アスリートインタビュー

北海道日本ハムファイターズ

【斉藤こずゑのファイターズじゃないと♡】鹿部町長 盛田昌彦氏

鹿部町長が喜び「盛田姓、伊藤姓からプロ野球選手が誕生するなんて」

コロナ禍以降、盛り返す道の駅

 斉藤 今回はシーズン開幕特別版ということで、ドラフト1位ルーキーの伊藤大海投手と故・盛田幸妃さんにフォーカスします。

 お話を聞いたのは、鹿部町の盛田昌彦町長です。盛田町長含め、3人とも鹿部町生まれです。

 取材場所は、幸妃さんと伊藤家のなじみのお寿司屋さん「大寿し」(鹿部町118、大将・田中麻人さん)。

 今回の取材は、札幌市の不要不急の外出・往来自粛要請が出る前の3月20日に実施しました。

 盛田町長、無投票ではありましたが、まずは2期目の当選(2月7日投開票)、おめでとうございます!

 盛田 ありがとうございます。身が引き締まる思いで、緊張感があります。1期目にいろいろな取り組みをスタートさせたんですが、それをやり抜くことが目標になります。

 主要産業の1つである漁業はいま、そもそも漁獲量が減っており、市場環境が厳しい。昆布やホタテなどの養殖も同様です。役場としては今後、具体的な支援を強化していきたいと考えています。

 5月からは町内をコミュニティーバスが走ります。デマンド交通(予約に応じて利用者が乗り合う)など、今後も公共交通機関の整備にも取り組んでいきます。

 斉藤 観光も鹿部の主要産業の1つですね。

 盛田 人口3800人のうち、約500人が観光産業従事者といわれています。

 町内には大和リゾートの「ロイヤルホテルみなみ北海道鹿部」があります。地元で唯一のホテルで、1986年に開業した歴史あるホテルです。

 大和ハウス工業の創業者・石橋信夫さんが、この地に立って、「海が見えて、山が見えて、このロケーションはいい」と言ったくらい、いい場所なんですよね。

 しかし、コロナ禍を理由に9月末に同ホテルの閉館が決まっています。観光業への影響は避けられず、今後の町全体の課題になっています。

 一方で、シカベンチャーが運営する道の駅「しかべ間歇泉公園」はコロナ禍以降、盛り返しています。感染対策に気を付けながら、自家用車で、道の駅を利用する方々が増えているようです。物販では地元名産のたらこなどを取り扱っています。

盛田昌彦町長 ©財界さっぽろ

函館有斗野球部の後輩という縁で

 斉藤 さて、野球のお話に入りますね。伊藤投手は見事、開幕ローテーションをつかみ取りました。札幌ドームでの本拠地開幕2戦目の3月31日にプロ初先発(結果は6回1失点、勝ち負けつかず)。

 盛田 開幕ローテーション入りには驚きました。何よりもケガには気を付けて、頑張ってもらいたいです!

 斉藤 春季キャンプへ視察に行っていた解説者の方に話を聞くと、伊藤投手はプロ意識が高いようですね。体のケアの仕方もそうですし、持ち物も多くて、マウスピースなども3種類くらい用意しているそうです。

 自分のことをよく知っているんですね。関係者はみんな、「ルーキーとは思えない」と口をそろえます。

 盛田 マスコミ対応などもみていると、落ち着いていて、ルーキーっぽくはないですよね。

 斉藤 幸妃さんのお話も伺います。われわれの関係が、そもそも幸妃さんが縁でしたよね。

 2013年に幸妃さんが地元で初めてトークショーを開催した際、私が司会を担当させていただきました。私にとっては生まれて初めての鹿部町でした。

 このトークショーを仕掛けたのが、当時はまだ役場職員だった盛田町長でした。盛田町長とはそれ以来、お付き合いさせていただいています。

 盛田 幸妃さんのトークショーは、役場内で初めて観光の担当になったことで企画しました。盛り上げるイベントをまずやりたいと考えたためです。

 斉藤 でも、実は、その前にもご縁があったんですよね。

 HBCで解説をしていた幸妃さんがよく民謡「鹿部小唄」の話をしていました。そのため、私の発案でHBC側から役場に音源の提供をお願いしたところ、その対応をしてくれたのが盛田職員だったというわけです。

 盛田 先輩案件は後輩の仕事ですから(笑)

 斉藤 盛田町長は函館有斗高校(現・函館大学付属有斗高校)の野球部の出身で、幸妃さんの2学年後輩になります。

 幸妃さんが横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)にドラフト指名され、プロになっていく姿を近くで見ていたわけですよね。

 盛田 もうだいぶ遠い記憶になってしまった感じがありますけどね。

 思い出といえば、言えない話ばかりですかね(笑)

 2人 (笑)

 斉藤 ドラフト会議はみんなで学校で見ていたんですよね。盛田町長は胴上げ要員だったんですよね?

 盛田 たぶんそうだったと思います。胴上げされている幸妃さんの姿は、何となく覚えていますけど。それに、とにかくすごい騒ぎでしたよ。

 当時、有斗の野球部はファンクラブみたいなものがあって、遠征で札幌などに行っても「キャー、キャー」黄色い声援をもらっていました。

 幸妃さんもその流れで甲子園で投げて、ドラフトでプロになって。とにかく違う世界の人のようでした。

 斉藤 幸妃さんは高校時代から常にスターだったんですね。

 盛田 そうでしたね。地元では高校1年生のときから、すごい人気でしたよ。

 ただ、部活の合宿などで鹿部出身者がみんなで同じ部屋になったりすると、小・中学時代の昔の幸妃さんに戻って、バカ話をしたり。それがうれしかったですね。

(構成・竹内)

……この続きは本誌財界さっぽろ2021年5月号(4月15日発売)でお楽しみください。


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(もりた・あきひこ)1971年12月26日、鹿部町生まれ。函館有斗高校(現・函館大学付属有斗高校)卒。函館大学中退後、鹿部町役場に就職。観光商工課長などを歴任し、2017年の鹿部町長選で初出馬初当選。21年2月の町長選で再選。函館有斗高校時代は野球部として故・盛田幸妃さんの2学年後輩だった。20年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団した伊藤大海投手の父親とは地元のバレーボールサークルで一緒に活動するなど親交がある。