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2021年

石水創社長が語る 父との別れ、ドバイ進出、ベーカリー挑戦

石水創 石屋製菓社長

「白い恋人」を生み出し、世に広めた石屋製菓の石水勲名誉会長が亡くなった。観光土産のお菓子メーカーはコロナ禍の影響を大きく受けている。そうした中、道内限定販売を貫いてきた白い恋人は12月、中東進出を果たす。さらに同社はパン事業にも乗り出す。父の遺志を継ぐ創社長に話を聞いた。

最後に必ず「でも、お前なら大丈夫だ」

 ――お父様の勲さんが9月26日に永眠しました。どんなお父様でしたか。

 石水 経営者の父も、普段の父も、あまり変わりませんでした。常にフラットな人でした。

 父は、私が小さいころから家ではいつも仕事の話をしていました。父はすごく楽しそうなんですよね。その姿を見て、石屋製菓の社長になりたいと夢見るようになりました。

 父はここ1年くらい、あまり体調がよくありませんでした。コロナもありましたから会社にも来ていませんでした。

 心の準備はある程度はできていましたけれど、やはり急なことだったので、ショックでした。

 ――勲氏は北海道にとっても大きな存在でした。

 石水 ありがとうございます。影響力は大きかったんだと思います。

 父は基本、損得勘定で行動しない人でした。そして、人をよく見ていました。裏があるとか、そういうことではなく、この人、面白そうだから、一緒に仕事がしたいな。そういう感じでした。

 そして、誰にでも同じ姿勢でした。父の尊敬している部分です。父は知らない人にも、普通に話しかけるんですよ。たとえば、よくタクシー運転手の方と話が盛り上がっていました。今でも、たまにタクシーに乗ると、運転手さんから父との思い出話を聞きます。

 ――経営について、何かかけられた言葉は。

 石水 よく言われたのは「努力しろ」ということです。父の好きな言葉でもありました。

 2013年に私が石屋製菓の社長に就任してから、その言葉は増えたように思います。企業のトップは孤独です。一方で、チヤホヤされたり、言い寄られたりもします。だから、自分に対して甘くしようと思えば、いくらでもできる。

 ですから、自分をしっかりと持って、きちんと努力しろ。自分に厳しくやれ、と教えられました。

 一方で、父は褒め上手でもありました。結構、怒ったり、感情的になったりもするんですけれど、最後に必ず「でも、お前なら大丈夫だ」とフォローが入るんです。この一言に救われるんですよ。

 コロナになって、父に仕事についての相談もいろいろとしました。最後に返ってくる言葉は「お前が悪いのか」というものでした。「いや」と返すと、「じゃあ、しょうがないべや。やるしかないべや」という感じでした。これも気持ちが楽になりました。

 ――亡くなられたお父様にかけてあげたい言葉は。

 石水 「お疲れさま。あとは任せて!」ですね。父も「後は頼んだぞ」と言ってくれている気がします。

©財界さっぽろ

北海道でしか買えない戦略を変更?

 ――石屋製菓のコロナ禍の影響は。

 石水 正直、業績は決していいとは言えません。緊急事態宣言などによって、人の動きが止まりましたから、お土産菓子は当然影響を受けましました。

 近年はインバウンド需要も大きかったです。しかし、コロナ以降、インバウンドはほぼゼロですからね。売り上げ減少に直結しました。

 幸い、経営に問題ありません。これだけ影響を受けると、不安を抱く社員もいました。そのため、コロナの感染が拡大した当初、社員に話をしました。会社は今、こういう状況で、これくらいのキャッシュがある。いまの状況が何年か続いても当社は大丈夫です。ただ今は我慢の時です、と。

 最近、ようやく先が見えてきたのかなという印象です。引き続き、感染者数が抑えられ、経済が上向いていくこと期待しています。

 ただ、一度下がったものを元に戻すのは大変なこと。第3の創業という思いで、気を引き締めてやっていきたいと考えています。

 ――「萩の月」の菓匠三全(仙台)と、「博多通りもん」の明月堂(福岡)との「ニッポンのおみやげんきプロジェクト」をはじめ、コロナ禍でも、いろいろなことに取り組んでいます。

 石水 コロナ禍だから、そしてコロナ後を見据えた取り組みを並行して行いました。その戦略として、大きく掲げたのは「共創」「顧客志向」「海外進出」の3つでした。

 ――ニッポンのおみやげんきプロジェクトは石水社長の発案だったそうですね。

 石水 ええ。2社には賛同していただいて感謝しています。地域は違えど、本来、他のお菓子メーカーと一緒に何かをやることはタブーというか。ライバル同士でもありますからね。

 このプロジェクトが面白いのは会社を立ち上げたことです。参加した3社が出資し、LLP(有限責任事業組合)という形でニッポンのおみやげんきプロジェクトを立ち上げました。

