【胆振東部地震特集その5】地震、停電、食糧難…“現場の奮戦”(前編)

 地震被害とブラックアウトによる大混乱の最中、自らの被害や生活を省みず、現場で活躍した人たちの奮戦、その記録を前後編に分けてお送りする。今回は前編だ。

稼働できたガソリンスタンドでは給油量を制限 ©財界さっぽろ

給油で長蛇の列、スタンドの多くは緊急車両用だった

 地震発生後、道内各地で食料や物資を買い求める人が長蛇の列をつくったが、ガソリンスタンドにも同じような車列ができていた。

 北海道内には約1800カ所のガソリンスタンドが存在するが、停電の影響でポンプが稼働できず、多くの給油所は営業不可能となった。そんな状況下でも自家発電機により給油ができるスタンドが3タイプ存在する。

 まずは「災害対応型給油所」。太陽光発電、内燃機関発電設備、貯水槽、井戸設備、緊急用可搬式ポンプなどが設置されている。所在地のライフラインが停止しても緊急車両への燃料供給や被災者への飲料水提供が可能だ。加えて同タイプの給油所は、一般的なガソリンスタンドより強固なつくりとなっている。そのため一時避難所としても活用できる。道内では根室市と北斗市にある2カ所が指定されている。

 2つ目は「中核サービスステーション」。札幌市や旭川市など道内主要都市に約60カ所存在している。災害時は緊急車両や病院などへの燃料供給を前提としているため、指定されたスタンドは公表されていない。

 3つ目が「住民拠点サービスステーション」。文字通り住民への燃料供給が前提。中小規模の市町村で優先的に整備され、道内に約240カ所。そのすべてが公表されている。給油設備損傷や従業員の負傷など事業継続が困難となった場合を除き、災害時は被災者へ可能な限り給油を継続するよう義務づけられている。

 北海道石油業共同組合連合会によると、これら3タイプの給油所は停電後も稼働できたという。しかし、想定していなかった事態も発生したと説明する。

「主要都市にある自家発電できるスタンドは、ほとんどが中核サービスステーションなんです。しかし、緊急車両へ給油している様子を見た住民が自家用車に給油しようと長い列ができた。仕方がなく給油量を制限して対応していた営業所もあったといいます。2時間待って10リットルを給油後、再び2時間並んで10リットルを入れた方もいたそうです。電気復旧後はほとんどのスタンドで給油可能になります。非常時は不要不急の給油は控えてもらいたいです」

HACが使用するSAAB340B ©財界さっぽろ

新千歳閉鎖、丘珠・HACの大車輪

 地震発生時、東京のホテルにいた企業経営者は「用事をキャンセルして帰ろうと決め、飛行機のチケットを手に入れました。羽田から函館、そしてHACで午後1時過ぎには札幌に戻れました」と話す。

 本道最大の空の玄関・新千歳空港はその時、閉鎖されたまま。鉄路も止まっていた。

 主要な交通インフラがマヒする中、札幌市郊外にある丘珠空港は被害を免れ、機能し続けた。自衛隊が空港管理者を務め、災害対策の拠点でもある。電気はすぐに通じ、丘珠を本拠地とする北海道エアシステム(HAC)は旅客機を飛ばし続けた。

 HAC幹部の話。

「まだ電気が来ていなかった早朝、社員たちが格納庫の扉を手で押し上げ、旅客機を出せるようにしました。地震当日と翌日は、離島便以外のすべてで搭乗率が100%でした」

 HACは同じJAL系列の会社から機材を借り、臨時便も出した。

 ところで地下鉄駅から離れている丘珠空港は、車でのアクセスが多い。駐車場を管理する「パーク24」は急きょ遮断バーを撤去し、無料開放して空港機能を側面から支援した。

食品廃棄物増で事業ゴミが2・4倍

 胆振東部地震後、停電で食品スーパーやコンビニの電気がストップ。冷凍食品や乳製品など、大量の食品廃棄物がでた。

「商品にならない冷食を無料で客に配っているスーパーもあった」(関係者)

