【今月号特選記事】北海道発展の礎を築いた産業遺産「炭鉄港」の歴史的価値を再発見!

「炭鉄港」という言葉をご存じだろうか?北海道の発展の礎となった産業(石炭、鉄鋼・鉄道、港湾)から1文字づつ取って名付けられた造語。北海道の礎を築いた産業遺産を示すワードだ。
歴史的価値のある文化財の魅力を再発見する取り組みがジワジワと人気を集めている。

 開拓史が設置された1869年からわずか150年という期間で、5万人弱だった人口が100倍近くに増えた北海道。その歴史をひもとくと、空知・室蘭・小樽の産業とそれらを結ぶ鉄道を舞台に繰り広げられた産業革命の物語が見えてくる。

 1872年(明治5年)に小樽の石造埠頭の建設がスタート。同市が北海道のゲートウェイとして飛躍を遂げたきっかけは1879 年(明治12年)に道内初の近代炭鉱である官営幌内炭鉱(三笠)の開鉱だった。そこで採掘された石炭を運ぶため、道内初の鉄道として幌内鉄道が開通。すると石炭運搬だけでなく、内陸部への入植者の移動や農作物の輸送に貢献した。

 1889年(明治22年)に炭鉱と鉄道は元薩摩藩士の堀基氏が設立した北海道炭礦鉄道(北炭)に払い下げられた。その後同社は空知炭鉱(歌志内)や夕張炭鉱(夕張)の開発を進めた。それに伴い、1892年(明治25年)には室蘭まで鉄路が延長。すると岩見沢が道央圏を東西南北で結ぶ鉄道の交点となり、室蘭が石炭積出港として発展する基礎をなった。

 1906年(明治39年)には、鉄道が国有化。北炭はその売却資金を元に室蘭に日本製鋼所を設立。1909年(明治42年)には製鉄にも進出し、室蘭は「鉄のまち」の地位を確立した。一方、鉄道の国有化によって北炭の独立輸送体制が崩れたことで住友や三菱など財閥各社が一斉に空知へ進出。これを足がかりに樺太まで勢力を広げて行った。これが小樽港をより発展させることになり、14年の小樽運河開削へとつながっている。

炭鉄港の一覧(月刊財界さっぽろ2022年8月号より) ©財界さっぽろ

 その後、第一次・第二次世界大戦では重工業が重視され、石炭と鉄鋼はともに大増産体制となった。終戦後も経済復興の柱とされ、産炭地は活況を呈した。ところが主要エネルギーが徐々に石油に転換。苫小牧港の出現で室蘭と小樽は石炭積出港としての地位を失っていった。

 これら炭鉄港に関連する施設はこれまでも地域の貴重な文化財として保管されてきた。その魅力を“再発見”してもらおうと、各スポットをめぐるガイドツアーなど、さまざまな取り組みが実施されている。

 なかでも各施設の写真が使用されたカードコレクション企画は大人気イベントだ。炭鉄港推進協議会の担当者は「少しでも多くの方に炭鉄港の魅力を知ってもらい、各スポットの歴史を感じてほしい。その結果、人口減少にあえぐ炭鉄港地域が元気になればうれしいです」と話す。

 このほか、財界さっぽろ8月号には道内に残る炭鉄港関連スポットの一覧を掲載している。全国の書店店頭で取り寄せ可能なほか、当社オンラインショップからも購入できる。お買い求めは以下のリンクからどうぞ。

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