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今振り返る、私の思い出紀行 第三十回 フォトグラファー 久保ヒデキ氏

1980年頃の「函館山展望台」。88年の青函トンネル開業までは青函連絡船での観光客がほとんどだった。

ロードマップを片手に道内各地を巡った青春時代

「旅」と辞書で引くと「見物や保養、調査などの目的で、住んでいる場所を離れて他の土地へ行くこと」などと書かれています。私はいわゆる団体ツアーということではなく、青春時代に愛車で道内を駆けずりまわった一人旅の懐かしい日々を、私の思い出紀行として書きたいと思います。

 今でも手元に一冊、使い古したロードマップがあります。1980年代初め(昭和55年頃)に購入したもので、このマップを頼りに道内のあちらこちらを回るのが二十歳そこそこの私の旅のスタイルでした。

 その頃の道路といえば、高速どころか二車線道路も札幌市内に少しあるだけで、国道でも未舗装があるのは珍しくありませんでした。

 当時はデザイン学校の学生で、夜は学費稼ぎのためにスーパーでバイト。店が閉まるのを待って、かねてからロードマップにチェックしておいた観光スポットを目指して車を走らせるのが本当に楽しみでした。

 その中でもお気に入りで何回も足を運んだのが「函館山」です。当時より山頂から展望する夜景の美しさは有名でしたが、最近のように大勢のインバウンドで溢れかえるようなことはありませんでした。ただ、当時は今と違ってこれといった施設はなく「ここが函館山山頂」という簡単な標識があった程度だったと記憶しています。

 それでも札幌から真夜中をついて中山峠、洞爺湖経由と飛ばしてきた若者にとっては、眼下に広がる夜景美と、〝神々しさ〟を感じるほどの朝焼けや日の出の美しさに感動したものです。帰路の噴火湾も、函館の海とはまたひと味違った表情があり、飽きるということはありませんでした。

 また最近、観光資源として注目されている室蘭の製鉄所の夜景も、当時からドライバーを引き付ける夜の主役でした。遮る建物等が少なかったせいだったと思うのですが、夜空をうねるように焦がし続ける高炉の火を見て、製鉄産業のエネルギーが直に伝わってきました。

 こうした車での旅は長年にわたり、道内ほとんどの観光地を訪れる結果につながったのですが、この間のさまざまな道路事情の改善や沿線施設の変化・発展に助けられてきたことも忘れられません。中でも、最も大きな変化は主要都市間を結ぶ高速自動車道の整備でしょう。かつては札幌から帯広への仕事は一泊が普通でした。それが現在では釧路でも車での日帰りが可能になりました。現在のカーナビの普及は、当時では考えられないことで、まさに魔法のような存在です。

 ぼろぼろになった書き込みだらけのロードマップを見るにつけ、若き日の旅が、いつの間にか写真撮影をなりわいとする現在につながった時の流れが鮮やかによみがえってきます。

フォトグラファー
久保ヒデキ氏