社長ブログ

北海道開拓を担った各地からの移住者に学ぶ (26) ―江戸(東京都)の北海道開拓 後編

 1923(大正17)年9月1日11時58分32秒、神奈川県の断層(相模トラフ)を震源とする「関東大震災」が発生。神奈川、東京、茨城、千葉、静岡東部の内陸と沿岸に甚大な被害をもたらしました。

 とくに神奈川県、東京市(現・東京都)の木造住宅街は、折からの日本列島を北上する台風にあおられ、広範に火災が発生。悲惨な爪痕を残しました。震源の神奈川県では、さらに振動による建物崩壊、液状化による地盤沈下、崖崩れ、沿岸部の津波被害が発生。東京都では家屋の6割が被災し、その多くは火災による焼失でした。

 当時の東京日日新聞(毎日新聞の前身)は「東京全市火の海に化す」「電信、電話、電車、ガス、山手線全線途絶」「横浜市は全滅 死傷数万」など、衝撃的な見出しで報道しています。関東大震災で、神奈川県は住宅被害(全損、焼失、埋没など)で12万5577棟、死者3万2838人、東京市では住宅被害20万5580棟、死者7万387人。他県を含めると住宅被害総数37万2659棟、死者総数(行方不明含む)10万5385人に及んでおり、2011年の東日本大震災発生までは史上最大規模の災害となっています。

 国家機能が麻痺し対応が遅れる中、被災者の多くは親戚・知人を頼り、大阪府や愛知県になどに移住しましたが、新たな生活を求め北海道に移住する人達もいました。同年、政府は北海道移住奨励事業として、避難者一戸当たり300円の補助金を450戸分支給し、北海道への移住を援助しています。

 青森県の「東奥日報」によると、北海道へ向かった避難民は青森市救護班の世話を受け、9月3日、4日の両日、青森に到着。避難民378人の内288人が北海道に向かったと記録されています。

 避難民は青森港から船に乗って函館港に到着。その後函館本線に乗り、小樽、札幌、滝川から根室本線で富良野を経由して新得、帯広、池田でそれぞれ下車しました。この間の乗車時間は18時間で、函館駅ほか20カ所の駅で弁当が支給されたそうです「災害復興研究第3号」。

 北海道公文書「東京地方大震災関係」によると、新得駅、帯広駅、池田駅に9月10日から26日の間に下車した人数は750人となっています。下車した避難民の内294戸・426名の内訳は、帯広(87戸108人)、新得(15戸20人)、芽室(20戸30人)など河西支庁(現・十勝管内)に入植したと記録されています。大混乱の中での避難ですので、詳細は把握することはできなかったでしょうが、1000人近くの方が北海道東部に入植され、開拓に取り組まれたのです。

「関東大震災」の震源は相模トラフで、200年に一度くらいの頻度で発生していますが「首都直下地震」は100年以下の頻度で発生しており、今後30年間での発生確率は70%。さらに、甚大な津波被害が予想される「南海トラフ地震」は100年から200年に1回、70~80%の確率で発生するといわれています。東京大震災時より東京は人口が4倍になっており、発生すれば単純計算で4倍の被害が想定されます。

 昨年(2019年)10月12日に日本に上陸した「令和元年台風19号」は、東京地方にも甚大な被害をもたらしました。多摩川の氾濫により超高層マンションの地下が水没し電力供給が停止。道路崩壊による交通網寸断、広範囲にわたる停電、食料品・飲料水も入手できずと、首都機能が一時麻痺する状態でした。

 荒川はたまたま東京湾が干潮の時刻だったこともあり、堤防の決壊は辛うじて食い止められました。もし決壊していたら、海抜ゼロメートル地帯に住む176万人が孤立しかねかったことでしょう。地球温暖化による異常気象の影響で、九州などでは毎年のように観測史上に残る豪雨災害が起こり、各所で河川が溢れる事態となっています。

 東京に集中する中枢機能(行政・企業)がマヒした場合、東京の首都機能に頼っている日本全体も機能不全になります。おそらく、10数年間にわたって日本は世界最貧国に陥ることになるのではないでしょうか。今こそ、行政機能・本社機能の地方分散化を真剣に考えなければなりません。

 北海道は移転先として多くの優位点を持っています。地理的には、太平洋沿岸地域を除き、地震の発生確率は極めて低いとされています。ちなみに今後30年間で震度6以上の地震が発生する確率は、東京都都庁48%、千葉85%、横浜70%に対し、札幌市1.6%、旭川市0.55%、函館1.5%(地震調査研究推進本部地震調査委員会)と、他県に比べて明らかに低いです。

 梅雨がない(蝦夷梅雨はありますが)北海道では、梅雨時最終期の豪雨はごくまれで、また多くの台風は北海道に到来する時点では熱帯性低気圧に変わっています。食料も、やさしい自然も、そして自然エネルギーも豊かです。

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19) が引き続き猛威を奮っていますが、テレワークが働き方を変える手法として脚光を浴び、一挙に普及しています。満員電車で熱中症を気にしながらの長時間通勤から解放され、子供は豊かな環境で生まれ育ち、家も広く物価も安い北海道。今こそ、「第二次(令和)北海道移住」を進めるべく、その環境を作り上げる時ではないでしょうか。