【さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー】第11回・4丁目十字街は市内最大の繁華街だった(上)

 月刊財界さっぽろ2020年12月号より、新連載「さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー」が始まりました。

 筆者は札幌市の出版社「亜璃西社」社長でエッセイストの和田由美さん(写真)です。和田さんはこれまで「和田由美の札幌この味が好きッ!」といったグルメガイドブックや「さっぽろ狸小路グラフィティー」「ほっかいどう映画館グラフィティー」といった、新聞・雑誌等のエッセイをまとめた書籍を多数刊行されています。

 今回の連載では、札幌市内の「通り(ストリート)」や「区画」「商店街」「エリア」などの「マチナカ」(賑わいのある場所)を、毎月1カ所ピックアップ。その場所について、名前の由来や繁華街となっていく上での経緯、さらに現在に至るまでの変遷といった歴史と記憶を綴ります。

 今回は第11回「4丁目十字街は市内最大の繁華街だった(上)」です。

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 札幌に初めて路面電車が開通したのは、1918年(大正7)のこと。当初は「札幌電気軌道株式会社」の経営だったが、1927年(昭和2)には、札幌市が軌道事業を買収して市営化した。市電の始まりは、「札幌駅前」を起点に「すすきの」まで走る「西4丁目線」。途中の停留場「西4丁目」は当時、「三越前」(65年に名称変更)と呼ばれていた。

 京屋呉服店だった角地に32年、「三越札幌支店」が誕生以来、「4丁目十字街」は市内最大の繁華街として隆盛を誇る。この一角は、2006年(平成18)に札幌駅ステラプレイス前に抜かれるまで道内一、地価が高かったのである。

 ちなみに、私は札幌のネイティブ(その土地で生まれ育った人)ではない。小樽生まれで、幼稚園と小学校は羊蹄山麓の倶知安町で通い、父の転勤により札幌の中学に転校。昭和30年代後半のことで、教科書を買いに三越の南向かいにあった大型書店「富貴堂」を訪れ、余りの広さに度肝を抜かれた。1階だけでも夥しい数の本が並び、2階は教科書、3階は楽器売り場と記憶する。

 私が育った田舎の本屋では、長く立ち読みすると首にネッカチーフを巻いたオバサンがハタキで追い払いに来て、おちおち読んで居られなかった。が、都会の本屋ではそんな人が見当たらず、好きなだけ読めそうなので嬉しかったもの。

 「富貴堂」の左隣りにはパン屋の「ロバパン」があり、昔は「ロバでリヤカーを引きながらパンを売り歩いた」ので、その名がついたと親戚の叔父さんに教わった。富貴堂の裏手にはコマツ靴店や丸美帽子店があり、大人の女性ファッションの最先端が並んでいた。

 三越の南東には、読売新聞社北海道総局や古本の「一誠堂」、新刊書の「維新堂」などがあり、ここから150mほど南へ歩くと、刃物店や家具店、食堂など数多くの専門店が軒を連ねる商店街の狸小路に辿り着く。何もかもが眩しく、4丁目の停留場から市内に張り巡らされた市電のネットワークの凄さにも、頭がくらくらした。

 というのも、昭和30年代後半から昭和40年代前半までの札幌は、市電の全盛時代。例えば、「一条線」は一条橋から頓宮前や〇井前、その後は西4丁目を通って円山公園の終点まで続いた。ほかにも路線は多々あり、市電は「市民の足」として大活躍していたからだ。

 しかし、72年の「冬季オリンピック札幌大会」を機に、街は変貌を遂げる。71年11月、新設された地下商店街は、南北に走るポールタウンと東西に走るオーロラタウンがL字型に結ばれ、デパートや各ビルの地階にも出入り口が設けられた。これにより、各ビルの地下と4丁目十字街が繋がった。

2021年秋の4丁目十字街あたり ©財界さっぽろ

 同年、三越の西向かいに新築されたのが、日の出ビル。地下1階に同時オープンした「高級喫茶ひので」(現「caf'eひので」)は、店主・戸澤晶子さんの母親が高級喫茶として開いた。今も入口上方の看板に“高級喫茶”の文字が残され、レジそばで迎えてくれる彫刻「風船を持つ女の子」が可愛らしい。かつては年齢層の高い客が多かったが、最近は若い人たちの姿も見られ、昭和レトロな佇まいが支持されている。

 次は、三越の南西向かいにオープンしたファッションビル4丁目プラザと共に71年、地下2階に誕生した喫茶「西林」。その歴史は、現オーナー廣川雄一さんの父親が、36年に喫茶「銀の壺」(南1西5)を前経営者から譲り受けたのが始まり。この店舗は戦争の影響で閉めたが、戦後間もなくの46年、現・4プラの場所で再開したのが喫茶「西林」。店名は、「『西野林業』という名の家具店の奥まった一角を借りて再出発したこと」に因む。

 当初は小さな店だったが、2年後には木造モルタル2階建て約50坪に拡張。2階まで吹き抜けのモダンな造りで人気を博し、“4丁目十字街に西林あり”とまで謳われた。4プラ開店と同時に、地下2階へ移転して再オープン。その後、改築された店内は、大胆にカーブしたカウンターやハイカラな籐製の椅子など、最先端のインテリアが人目を引いた。

 ラストは、三越の南斜め向かいにある大丸藤井セントラルビル地下1階の「茶房アトリゑ」(南1西3)。店内に足を踏み入れると、少し形の崩れたレンガの壁や実用性の無いらせん階段、一列に並ぶステージ用の照明など、懐かしくもアートなインテリアに心ときめく。初代の長澤元清さんが、「大丸藤井の買い物帰りに画家などが、コーヒーで一服できる空間を」とイメージして造り上げた。人気メニューはオムライスだが、スイーツの種類も多く、最近の客層は中年女性が中心という。

 ともあれ、「caf'eひので」と「西林」、そしてこの店を加えた3軒を、私は秘かに「4丁目十字街の三大老舗喫茶」と呼んでいる。ススキノの「サンローゼ」や映画「探偵はBARにいる」のロケ地に使われた「トップ」など、数多くの老舗が閉店した今、この3軒は“昭和レトロ”を今に伝える希少な存在なのである。