立を要請。道連サイドから、一端は元松木謙公秘書で札幌市北区道議の山根理広の名前も上がったが、山根が落選後の次期道議選で北区に“出戻り”を検討するプランが表面化すると、各区関係者や山根の後援会が総じて反対し、すぐに頓挫。代わりに候補として決まったのが、網走市議の川原田英世だった。

 網走出身の川原田は元参院議員の小川勝也、前衆院議員の山崎摩耶秘書を経て15年の網走市議に出馬、初当選を果たし、2期目の途中だった今回、手を挙げた。

 将来的な国政志望があることは地元関係者の間で以前から知られており、一時期はれいわ新選組からの出馬も取りざたされていたが今回、立民から晴れて国政へ挑戦することとなった。

 公示後はコロナ対応、地方分散型社会の実現などを訴えて選挙区内を懸命に回っている。

 ただ、19年に北見市で道議が当選するまで、管内に道議はゼロ。自治体議員の数も組合員数もどんどん少なくなり、足がかりは失われる一方。立民候補が決まらないことに業を煮やし、共産は5度目の衆院選出馬となる菅原誠を擁立。野党共闘も行われなかった。

 立民・川原田陣営はすでに、どう「次の選挙につなげるか」が焦点となっている。「ほかの選挙区次第だが、何とか比例でもバッジを付けられれば……」と願うが、果たして――。