アスリートインタビュー

【砂川誠のコンサの深層】札幌大学サッカー部監督・河端和哉

2人の“教え子”がJ1選手に

 

 砂川 今回は札幌大学サッカー部監督の河端に来てもらいました。現役では1年一緒にやっています。

 河端 2004年にコンサドーレへ正式加入していますが、その前年の夏、札大在籍時に特別指定選手としてプレーしていますから、正確には1年半くらいです。

 砂川 その後、俺が16、17年シーズンにコンサに籍を置きながら札大のコーチに派遣されて、その後を継いだのが河端だった。

 河端 17年までで現役を引退して、すぐ母校の監督に。砂さんの構築した攻撃や発想が根付いていましたから、僕はそこに守備の部分を加えて今に至ります。

 砂川 俺が2・3年次、河端が4年次に指導した平塚悠知くんは、卒業後にJ2水戸ホーリーホックへ入り、今年8月にJ1のアビスパ福岡に移籍。われわれも後輩たちも、そういう子が出ると励みになる。

 河端 少しずつJリーグに選手を送ることができているので、道内外の高校から進学してくる、実力のある学生も増えてきました。

 今は100人ほどの部員がいて3カテゴリ、だいたい30人ぐらいに分けて指導しています。

 砂川 道内外で割合はどのくらい?俺の時は9割が道内だった。

 河端 道内は6~7割くらいですね。道外の高校に行って、大学は札幌に戻ってくる子が増えています。

 砂川 札大からはコンサにもよく練習試合や人手が足りない時に選手を貸してもらっている。

 河端 J1所属クラブのトップチーム、それもスタメン組と頻繁に練習試合を組んでもらっているので、学生にとっても素晴らしい環境。スタッフさんも含めて直接交流がありますし、一番身近なプロチームです。

……この続きは本誌財界さっぽろ2022年10月号でお楽しみください。


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(かわばた・かずや)1981年苫小牧市出身。札幌大学在学中の2003年に夏季ユニバーシアード日本代表に選出。同年コンサドーレ札幌の特別指定選手となり翌04年シーズンに正式加入したが、その年限りで戦力外となり退団。05年から当時九州リーグ所属のロッソ熊本(現ロアッソ熊本)に加入。10年にギラヴァンツ北九州、12年にV・ファーレン長崎へ移籍しJFL優勝とJ2昇格の原動力としてMVPも獲得した。13年途中からFC琉球へレンタル移籍、15年からラインメール青森FCを経て17年限りで現役を引退。18年から母校・札大サッカー部監督に就任した。