アスリートインタビュー

北海道日本ハムファイターズ

【斉藤こずゑのファイターズじゃないと♡】飯山裕志氏

コーチ転身で後輩に伝えたいこと

やっぱりずっと現役でいたかった

斉藤 ファイターズ一筋20年のプロ野球人生でした。10月3日の引退セレモニーから日はたちましたけど、あの瞬間を振り返る時間はありましたか?

飯山 はい。球団関係者、ファンの方々に手助けしていただいて、素晴らしい経験をさせていただきました。セレモニーの挨拶などは「まぁ~、うまくやれたかなぁ」という感じです。

斉藤 当初はセレモニーを辞退されようとしたとお聞きしました。

飯山 はい。おこがましい気持ちがあったので。

斉藤 3万5000人のファンが札幌ドームに詰めかけました。でも、やってよかったでしょう?

飯山 そうですね。ファンのみなさんの声援がすごくありがたかったです。

斉藤 飯山さんは「自分はそんなに人気がない」「ずっと試合に出ている選手ではないから」などと、いつも控え目でした。それでも今回のセレモニーを見たら、やっぱり影響力のあった選手だったんだなとしみじみと感じました。飯山さんも自分がこれまでにチームにもたらしてきたものを認めないわけにはいかないですよね。

飯山 そう言ってもらえるとうれしいのですが、それでもあそこに立っていてよかったのかなと、いまでも思います。

斉藤 引退会見では「100%」という言葉を何度も使われていました。「練習で100%できないんだったら、本番で100%できるわけがない」と。もう100%ではプレーできないと感じたということですか?

飯山 そうですね。ケガが一番大きかったです。知らぬ間に体をかばい、全力でできていないということを体感してしまったので。

斉藤 引退の決断はすんなりとできましたか?

飯山 決断まではとても悩みました。やっぱりずっと現役でいたかったですから。でも、球団からコーチ就任の話もいただいたので、発想を変えて、否定ではなく肯定の考えをしました。

辞めたくない、辞めたくないと考えてばかりいると、現状からは何も変わらないので、例えば、辞めたとしたら、自分に何ができるのだろうかと。そう考えたときに指導者になりたいと思いました。

斉藤 ご家族も飯山さんの決断をすぐ理解してくれたんですか?

飯山 そうですね。「好きなようにしてください」と、僕の意見を尊重してくれました。

斉藤 セレモニーの挨拶で、奥さまへの感謝の気持ちを話されていたのが印象的でした。これまでどう支えてくれたんですか?

飯山 何か言葉をかけてくれるというわけではないんですが、常に僕の生活を中心に考えてくれていました。それはありがたかったです。

(構成・竹内)

……この続きは本誌財界さっぽろ2018年1月号(12月15日発売)でお楽しみください。


→Webでの購入はコチラ
→デジタル版の購入はコチラ

(いいやま・ゆうじ)1979年7月13日、鹿児島県いちき串木野市生まれ。B型。右投げ右打ち。れいめい高校卒。97年ドラフト4位で日本ハムファイターズに入団。守備職人として華麗なグラブ捌きで多くのファンを魅力した。17年シーズン限りでファイターズひと筋20年の現役生活を引退し、チームのファーム内野守備コーチに就任した