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2021年

9月20日に閉館“オークラは札幌に必ず戻ってくる” 

宮崎誠 ホテルオークラ札幌社長

 ホテルオークラ札幌がオープンしたのは2003年のこと。以来、全国有数のホテル激戦区で強い存在感を発揮してきた。9月下旬に現施設はいったん幕を下ろすものの、札幌都心部での新たなオークラブランドの展開を計画している。

©財界さっぽろ

最後の瞬間までいつも通りのサービスを

 ――9月20日の閉館が迫っています(取材日=9月2日)

 宮崎 多くのお客さまが「閉館する前にもう1度」とお泊まりにみえられたり、レストランにお越しいただいております。うれしい限りです。

 当ホテルで結婚式を挙げたお客さまを対象に、スイートルームの格安宿泊プランも実施しました。

 実は、宴会場の最終営業日(19日)には結婚披露宴も入っています。自分たちの結婚式をホテルオークラ札幌で開かれる最後の結婚式にしたい、とご希望されて、とうかがっています。

 閉館するホテルでは、途中から一部のサービスを中止し、お客さまにエクスキューズをする例もありますが、当ホテルは違います。オークラ流のいつも通りのサービスを、最後の瞬間まで提供をすることにスタッフ一丸となって取り組んでいます。幸い多くのスタッフがホテルを離れず、最終日まで残ってくれます。

 ――宮崎社長がいつ着任されたのですか。

 宮崎 2010年6月です。その2年前の08年9月に何が起きたか覚えていますか。リーマンショックです。世界的に大きく景気が後退し、翌年度の宿泊需要は世界的に30~40%落ち込みました。札幌のホテルも同程度、客室稼動率がダウンしました。

 札幌に赴任した私の最初の仕事はいわば建て直しでした。結局、札幌も含む国内の主要都市の宿泊需要が、リーマン以前の水準に戻ったのは13年です。5年間も要しました。

 実は、この13年は、国内の観光業界にとって重要なターニングポイントでした。日本政府は観光政策で大きく舵を切り、アジア諸国に対する観光ビザ緩和策を導入し、インバウンド急成長の起点となりました。

 ――ホテルオークラ札幌の社長として約11年。市内の大学の教授も務めているそうですね。

 宮崎 1971年にホテルオークラに入社し、各地で勤務しましたが、札幌勤務が一番長い。また、5年ほど前からは札幌国際大学の客員教授を務めています。

 大学側から話があり、オークラ本社に伝えたところ、ぜひ地域貢献のためにも引き受けるべきとの指示があり、就任しました。

 海外勤務も含め、これまで得た経験を若者たちに伝えることができればと思って始めたのですが、実際は逆でした。学生たちから学ぶことの方が多いのが実態です(笑)

 ホテル閉館後も、客員教授は続けさせていただく予定です。

 ――コロナ前の数年間は客室稼動率が95%前後と非常に高い数字だったと聞いたことがあります。どのような方法で実現させたのですか。

 宮崎 先ほど2013年の観光ビザ緩和策がインバウンド急成長の起点となったと申し上げましたが、その時、日本の宿泊市場がこれから大きく変わると判断し、訪日外国人を含めた個人客を増加させる戦略を強力に進めました。

 その結果、FIT(個人旅行の外国人客)市場の取り込みにも成功しました。

 ホテルオークラがJALホテルズを子会社化したことも、販売戦略を根底から見直す契機になりました。

 ――どうしてですか。

 宮崎 10年9月にホテルオークラは日本航空からJALホテルズの株式の約80 %を取得し、子会社化しました。これによってオークラ・ニッコーとしてのホテル数は当時、73になりました。それまでの3倍です。「すごいことになった」と痛感したことを今でも覚えています。

 当然、各ホテルに根付いた顧客も急増した訳ですから、グループ全体が有する顧客を当ホテルとしても積極的に取り込んでいくことを基本的な戦略として掲げました。

 13年にはオークラとJALホテルズのそれぞれの顧客組織が統合し、現在のOne Harmonyになり、会員組織を活用し、安定した顧客基盤づくりに狙いを定めました。会員を大切にして、良質なリピート顧客に育てる作戦です。

 その結果、15年には当ホテルの宿泊者に占める会員比率は40%に達し、オークラ ニッコー ホテルズの全ホテル中、トップになりました。

©財界さっぽろ

札幌とオークラの昔から続く深い縁

 ――コロナ禍でも会員が大きな支えになっているそうですね。

 宮崎 20年度の札幌の主要シティーホテルの平均稼動率は約23%だったのに対して当ホテルは55%でした。

 会員の宿泊利用は、コロナ禍になってもほとんど落ちないのです。会員の中で最も利用頻度が多い上級会員のエクスクルーシィヴ会員についてはコロナ前より、ご利用が増えた時期までありました。

 会員の宿泊利用という根強い需要に支えられ、20年度の稼動率は札幌市内でも、グループ内でも独走に近い状況でした。会員組織One Harmonyを駆使すれば、一歩先を行くホテル運営が可能であることを立証できたと考えています。

