【胆振東部地震特集その3】ブラックアウトの記録と記憶

 道民を大混乱に陥れたブラックアウトは、午前3時7分の地震発生から約18分後に起きた。

地震直後、本誌記者の記憶

 当時、本誌記者は18年10月号の原稿締め切りのため社内におり、応接室で仮眠を取っていた。地震の揺れに飛び起きて辺りを見回すと、多少の揺れでは微動だにしないであろう重さの銅像が、激しく動いて今にも倒れそうになっていた。

応接室の銅像。倒れて手の先が記者の頭に刺さりそうだった ©財界さっぽろ

 慌ててそれを押さえ、揺れが収まったのを見計らい、まずは一旦仕事を続けようと自席に戻り、書きかけの原稿をパソコンで開いた。

 だが、同じく泊まり込んでいた同僚記者がそれを見て、強く帰宅を勧めてきた。いま考えると仕事を続けようとしたのは「正常性バイアス」のようなものだったのだろう、訝りながらも身支度や会社の戸締まりをして、同僚と別れ自家用車で帰宅することに。

 会社を出た時点ではだいたい地震発生から10分ほどたったところで、この時点では信号機や街灯も普通に点灯していたが、帰路の最中、街灯が自分の向かっている方向と反対側から順に消えていき、停電。走行中ということもあり、まるで暗闇が自らに向かってきて、飲み込まれるかのような感覚だったことを覚えている。

 自宅が近づくにつれて、民家の外壁が剥がれ落ちたり、石垣が粉々に崩れていたりという被害を目の当たりにして、徐々に家族や自宅が心配に。信号がついていないため、交差点のたびに進入を慎重にしなければならず、もどかしさが募る運転だった。

 何とか帰宅すると、自宅、そして妻と子どもの無事を確認。家財も電子レンジが落下しガラスが粉々になっていたが、それ以外の目立った被害はなく、ことなきを得た。

苫東厚真火力発電所 ©財界さっぽろ

全停電までの18分間

 電気はある意味、足が早い生モノだ。大量に保存しておくことは難しく、電力会社は常に需要と供給のバランスを保ちながら、発電と送電をおこなっている。

 バランスの良しあしは周波数で判断できる。コンセントから出ている交流の電気の場合、ものすごいスピードで+と-が入れ替わっており、それによって現れる波が1秒間に何回あるかが周波数(ヘルツ)だ。北海道を含む東日本は50ヘルツの交流を使用している。

 海外で適用周波数が違い、電気製品が壊れた体験をした方もいるだろう。電力会社は周波数が乱れた時、大きな被害を防ぐため、緊急措置を発動させて需給バランスを戻す。アプローチは2つ。送電線の先にある需要を一時的に切り離すか、発電量を増やすか、である。

 今回の地震が発生した瞬間(午前3時7分)、供給の半分以上を占めていた苫東厚真火力発電所で、2つのユニット(2号機と4号機)がタービン震動により停止。116万キロワットの供給が一気に失われたことで需給バランスが崩れ、周波数が低下した。

 この際、自動的に一部の需要が切り離された。地震直後に停電したエリアが、それに該当する。

 北海道・本州間連系設備(北本連系)からの緊急融通や負荷遮断により、一旦周波数が回復したものの、地震によって震源に近く道東方面に向かう送電線の狩勝幹線が故障。道東エリアの停電はこの影響から地震発生初期段階から始まっていた。

 さらに全道的に地震後の情報収集などで照明やテレビ等を付ける世帯が増えて電力需要が増加。ただ、この時点では運転できている発電所の出力を増やすなどして供給のバランスをとっていた。ここまで地震発生から4分ほど。

 だが、苫東厚真で唯一発電を続けていた1号機も地震のダメージから出力が徐々に低下。それに従い需給バランスを取るための負荷遮断(自動停電)もおこなわれて停電戸数が増えていき、3時25分、1号機が停止。残りの発電所も次々に設備保護等のため停止し、ブラックアウトへと至った。これが18年12月19日の第三者委員会による最終報告の概要だ(電力広域的運営推進機関の最終報告)。

