アスリートインタビュー

北海道日本ハムファイターズ

【特集PLAYBACK―3】「投手への未練はまったくなかった」白村明弘が引退の本音を激白!

 2020年12月15日に発売した月刊財界さっぽろ2021年新年特大号では、北海道日本ハムファイターズ特集「テレビ・新聞が報じない栗山ファイターズ長期政権の功罪」を掲載、大きな反響を呼んだ。2021年シーズン開幕を記念し、同特集からインタビュー・対談記事をピックアップ掲載する。最終日の本日は、昨シーズン限りで現役引退を決断した白村明弘氏へのインタビューをお送りする。文中の肩書きなどはすべて掲載時のまま。

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 ――現役を終えた、いまの率直な感想は?

 白村 やり切りました。

 結果は大事なことかもしれませんが、やり切れたかどうかは自分にしかわからないこと。後悔はありません。

 ――いまはどのような生活を?

 白村 東京の自宅で過ごしています。いろいろな企業の方にお会いさせていただいて、就職活動のようなことをしています。

 ――シーズン終盤(11月5日)の戦力外通告でした。当時の心境は?

 白村 仕方がないと。結果を残せなかった自分が悪いですから。プロである以上は1年1年が勝負だと思っていました。

 ――現役中、思い出に残っていることは?

 白村 やっぱりプロ2年目に50試合に登板したことです。正直、「かなりやれる」と自信にもつながりました。

 あとは、最後の今年1年です。自分を追い込んだ年でした。打者転向後は練習がとてもきつかったです。手のひらがボロボロになるくらい練習しましたから。

 ――投手時代は肩の不調に悩まされました。

 白村 体のコンディションを維持することがすごく難しかったです。だからこそ、ずっと第一線で活躍する宮西(尚生)さんは本当にすごいなと思います。

 ――プロ6年目(19年)の春季キャンプで打者転向をチームから言い渡されたときの心境は?

 白村 正直、驚きました。ただ、肩の状態はプロとしては厳しくなっていたので。

 そういう中でチャンスを与えてもらいました。他球団であれば、投手のまま、クビになっていたのかなと。

 プロとしてまだ挑戦できるという、うれしさがありました。球団には感謝しています。

 打者に転向させてもらって、ファイターズには本当にお世話になりました。現役を終えるならこのチームで、と思っていました。ですから引退を決断しました。

シーズン前の沖縄キャンプ中にインタビューを受ける白村明弘氏(2016年2月撮影) ©財界さっぽろ

 ――投手への未練は?

 白村 まったくないです。野手挑戦のチャンスをもらえた時点で、自分の中で整理がついていたので。

 もし投手のままで戦力外を言い渡されていたら、トライアウトを受けるなど、現役続行の道を探していたのかもしれません。

 ――最後にファンにメッセージを。

 白村 投手から野手になっても、変わらずに応援し続けてくれたファンの方がたくさんいました。本当にありがたかったです。

 打者転向後も期待してくれていたのに結果を残せなかったことは申し訳ないと思っています。これからの人生、新しい道で何か恩返しができればと考えています。

   ◇    ◇

 白村氏は今春から第2の人生をスタートさせた。勤務先は高校時代の親友が設立メンバーという19年創業の金融系ベンチャー「SYN group」(東京都品川区、有我雄汰社長)。今後、ファイナンシャルアドバイザーとして保険商品などを通じて顧客の資産形成を支援するそうだ。(参考リンク


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(はくむら・あきひろ)1991年12月11日岐阜県生まれ、慶應義塾高校から慶應義塾大学を経て、2013年オフにドラフト6位で北海道日本ハムファイターズに入団。プロ2年目の15年シーズンは中継ぎとして50試合に登板し防御率2・03を記録。その後は肩の不調に悩まされるなど、苦しいシーズンを送ることが多く、19年シーズン開幕前に打者へ転向したが、翌20年シーズン終盤に戦力外通告を受け、現役引退を決断した。