今振り返る、私の思い出紀行 第三十一回 セントモニカ社長 七戸 千絵氏
家族と一緒に訪れた本土復帰間もない沖縄の旅
旅と言われてすぐに思い浮かぶのは、私が小学校2年生の時に両親と2人の妹との5人で訪れた沖縄海洋博覧会の旅になります。
行ったのは1975年(昭和50年)の10月。沖縄が本土復帰した2年後に開催された国際博覧会で、当時は千歳からの直行便がなかったため、羽田からの乗り継ぎ便で行った3泊4日の旅だったと思います。
私の子供時代、我が家の家族旅行は年1回の恒例行事になっていたのですが、これにはちょっとした理由がありました。後から知ったことなのですが、歌志内市立病院の外科医で院長でもあった父は、地域医療に貢献する忙しい日々を過ごしていました。しかし、満足に休暇も取れないような状況では、大学の医局から医師が派遣されないという当時の事情があったようで、盆暮れの休みをまとめて取っていたのです。そんなこととはつゆ知らず、私たち3姉妹は、年1回の家族旅行はとても楽しみな行事となっていました。
当時の沖縄は復帰間もない時期でもあり、どこへ行ってもアメリカ色が強く、那覇の国際通りなどの看板も英語だらけ。子供にしてみればいきなり海外へ行ったような感覚でした。
食べ物にしても北海道とは違い、豚の耳を材料にするミミガーや落花生素材のトーフ、ものすごいボリュームのステーキなど、今では札幌でも手に入り、食べることができるものも、当時はどれもが珍しく、見てびっくりの連続でした。
食べ物以外にも、沖縄の歴史や風習に触れる機会がありました。三線で歌う琉球民謡とカチャーシー(手踊り)は、今でこそテレビなどで紹介され、日本の地方色の一つとして知られていますが、当時の私は「北海道ならば盆踊りかなあ」といった印象で、歌志内の夏祭りを思い出したりしたものです。
観光では「ひめゆりの塔」が強く印象に残っています。そこで父に買ってもらった写真集では、沖縄が多くの人民が犠牲になった戦場であったことや、女子学生が自ら命を絶った悲劇などを知り衝撃的でした。父が「なぜ沖縄だけが民間人も巻き込んだ戦地となったのか考えよ」と、小学生の私に言ったことが今でも耳に残っています。
その後、家族とは沖縄も2回行きましたし、毎年各地を旅するようになりましたが、子供時代の家族旅行で父から学んだ旅の楽しみ、各地の歴史や人々の暮らしに触れて、視野を広げることが私の旅のスタイルになりました。
また、曾祖父以前から5代にわたって医療に携わり、九州と北海道で医師、看護師などを務めてきた一族から常に命の大切さを学んできました。私が薬学の道へ進んだのも父をはじめ、多くの先人たちの教えがあったからだと感謝しています。
七戸 千絵氏