アスリートインタビュー

北海道日本ハムファイターズ

インタビュー 西川遥輝「ようやく理想の最低ラインに立てた」

 10年ぶりの栄冠は若きイケメン打者の成長なしには語れない。2016年に覚醒した背番号7を直撃。シーズンを回顧した、クールで無邪気なスピードスターは「今年の成績には満足していない」と、より高みを見据える。なお、内容は財界さっぽろ2017年1月号掲載当時のもの。

©財界さっぽろ

ずっと苦しいプロ野球人生だった 

 ――広島東洋カープとの日本シリーズ第5戦。1対1で迎えた9回裏二死満塁の場面で、日本一に王手をかける劇的なサヨナラ満塁ホームランを放ちました。2016年の西川遥輝選手の活躍を象徴するようなシーンでした。

 西川 なかなかあんな経験はできないですよね。打った瞬間は覚えていますが、その後は野球人生一の興奮状態でした。気持ちよかったです。

 ――試合後のヒーローインタビューで、城石憲之打撃コーチに感謝の気持ちを述べる姿が印象的でした。

 西川 もともと人前で話すことが得意ではないのですが、思わず口から出ました。直接伝えるのは恥ずかしかったので、ファンの前のほうがお礼を言いやすかったです。

 城石さんは16年に2軍打撃コーチから1軍担当となり、付きっきりで指導してくれました。16年の僕の姿があるのは城石さんのおかげ。こうして感謝を述べるのも恥ずかしいですね(笑)

 ――シーズンを振り返っていかがでしたか。

 西川 序盤はチームも僕も成績が伸びなかったので、少し心配でした。それでも6月くらいからチームも僕も状態が上がりだして、交流戦以降も好調を維持できました。ただ残り1カ月は正直しんどかったです。負けられない試合が続きましたから。それでも、いい緊張感の中で野球ができるのは幸せなことだなと思いました。充実した1年でした。

 プロ入り後、僕としてはずっと苦しかった。15年シーズンも14年シーズンも試合には出させてもらっていましたが、「頑張った」と胸を張れる成績ではなかった。16年はチームの1番バッターとして、ある程度の役割を果たすことができたと思っています。

 ――15年とは何が大きく変わったのですか。

 西川 技術の上達もあると思いますが、頭と体がマッチしてきたことが一番です。自分の頭で考えていたものが体現できるようになりました。

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数字に満足はしない ピークは先にある

 ――成績には満足していますか。

 西川 プロ野球選手は自身の数字に満足することはないと思っています。打率3割、出塁率4割を超えることはできましたが、自分としてはようやく理想の最低ラインに立っただけです。僕のピークは先にあると思っていますから。

 ――今後の目指す選手像は。

 西川 16年はホームラン、ヒットよりも塁に出ることが最優先でした。そのスタイルは基本的に変えません。今後はプラスアルファでホームランが増えていけばいいかなと思っています。

 ――来シーズンへの抱負を。

 西川 何よりもチームにどれだけ貢献できるかを考えながらプレーしていきたい。個人成績も16年以上の結果を残して、またチームメートと“最高の瞬間”をわかち合います!(ききて・竹内)


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(にしかわ・はるき)1992年4月16日、和歌山県生まれ。智弁和歌山高校では1年次からレギュラーを奪取し甲子園などで活躍。2010年にドラフト2巡目で指名を受け、北海道日本ハムファイターズに入団。プロ2年目の12年、新任の栗山英樹監督の期待を受けて開幕戦でプロ初出場を果たす。14年から主に右翼手としてレギュラーの座を掴み、球団史上2人目となる最多盗塁(43個)のタイトルを獲得。リードオフマンとして活躍し、2度のリーグ優勝と16年の日本一に大きく貢献する。181センチ、79キロ、背番号7。