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今振り返る、私の思い出紀行 第二十七回 道交通共栄社社長 大浦 方徳氏

石垣島の民宿「やどぴけ」の前で撮影。左が自分で、右が友人の龍三、真ん中がUCLAの学生ニコル君。

最高の貧乏旅行―亡き友への思い強まる石垣島への旅

 1978年(昭和53年)に上京し、大学は違ったものの高校の同級生である龍ちゃん(龍三)との友人関係は続いていた。何事も〝突然〟なのが龍ちゃんで、「これから映画に行こう」「今から飲もう」「伊豆までドライブだ」…と、そんな誘いによく振り回された。だが、不思議と嫌ではなかった。むしろ彼と過ごす時間は学生生活の中でも一番新鮮で濃いものであった。

 映画は吉祥寺の深夜上映で、軽く飲んでから徹夜で観て、始発電車で代々木八幡のアパートに帰るのがいつものパターン。そうした些細な非日常の積み重ねが、龍ちゃんといると日常になるのだった。

 ある日電話で「沖縄へ行こう」。いつもの通り突然だった。「旅費は?」と聞くと「バイトすればなんとかなる」と笑う。こうして二人の貧乏旅行が始まった。

 旅費稼ぎの日雇い仕事を3週間続け、東京港晴海埠頭から貨客船に乗って出航。真っ直ぐ沖縄に向かい、沖縄本島を経て、ようやく石垣島にたどり着いた。長い船旅だったため、しばらくは体が揺れている感じが続いた。

 石垣島では民宿泊まりで、スキンダイビングに明け暮れる日々。石垣島は八重山諸島の中心地で、70種に及ぶサンゴや色鮮やかな熱帯魚に魅せられた。

 夜は泡盛に酔いしれ、民宿の屋根に寝転んで星空を眺めた。流れ星がいくつも飛び交い、一つ二つと数え、南十字星も見えたと記憶している。カラフルな水中と夜空の美しさは今も鮮やかに蘇ってくる。

 流星群は西表島の夜空も見事だった。ここは島全体が国立公園で、うっそうとしたジャングルの植物群にも驚かされた。沖縄行きの船でUCLA(カリフォルニア大学)の学生だったニコルと知り合い意気投合。特別な時間を過ごした。

 今振り返ると、この沖縄での貧乏旅行ばかりではなく、龍ちゃんのお陰で学生時代そのものが鮮やかに色づいていたのだと思う。

 数年前、彼に久々に会おうと電話をしたところ、闘病中とのことで会うことはできなかった。たぶん弱った自分の姿を見せたくなかったのだと思う。電話からは「俺ももう終わりだな、余命3カ月」と、若い頃と同じく、強がったような笑い声が耳に残っている。絶対に弱みを見せない…。彼らしい最後の言葉だった。

 しばらくして彼の自宅を訪れたところ、1週間ほど前に亡くなったと告げられた。今でもふと夜空を見上げると、彼と旅した石垣島の夜を思う。石垣の夜空を流れ星になって東へ西へと駆け巡っているのが今の龍ちゃんの姿なのかなぁ…と。

 学生時代の最高の思い出をありがとう、楽しませてくれてありがとう。心からそう伝えたい。

 Thank You Ryuzo

道交通共栄社社長
大浦 方徳氏