社長ブログ

北海道開拓を担った各地からの移住者に学ぶ (7) ― 久保田藩(秋田県)の北海道開拓

「十勝開拓の祖」「農聖」「拓聖」とも称されているのが、伊豆国出身の依田勉三。数多くの事業を手がけるもことごとく失敗に終わり、入植から37年後、ようやく途別の水田に穂を実らせます。

 途別水田跡に建てられている碑に、佐藤信景の名前を読み取ることができます。佐藤信景とはいったい何者なのでしょうか。依田も、佐藤の偉業に惹かれて蝦夷地に渡ったと言われています。

 1697(元禄10)年2月、6人の山伏姿をした一行が出和国(秋田県羽後町)を出航、蝦夷地に向かいました。箱館に着くと船で厚岸へ行き、その後釧路の奥阿寒山の麓「オセナム」に拠点を構えます。

 この北方の地で、誰もやったことのない水田・畑作を試みようというのが彼らの目的。一行を率いていたのが、出羽国の医師・経世家の佐藤です。

 彼らは現地に留まること3年。種々の工夫を重ね「初年度1斗9升、2年目2斗6升、3年目3斗1升の「籾(もみ)を収穫した」と「土性弁」に記されています。「土性弁」は信景が著し、孫の信淵(のぶひろ)が加筆した書物で、1724(享保9)年に世に出ています。

 最上徳内がアイヌの人たちに馬鈴薯の耕作を教えたのが1798(寛政10)年。それより100年も前に、東蝦夷地で米を生産したのが事実とすれば、驚くべき快挙です。

 北海道農政部が発表している「北海道農業の歴史」にも、佐藤が東蝦夷地に入って水田・畑作を1698(元禄11)年に試みたと記録されています。

 一方、元北海道大学教授の高倉新一郎氏は「米作に不適、寒さ厳しき厚岸で、しかも初歩的な方法で籾の収穫があったとする記述は事実なのだろうか」と疑問を呈しています。

 しかし依田がそうであったように、秋田県人を始め、多くの人々が北地開拓に希望を見い出し、心を奮い立たせたこともまた事実でありましょう。

 秋田県からの北海道移住者は、記録のある1882(明治15)年から1935(昭和10)年までで6万4067戸・約25万人を数え、青森県に次いで都府県別では第2位です。

 秋田からの入植者は北海道の日本海側がとくに多いとのことで、農業に加えて漁業に従事される人も多数来られたのではないでしょうか。

 明治3年には、前回紹介した四代目佐野孫右衛門が開発した定住型漁業で、174戸637人が釧路・昆布森・仙鳳趾(せんぽうし:牡蠣の名産地)に入植しました。青森県人らとともに、秋田県人もこの事業に多くの人が参加しています。

 屯田兵制度が発足し、琴似屯田兵村に続き設置されたのが山鼻屯田。秋田からは1876(明治9)年に21戸が参加しています。

 1886(明治19)年に開村した江別屯田兵村には18戸が、さらに根室に設置した東和田屯田兵村には32戸が入植。東和田屯田兵村は千島に面しており、対ロシア防衛の最先端で厳しい任務を背負わされました。さらに、農耕に適した土地ではなくご苦労が多かったと思われます。

 1892(明治25)年以降平民屯田になり、上旭川(15戸)美唄(6戸)高志内(1戸)東秩父別(1戸)士別(1戸)北湧別(2戸)と、全道各地の屯田兵村に点在して入営しています。

 秋田県からの屯田兵総数は118戸で、家族を含め387人を数えます。

 1910(明治43)年8月、関東を中心に大水害が発生。政府内務省長官は「永遠に自活していくためには北海道への移住が適切である」と移住を呼びかけました。その翌年、栃木・群馬などの6県とともに秋田県からも避難民が北海道に向かいます。

 秋田では、雄物(おもの)川の洪水が雄勝(おがち)郡と旧平鹿(ひらか)郡を襲い、翌1911(明治44)年に64戸182人が海を渡り、現在の常呂郡訓子府原野(現・置戸町)に移住。秋田集落をつくり開拓を進めていきました。

 1912(明治45)年、同じく雄物川の洪水を機に、秋田県雄勝郡(現・湯沢町)および由利郡から55戸の農業団体が枝幸郡中頓別町に入植。この地を秋田と名付けました。入植翌年の大凶作で食料が欠乏し、大半が開拓を諦めて郷里へ帰りましたが、残った者は造材人夫として山に入ったとのことです。

 また農業団体として、1903(明治36)年に上川郡・剣淵町、1917(大正6)年に枝幸郡・浜頓別町、1919(大正8)年に標津郡標津町(根室管内)に入植していることが記録されています。

 北海道内で、秋田県人が多く入植した地域には三吉神社が建てられています。道内には札幌、帯広、釧路、網走などにありますが、その本山は秋田市にある山岳信仰の大平山三吉神社(たいへいざんみよしじんじゃ)で、三吉霊神(みよしのおおかみ)が祀られております。墳墓の地を離れ、酷寒の地で開拓に勤しんだ秋田県人の心の拠り所となっているのでしょう。

 1878(明治11)年に大平山から分霊し翌年、現在地の札幌市中央区南1条西8丁目に三吉神社が鎮座されました。例大祭は5月15日。札幌の中心にあることから例年にぎわいをみせますが、本年は新型コロナによる緊急事態のため、子供みこし・神輿渡御は中止を余儀なくされました。