【斉藤こずゑのファイターズじゃないと♡】坪井智哉氏
名将から学んだ「考える野球」のDNAを選手たちに継承していく
監督就任は即決家族の存在が影響
斉藤 新型コロナの感染拡大のため、選手との対談企画は中止となります。今回はファイターズOBの坪井智哉さんにインタビューを行いました。
坪井さんは現役引退後、横浜DeNAベイスターズで打撃コーチを務めていましたが、今春から新たに誕生した独立リーグ・北海道フロンティアリーグに所属する石狩レッドフェニックスの初代監督に就任されました。在籍する選手の皆さんと打ち解けているようですね。
坪井 どうですかね?まだ探り探りの状態ですよ。それでも監督に就任して1カ月が経ち、各選手の性格はわかってきました。もちろん顔と名前も一致してますよ!(笑)
斉藤 あの坪井智哉さんが監督としてやって来るということで選手は緊張していたのではないですか?
坪井 合流初日(4月1日)に選手寮でミーティングをしたんですけど、その時は固かったですね。「この人はどんな人なのか」と様子を伺っている感じはすごく伝わってきました。
斉藤 その選手たちがいまでは坪井さんのことを「お兄ちゃん」のような存在だと話しています。
坪井 そうなんですよ。
斉藤 私は坪井さんのことを「お兄ちゃん」とは絶対に呼べない!
坪井 特に森康典投手は僕のことをナメてるんですよ(笑)。
斉藤 横浜DeNAベイスターズでずっとコーチをされてきましたが、選手との関わり方に変化は?
坪井 ベイスターズの時もこんな感じでしたよ。みんなから「坪さん」と呼ばれていました。(中田)翔や鶴(鶴岡慎也)など、ファイターズ時代の僕を知る選手は「坪さ~ん!」とフランクに呼ばれている姿を見て「え⁉坪井さんのこと坪さんって呼んでるの?やられるぞ!大丈夫か⁉」みたいな感じで驚くんです。
当然、レッドフェニックスの選手たちは僕のそういう一面を知らないわけですよ。でも、こずゑさんがバラしてしまったので、この記事を読んで「え~!」となるかもしれないですね。
斉藤 今回の監督就任までの経緯を教えて下さい。
坪井 北海道で毎年、野球教室とトークショーを開催しているのですが、コロナの影響で予定がズレて今年の1月中旬に開催することになりました。そこでオファーの話をいただいたんです。何かしらの形で北海道に貢献したいとずっと思っていたので結構即決で「やります」と返事させてもらいました。
あとは神戸の自宅で暮らす家族の存在が大きく影響しました。まだ小さい子どもいるので、家に帰りやすい環境を望んでいました。
斉藤 石狩レッドフェニックスではその希望が叶うのですか?
坪井 帰らせてくれるんですよ!石狩は試合が毎日あるわけではないので、スケジュールが空いた日を利用して帰っています。
斉藤 お子さんは何歳になりましたか?
坪井 長男が大学生、長女が中学2年、次男が小学2年です。長男は野球をやっています。長女はテニスにハマっていますね。次男は最近になって“野球もどき”的なことをやり始めました。
……この続きは本誌財界さっぽろ2022年5月号でお楽しみください。