アスリートインタビュー

北海道コンサドーレ札幌

【砂川誠のコンサの深層】鈴木啓太氏

「ここからサッカーが一番上手くなる」

砂川 鈴木さんは浦和レッズ選手時代に4年間ミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)の指導を受けて、主力として活躍していたね。

鈴木 はい。だからこそ僕は、ミシャさんが監督になると聞いた時点で「コンサは強くなる」と公言していました。コンサは監督より外国人FWを獲得したほうがいい、という声も聞こえましたが、それはなぜミシャさんのもとでチームが強くなるのか、その理由を知らない人の意見です。

砂川 ミシャがレッズに来た当初は、実際どうだった?

鈴木 最初にミシャさんから言われたのは「お前はここからが一番サッカーがうまくなる」ということ。監督就任前から僕のプレーをずっと見てくれていたようで、僕のプレーは何が正しくて何が正しくないのか、そして僕がなぜそのプレーを選択したのか、ということもわかっていた。その上でそう言ったわけです。

僕自身は「何を言っているんだ」と思いましたよ、正直。当時の僕はもう30歳で、日本代表でのプレー経験もあった。自分自身でもこれ以上は上手くならないと思っていたので、これから先はどれだけ自分のプレーの質を落とさないようにするかを考えていたので。

砂川 長年レッズの主力として試合に出ていたわけで、ある意味当然の反応だよね。

鈴木 自分の役割は、中盤の底でのリスクマネジメントとか、守備のオーガナイズだと思っていました。チームからもその役割を求められていると感じていて。自分がボールを触ること自体、ポジティブなことだと思っていなかった。ボールを持つのを恐れていたと言ってもいい。そんな僕にミシャは「何を言ってるんだ、ドリブルしろ、そうじゃなきゃつまらないだろう」と言うんです。

砂川 これまでの考え方が180度変わった。

鈴木 「俺にボールをよこせ、パスを出せ」と思うくらいには(笑)。ボールがこなければ3人目の動きをしてボールをもらいにいこう、という意識になった。自然とそういう動きが「イメージできてしまう」んです。

すると、毎日練習するのが楽しくなった。ミシャさんは就任直後、僕らに「練習場にサッカーをやりたいと思って来てくれたらそれでいい」と言いました。浦和レッズというチームには、いつでもプレッシャーがすごくかかっています。内心は試合をするのも恐かった。ミシャさんはそれも見抜いていて「お前たちはサッカーを楽しそうにやっていない」とも言いました。僕らが勝手に感じていたプレッシャーかもしれないですが、そこも大きく変わりました。

(構成・清水)

……この続きは本誌財界さっぽろ2019年1月号(12月15日発売)でお楽しみください。


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1981年7月8日、静岡県出身。東海大翔洋高校卒業後00年に浦和レッズ加入。守備的な中盤の選手として頭角を現す。06年、イビチャ・オシム日本代表監督のもとでA代表に初招集。06・07年にはJリーグベストイレブン、07年には日本年間最優秀選手賞を受賞。15年シーズン終了後に現役引退。その後研究開発企業「AuB」社長として実業家に転身、サッカー解説者としても活躍する