 ――昨年7月の閉館発表の時、札幌都心の新たな場所でホテルを新築するとしていました。作業は進んでいますか。

 宮崎 今のホテルを閉館するのは新たな耐震基準の問題があったからです。調査した結果、耐震補強に多額の費用が見込まれました。また、同じ場所に建て替えると4年ほどの中断をせざるを得ない。それならば新たな場所で再出発しよう、という判断でした。

 昨年7月に本社社長(荻田敏宏氏)が北海道新聞のインタビューを受けており、記事中で申し上げているように札幌の新たなホテルは、ラグジュアリーホテルを計画しています。

 ――ラグジュアリーホテルですか。

 宮崎 オークラグループは現在、「オークラ プレステージ」というブランドを各地で積極的に展開しています。普通のホテルオークラよりワンランク上に位置付けられ、札幌でも、このプレステージを軸にプロジェクトが進められています。

 ――プレステージの規模感としては

 宮崎 客室規模で分かりやすく申し上げると、最小でも1部屋45平方㍍以上。それがラグジュアリーホテルの世界標準です。

 昔から言われていることですが、札幌は日本の主要都市にもかかわらず、本当のラグジュアリーホテルがありません。いわば空白地です。ぜひ「オークラ プレステージ札幌」を実現させたいですね。

 そもそも札幌は、私たちオークラグループにとって愛着が深い地でもありますから。

 ――どういうことでしょうか。

 宮崎 国内有数のジャンプ台である大倉シャンツェは、ホテルオークラの創設者・大倉喜七郎氏の名前に由来しています。

 秩父宮殿下から「我が国初の本格的なジャンプ台を」とのお話を喜七郎氏が頂戴し、私財の5万円(現在の約8億2000万円)を投じて大倉土木(現・大成建設)が工事を手がけ、1932年に完成しました。

 完成後、施設は札幌市に寄贈され、喜七郎氏の尽力に敬意を表して大倉シャンツェと命名されました。その後、山そのものも大倉山と呼ばれるように。
 大倉家と札幌との縁は他にもあります。

 喜七郎氏の父・喜八郎氏は、サッポロビールの成り立ちにも深く関わっています。明治時代に札幌麦酒醸造所の払い下げを受けたのが喜八郎氏でした。その後、NHKで放映中の大河ドラマで人気の渋澤栄一氏、浅野財閥の浅野総一郎氏と共にサッポロビールの前身となった「札幌麦酒会社」を立ち上げました。

札幌麦酒会社時代の麦酒ラベル。下部に「OKURA&CO」の文字がある
道内の各自治体などと協力して実施した「北海道を食べよう」フェア

観光需要がコロナ前まで戻るのは…

 ――縁ということでは、ホテルオークラ札幌は道内各地の食材を使った料理フェア「北海道を食べよう」をずっと続け、各地と縁を結んで来ました。

 宮崎 2010年9月の広尾町の食材をテーマにしたフェアを皮切りに11年間、開催してきました。

 ――地域の食材を使ったメニューをオークラの一流料理人が考案し、約1カ月間、レストランで提供するフェアです。道産食材フェアは他にもありますが、ここまで徹底して続けているのはまれです。

 宮崎 この9月は「帯広~広尾 南十勝夢街道フェア」を開催しており、閉館する20日には広尾町長がお見えになってくださるそうです。

 ――さて新ホテルの建設に話を戻します。候補地は絞られましたか。

 宮崎 現時点で申し上げるのは難しいですね。

 ――札幌都心では現在、3つの大きな再開発構想が動いています。JR新幹線駅前のプロジェクト、JR札幌駅南側の旧五番館跡地などの再開発、道銀本店ビルを含む平和不動産が主体の再開発です。有力候補は、そのどれかでしょうか。

 宮崎 う~ん、どうでしょうかね。あくまで一般論として申し上げるなら、事業性の観点で、その3つの再開発構想が高級ホテルの誘致を検討している可能性は高いでしょう。

 ――日本の観光需要が回復するのはいつでしょうか。

 宮崎 コロナ禍の落ち込みは、先ほど申し上げたリーマンショック時をはるかに上回っています。

 各国で航空会社の破綻が起き、経営統合も進み、さらに国内外で大型機材の退役が進んでいます。観光需要が回復した際、輸送力が従来通りに確保できるのか、という懸念もあります。

 ワクチン接種後のブレークスルー感染の問題もあり、予想はしにくいのですが、インバウンドも含めた観光需要がコロナ前の水準に戻るのは、2020年代半ば以降ではないでしょうか。

 ――最後に読者に向けたメッセージをお願いします。

 宮崎 現時点ではいつとは明確に申し上げられませんが、私たちオークラは必ず、愛着の深い、この札幌の地に戻って来ます。


……この続きは本誌財界さっぽろ2021年10月号でお楽しみください。
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