電力復旧の意外なカラクリ

「近所で電気が戻ったところがあるのに、わが家はなぜ遅い」。停電が解消されていく過程で、そんな不満交じりの疑問を抱いた道民は少なくない。

 電気が戻るのはいつになるのか――幸い、地震そのものの被害を受けなかった家庭や会社では、それが大きな関心事だった。

 通電の再開は段階的におこなわれた。北電は水力で起こした電気を種火にして、稼働する発電所を増やしていった。同時に各送電網を点検する必要もあった。ブラックアウトに陥った場合、一気に復旧はできないのだ。

 さらに常に需要と供給のバランスを保つ必要がある。電力会社は、その時点の手持ちのパワーに見合う需要の塊を見極め、復旧ゾーンの優先順を決めなければならない。

 決定には別な観点も加わる。病院や災害対策の陣頭に立つ公的機関があるエリア、交通・通信インフラといった部分が優先された。

 復旧が早かった家庭から「うちは病院が近くにある」といった声を聞いた人は少なくないはず。自宅が停電中、勘を働かせて役所の食堂に行き、温かい食事にありついた人もいる。

 復旧作業がスタートした前後、北電には各方面から要望が寄せられた。しかし、緊急性がない限り、原則を貫いた。

 通電エリアは技術的に区切ることができる。最も単純な分け方が発送電網の系統単位。その次に変電所単位で、変電所内の配電用変圧器ごとも可能だ。電力各社が万が一に備えて立案している計画停電プランでは、最小単位として配電用変圧器を想定している。

 ただ、北電グループ関係者によると、もっと細かく配電線の支線レベルでも切り離すことができるという。

 住所が●条×丁目で同じでも、必ずしも同一の配電ラインにぶらさがっているとは限らない。

「大きなマンションができたりしたら容量の関係で、そのマンションだけ従来と別の配電ルートにつなぐケースもあると思います」(北電OB)

 ご近所同士でも通電再開時間が異なった背景には、こうした事情がある。

真弓明彦北海道電力社長(左)と世耕弘成経済産業大臣(2018年9月11日撮影・いずれも肩書きは当時) ©財界さっぽろ

北本連系、途切れた頼みの綱

 道内の供給力が下がった時に本州から電力を融通してもらう設備が、津軽海峡の海底に敷設されている。北本連系線だ。しかし、ブラックアウトには勝てなかった。

 北本連系線を所有する電源開発の関係者はこう語る。

「計画当初は、本州で電力需要が増える夏場に北海道から本州に電気を送るのが主な狙いでした」

 緊急対応の役割は後に付加されたわけだが、頼みの綱は地震直後は能力を発揮したものの、ブラックアウトは防げなかった。

 北本連系線の送電線は直流対応で、受け取った側は電気を交流に変換してから使用する。実は、この変換設備は外部からの電力がないと動かない。そのため今回、道内側の電力供給が途絶えた後は、機能を停止した。

 ところで同じように島国を営業エリアとする四国電力は、2本の連系線(計260万キロワット)を有する。北電も新たな連系線(30万キロワット)を建設中で、19年3月の運転を目指していた。稼働後は2本で計90万キロワットの融通が可能。しかも新たな連系線は、直流と交流の変換設備に、外部からの交流電源を必要としない技術を用いている。

 歴史に「もしも」は禁句だが、電力業界の間では「19年春に運転を開始した石狩のLNG火力発電所1号機(57万キロワット)と、新北本連系がもう少し早く完成していたら……」という声がある。

 もっとも北電の設備投資力には限界があった。北電は10大手電力の下位グループ。別稿で述べたように3・11後は、経営環境が悪化していた。そもそも北電はハンデを背負っている。

「北電の営業エリアは広大で札幌圏以外は人がまばら。送電網や発電所の整備をする上で、他電力よりも難しい。他電力のエリアよりも送電網は脆弱な部分がある」(経済産業省OB)

 扱うインフラは異なるものの、JR北海道と同じような地理的前提条件を抱えているわけだ。

 この経産OBは「北海道は日本の食糧基地。道民の命を守るためだけでなく、日本全体のために、道内の電力インフラの整備に国はもっと力を貸すべきではないか」と提言する。

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