今振り返る、私の思い出紀行 ピュアグリーンコーポレーション 栗田 美鳥氏
大箱キャバレー時代、おもてなしを学ぶ京都での旅
私にとって思い出深い旅といえば、ススキノ生活のスタートとなったキャバレー「エンペラー」時代に京懐石の老舗料亭を訪れた京都での研修旅行です。時期は37~8年前になりますでしょうか。
時代は昭和の終わり。バブルの足音が聞こえ始める頃で、キャバレーは〝大箱〟〝マンモス〟と呼ばれた大規模店が激しい競争を繰り広げる中、脱落するところも出始めていた頃です。
転職先として応募し、採用されたのがエンペラーでした。ススキノは初めてで、ホステスの経験もゼロ。地下のボウリング場の係かと思っていたら、ホステスさんの指導が主な仕事と言われてびっくりしたものです。
釧路から進出してススキノに旋風を巻き起こしたエンペラーは、ボックス250席、ホステスさん約400人の規模。ゲストに有名歌手、タレントを招いて人気を呼び、連日連夜大賑わいでした。他店とのホステスさんの引き抜き競争も激しく、私の役割はそれに勝ち抜いて長くお客さまにひいきにされるおもてなしのノウハウを指導・徹底することでした。
そんな中での京都への旅は、老舗懐石料亭のおもてなしを学ぶことを目的に、青木一晃社長がススキノに店舗を構えていた自社グループの銀の目チェーン傘下のクラブのママさん十数人に、エンペラー副支配人の私を加えて企画、引率したものでした。
訪れたのは、京都でも特に有名な東山の清水寺に近く、八坂神社門前で創業400年を超える老舗中の老舗京懐石料亭「中村楼」でした。絶妙のタイミングで運ばれてくる懐石料理の一品一品の極上の味、加えて洗練された作法に徹底した女性たちの仕草・心遣いにも、長く伝えられている「もてなし」の真髄が感じられました。
また、お馴染みの舞妓さん、芸子さんをたくさん招いていただき、舞いやお座敷芸によるリラックスのひと時も楽しく過ごさせていただきました。かつて石原裕次郎さんごひいきの舞妓さんと伝えられ、後にクラブを開いたママさんは、お座敷とは別の親しみやすいもてなし所作を見せてくれ、学ぶものがありました。
老舗料亭とキャバレーではお店の形態も異なり、客層の違いもありますが、お客さまをおもてなしすることに変わりはありません。その後、一世を風びしたマンモスキャバレーも次々と姿を消し、エンペラーも2006年に33年間の営業に幕を降ろしました。
最後の支配人であった私にとって、エンペラーで学んだ事は数多く、現在、飲食店4店舗を経営している上でも多くの教訓を生かしています。また、京都へご一緒したママさんたちもそれぞれ今に続くススキノの活性化に貢献していただいたと感謝しております。