 この会社で通販や催事を行うんですけど、利益は3社で分配します。また、コロナが収まったら、一定の役目を果たしたということで解散します。

 ――海外展開について伺います。昨年末、中国での事業を広げる方針を打ち出しました。

 石水 中国の進出は2019年でした。ただ、本格的な展開というよりも中国での事業はイシヤブランドを守るため。これが前提にあります。

 中国では商品の一部が非正規ルートでどんどん市場に流れています。賞味期限が切れていたり、チョコレートがドロドロに溶けていたり、販路も満足のいくものではありません。

 そのため、越境ECサイト(国際的な電子商取引)で商品を取り扱い、ブランディングを進めています。これを強化します。

 ――今年12月には中東のアラブ首長国連邦のドバイに海外初出店をします。

 石水 きっかけは、15年の道庁と北海道経産局主催の輸出拡大を目指した、中東6カ国への視察ツアーでドバイを訪問したことでした。ドバイでは当時、東京・シガールのラングドシャ菓子「ヨックモック」が大人気でした。その店舗も見たいと思っていました。

 ですから、ドバイの人は「白い恋人」のことをどう思っているのかと気になりましてね。ドバイの王族関係者らにお会いしたところ、白い恋人の認知度が想像以上に高くて驚きました。商売をやっている方も白い恋人の存在を知ってくれているようでした。現地では視察ツアーに参加した企業のブースを設けたんですが、ありがたいことに当社の前には行列ができました。

 中東から日本、北海道に観光で来る機会があまりないと聞いていたんですけどね。ただ、宗教色の強い国ですから、嗜好(しこう)品というと、お菓子しかないんですよ。

 ここにドバイ進出の可能性を感じました。15年当時、当社の工場の稼働率はMAXでした。そのため、ドバイ事業を手掛ける余裕はありませんでした。しかし今回、コロナがあった。ドバイの王族関係者といまだに親交があったので、コンタクトをとると出店話が進んでいきました。

 ドバイでは今年10月から半年ほど、万博が開催されています。これに合わせて商品を販売します。世界にブランドを広めるチャンスとも考えています。もちろんドバイの一般市民にも受け入れてもらえたらうれしいです。

 ――白い恋人は北海道でしか買えないお菓子というのが強みだったと思います。

 石水 販売戦略にかかわることだと思いますが、確かに、そこは大切にしていきたいです。ですから、必ずしも海外に出ていくというふうには捉えていません。

 今回のドバイ進出は、ターゲット戦略を変えると捉えています。

 白い恋人は日本人からすると、“北海道のお菓子”というイメージかもしれませんが、中東の方は日本に来る機会が少ないから、白い恋人も、おいしい“日本のお菓子”なんですよ。そのターゲットに白い恋人を届けたい。

 実はドバイ進出は3年間のテストマーケティングです。3年後に判断しようと思っています。そこで拡販して事業を広げるのか、ニッポンのおみやげんきプロジェクトと同様、一定の役目を果たしたら終えるのか。

お菓子屋がつくるパンはおいしそう

 ――新たに、子会社であるサザエ食品の社長も兼務します。

 石水 サザエは同じ食品会社ですが、ターゲットはイシヤと全く異なります。サザエは完全に自家需要です。今、道内に64店の直営店があります。コロナ禍でも、売り上げはほとんど落ちていないですし、きちんと利益も確保しています。

 一方で、せっかくいいブランドなのにもったいない部分があると感じています。サザエには十勝製餡という子会社があり、池田町に工場があります。ここのあんこの評価が高いんですよ。

 でも、業界全体として価格競争の時代に入っています。それに、サザエは自社通販サイトがありません。私が社長に就任することで、ブランド力をより強化し、そういうところにも取り組んでいきたいと考えています。イシヤとサザエのシナジー効果も期待しています。

 ――新規事業も検討しています。

 石水 新たにパン事業に挑戦したいと考えています。お菓子屋がつくるベーカリーはおいしそうじゃないですか。ターゲットは完全に道民です。地元民に愛される商品をつくりたいです。

 べーカリーのブランド名も今、練っています。店舗などでカフェとグロッサリー(食料雑貨)とパンという展開ができないかとも考えています。

 ――今後のイシヤ像は。

 石水 市場は今年より悪くなることはまずないと思います。来年から、また「戦いに行くぞ」「やってやるぞ」という気持ちです。それが亡き父のマインドかなと思います。そこをきちんと引き継いでいきたい。

 将来像としては事業で、もう1本の柱をつくりたいと考えています。それが商品なのか、新たな市場なのかはまだ検討、模索中です。

 もちろん当社しかつくれないオンリーワンのお菓子づくりも追求していきます。「白い恋人」というネーミングは創業者の祖父(幸安)と父のやりとりから“生まれました”。商品名はインスピレーションだと思っています。新商品が誕生した時、天国にいる父から何か“下りてくる”かもしれませんね。


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