 札幌市内で、そうした事業系一般廃棄物を収集運搬する札幌市環境事業公社には、9月7日だけで1000本の問い合わせ電話がかかってきた。

 ほとんどが流通関連の店舗で、「いつゴミをとりに来てくれるのか」というものだった。

 翌8日から、本格的にゴミの収集をスタートさせた。

 同公社の担当者はこう振り返る。

「いつもは77台のゴミ収集車を稼働させるところ、99台に増やしました。回収したゴミの量は1408トンに上り、通常の2・4倍に達しました。1日でこれほどの回収量は、過去に記憶がありません」

東15丁目屯田通り・地下鉄東豊線元町駅付近の陥没 ©財界さっぽろ

札幌で最大震度、影が薄い東区の被害

 地震の被害として札幌市内でクローズアップされたのは、清田区里塚の傾いた家や大規模な道路の液状化だった。

 だが市内で一番揺れが激しかったのは、東区の震度6弱。東豊線栄町駅そばに住む会社員は「すべての棚が倒れ、食器棚からは皿やコップが飛び出して割れました」と話す。

 住居が被害を受けて住めなくなった人もおり、頻発する余震もほかの区より揺れが大きい。そのため避難所の利用者は清田区よりも多かった。東区体育館の避難所は14日で閉鎖の予定だったが、1週間延長された。

 また東15丁目屯田通りも大きな被害を受けた。約4・5キロにわたって陥没が続き、最大1メートル落ち込んだところもあった。地下を通る東豊線の設備が露出するほどで、本誌締め切りの14日現在ではまだ全線開通されておらず、区民は不便を強いられている。

棚から落ちて割れた商品の片付けもそこそこに営業していたコンビニ ©財界さっぽろ

台風がなければ食料品品切れは回避できた?

 胆振東部地震発生から数日間、道内の食品スーパーやコンビニには、食料品や日用品を買い求める人であふれた。

 飲料水、乳製品、カップラーメンなどを中心に、店内の多くの棚はすっからかんになった。

 地震後も全道停電により、道内の食品製造工場は軒並み操業をストップ。商品の入荷がとまってしまった。

 実は品切れを招いた理由は、これだけではない。

 四国・関西を直撃した台風21号の影響もあるという。

「台風21号が北海道にもっとも接近したのは、地震前日5日の未明でした。台風通過やその影響を懸念して、その3日以上前から本州の日本海側を出港するRORO船(貨物専用船)は、ほとんどが欠航していた。台風がなければ、本州から荷物が少しは入ってきていたので、ここまでの欠品にはならなかったのではないか」(物流会社幹部)

信号が消えて交通事故件数が減った

 電力ブラックアウトにより、一時、道内のほとんどの信号の明かりが消えた。

 闇夜の中、警察官たちは交差点に向かった。交通量の多い幹線道路では、2人の警官が交差点の中央に立ち、ホイッスルと手信号で車の誘導をおこなった。

 北海道警察によると、9月6日から8日までの間で交通整理のために動員された警察官は、延べ1826人(速報値)に上る。

 では、事故件数はどうだったのか。

「物損、人身事故をあわせて838件(速報値)でした」(道警広報担当者)

 複数の警察関係者によると、この間の1日平均の事故件数は、信号がついているときに比べて減っているという。

 信号消灯のためスピードを出せず、慎重に運転せざるを得ない。しかも、交差点などには警察官が立っている。そうしたことが影響しているのではないか。

札幌市東区にある北海道日本ハムファイターズの室内練習場 ©財界さっぽろ

ファイターズ選手寮に緊急差し入れ

 北海道日本ハムファイターズの選手たちも大きな揺れに襲われた。9月5日、チームは旭川スタルヒン球場で西武ライオンズとのナイターを戦ったあとバスで札幌市へ移動。市内に自宅を持つ選手以外は東区にある球団の寮で寝泊まりした。

 この日は14人の選手が寮内にいた。地震発生時は各選手が部屋を飛び出して互いの無事を確認しあったという。

 選手寮もほかの建物と同様に停電。電気が復旧するまで1日以上かかった。そのため選手たちはロウソクと懐中電灯の明かりだけで夜を過ごした。

 当時の状況を球団広報はこう話す。

「寮では災害パンなど非常食を備えていましたが、地震発生後は日本ハム本社やスポンサー各社から緊急の差し入れがありました。そのおかげで選手には一定水準の食事を提供することができました」

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