アスリートインタビュー

北海道日本ハムファイターズ

【斉藤こずゑのファイターズじゃないと♡】小笠原道大氏

古巣で山椒のような、スパイスの利いたコーチに

安堵の一方で、懐かしさはなし

斉藤 お帰りなさいませ!札幌ドームで、久しぶりにファイターズのユニホームを着た小笠原さんを見られるということで、ファンはワクワクしています。

小笠原 グラウンドに出る(プレーする)わけではないですけどね(笑)

斉藤 ユニホーム姿を見るだけでファンはうれしいものです!

私がパーソナリティーを担当しているHBCラジオの「ファイターズDEナイト!!」は2006年にスタートしました。その年にチームは日本一となり、シーズンオフに小笠原さんはFAで移籍していきました。

あのとき、北海道のファンはまだ選手がチームを出ていくことに慣れていなかったように感じます。小笠原さんがいなくなったさみしさや、プロ野球の世界はそういうものなんだということなど、いろいろなものを教えていただきました。

小笠原 そう言ってもらえると救われます。

当時、僕個人の言葉で、ファンに何も告げることなく、移籍してしまった。そのため、北海道、ファイターズのファンの人たちに対して、後ろめたさではないんですけど、自分の中でマイナスの感覚を抱えていました。ずっと引っかかってはいたんですよ。

でも、今回、コーチ就任の要請を受けたとき、多くの方々に「待っていた!」と声をかけてもらったので、ホッとした気持ちになりました。

斉藤 久しぶりに帰ってきたファイターズの印象はいかがですか?

小笠原 ん~、なんだろう。僕がいたころと比べると、違ったチームという印象を受けました。思いのほか懐かしさはなかったです。

斉藤 ファイターズで一緒にやっていて、いまも現役なのは鶴岡(慎也)選手だけですか?

小笠原 そうですね。あと、ジャイアンツ時代に(大田)泰示と公文(克彦)です。その分、変な先入観はありませんでした。

秋季・春季キャンプでも多少のギャップがありました。コーチの立ち場としては、選手たちの体力面の不安さがやや目に付きました。
あと自分で考えてやるということ。個々の選手によって差があるのですが、少し足りていない部分があると感じました。

(構成・竹内)

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(おがさわら・みちひろ)1973年10月25日、千葉県千葉市生まれ。A型。右投げ左打ち。暁星国際高校卒。社会人チーム・NTT関東から96年のドラフト3位で日本ハムファイターズ(当時)入団。2006年シーズンオフにFAで読売ジャイアンツに移籍。14、15年は中日ドラゴンズでプレー。現役時代はガッツの愛称で親しまれた強打者の内野手。首位打者(02年、03年)、本塁打王(06年)、最多打点(06年)を獲得。北海道日本ハムファイターズ時代(06年)とジャイアンツ時代(07)年と、リーグをまたいでの2年連続シーズンMVPにも輝いた。15年シーズン限りで現役を引退。16年~19年までドラゴンズ2軍監督を務めた。今シーズンから古巣・ファイターズのヘッドコーチ兼打撃コーチに就任。背番号81