アスリートインタビュー

北海道日本ハムファイターズ

【斉藤こずゑのファイターズじゃないと♡】市川友也選手

チーム移籍がターニングポイント

「クビになるかも」と妻に告げた

斉藤 息子さんが2人いらっしゃいますが、何歳になりましたか。

市川 2歳と4カ月です。

斉藤 上のお子さんはお父さんが野球選手だということをわかっていますか。

市川 ん~、どうですかね。ただ、テレビ中継で応援はしてくれているみたいです。

斉藤 お父さんがテレビに映っているのを違和感なく見ているんですね。

市川 いや。中継では僕というよりもファイターズ全体を応援してくれているみたいで。

斉藤 そうなんですか!?(笑)。じゃあ、もう少し2人のお子さんが大きくなるまで活躍しないといけませんね。

市川 はい。ユニホームを着ている姿がわかるくらいまで現役を続けていたいです!

斉藤 ご自宅は東京ですよね。離れて暮らしていると、お子さんはお父さんのことを忘れたりはしないですか。

市川 結構、懐いてくれているので、それは大丈夫です。

斉藤 お子さんと一緒にいるときは何をして遊んでいますか。

市川 外にある遊び場に連れて行ってあげると喜びますね。家では一緒に走り回ったり、追いかけっこをしています。

斉藤 ご家族が観戦に来られたときの活躍率が高いですよね?

市川 そうですね。初ホームランも妻が息子を連れて応援に来た試合でした。

斉藤 奥様は野球に詳しいですか。

市川 いいえ。昔からあまり知らなかったですね。

斉藤 どちらがいいんでしょうね?

市川 僕は知らない方が楽ですね。家では野球の話にならないですから。

斉藤 これまでの野球人生で「ここがターニングポイントだな」ということはありましたか。

市川 やっぱりファイターズへのトレードです。ジャイアンツでの4年間は全然、結果を残せなくて、危機感がありました。妻には「クビになるかもしれない」と告げていました。

斉藤 そうだったんですか。そのときの自身の置かれた立場を考えたら、ファイターズでのいまの姿は想像できなかった?

市川 まったく考えられなかったです。

斉藤 ファイターズに移籍が決まったときの心境をいまも覚えていますか。

市川 ラストチャンスだなと思いました。ここでダメだったら、もうダメだろうと。でも、「まだ野球ができる!」という喜びもありました。

斉藤 実際にファイターズに加入してみていかがでしたか。

市川 結構自由な印象を受けました。個性を生かすというか。練習はそこまで厳しくないですし、自分のやりたいことができる時間もたくさん取れます。

斉藤 個々の選手に任せられている部分が大きいんですね。

市川 そうですね。自分次第というところはあると思います。

……この続きは本誌財界さっぽろ2016年8月号(7月15日発売)でお楽しみください。


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(いちかわ・ともや)1985年5月9日、神奈川県相模原市生まれ。O型。身長176センチ、体重81キロ。右投げ右打ち。東海大学付属相模高校、東海大学卒。社会人野球の鷺宮製作所を経て、09年ドラフト4位で読売ジャイアンツに入団した。13年シーズンオフにトレードで北海道日本ハムファイターズ加入。移籍後、1軍に定着。今シーズンは好調の有原航平投手の女房役としてチームを支える。背番号56