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今振り返る、私の思い出紀行【青木ビジネス企画センター社長 北海道日中友好協会会長 青木 雅典氏】

現地の外弁部スタッフと天安門をバックに記念撮影

国交回復間もない中国を訪れ、歴史の重みと発展の兆しに触れる

中国との経済・人的交流を柱として事業を進めてきた私にとって、40年前に初めて訪れた中国の旅が今も忘れ難く、強く印象に残っています。
この旅のきっかけとなったのは、1972年(昭和47年)の日中国交回復です。周恩来が率いる中国と、この年に新首相となった田中角栄によって実現した日中間の新しい動きは国際的大ニュースでした。
当時、私が議員として所属していた札幌商工会議所でも中国への関心が強く、1984年9月の視察旅行先として10数人の訪中が決まりました。
まだ当時は北京などの主要都市への直行便は少なく、イギリスの特別区として植民地扱いだった香港が海外との航空機発着都市でした。ここを出発点として6泊7日の汽車旅で、広州、上海、北京、大連、瀋陽を訪れました。
まだこの時は、日本からの旅行客は少ない時代でした。私たちの一行は日本の主要都市であり、国交回復の年に冬季オリンピックが開催された札幌市からの経済団体ということで、どこでも歓迎されました。主に各地方行政府で外交機能を担当する外弁部が歓迎の窓口となって、各地の高級ホテル、レストランで、かつての宮廷料理など豪華料理を中心とするもてなしが続きました。
香港や上海は欧米にならった都市づくりが進められており、当時でも高層ビルが林立し、世界一とされた香港の夜景に感動したものです。これに反し、首都の北京は5000年の歴史を伝える人民大会堂(紫禁城)と天安門広場のスケールの大きさが印象に残ります。また、現在は、整備された道路を高級外車が流れるように行き交いしていますが、当時は自転車と人の群れが湧き出してくる光景が北京の光景でした。この人口の多さが世界第2の経済大国発展を支えたわけです。
北京近くの万里の長城にも足を運びました。ここは紀元前に造られた侵攻防衛のための城壁ですが、その規模の大きさは想像を絶しました。多くの人が訪れたためか、磨きがかかったようにすり減っていた石の通路にも驚いたものです。上海や大連では戦前の日本租借地、住宅街、ホテル、鉄道などがそのまま残っていました。
かつての長安(現・西安)は空海(弘法大師)はじめ日本の僧侶が仏教ばかりでなく政治、法律、建築、文化などを学んで帰国。古代文化の発展に貢献しました。〝渡来人〟と呼ばれた中国・韓国の人たちも日本の発展に大いに寄与しています。いうまでもなく漢字は中国から伝わったものです。
この短い旅、その後数回にわたる中国への旅で、本来中国と日本はアジアの発展に手を取り合って貢献すべき仲であることを実感しています。

青木ビジネス企画センター社長
北海道日中友好協会会長
青木 雅典氏