アスリートインタビュー

北海道コンサドーレ札幌

DF・石川直樹×MF・早坂良太 同い年のベテラン2人が語った「控えの心得」

若手の成長と結果を両立させる上で欠かせないのが、控えメンバーとして支えるベテランの存在。35歳の同級生2人は、プロとしての自負とチームへの貢献との狭間で、葛藤を抱きながら今シーズンも戦っていく。率直なその思いを聞いた。(取材日=1月11日)

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「悔しさを感じたことで“まだ終わっていない”と思った」(早坂)

――おふたりは今年35歳の同級生。若い選手の多いチームを支えるベテランとして、昨年は控えメンバーとしての出場が主でした。昨年とほぼ選手が変わらない中、今年も同様の役割を求められることが予想されます。そのことについての率直な心境は。

石川 昨シーズン、考えたことはたくさんありました。選手にとっては試合に出るのが一番大事なことですが、試合に出ることだけがすべてではないということを、30歳を越えてから学びました。サッカー選手としての自分だけでなく、そうではない立場の自分というのもあって、だからこそいろいろな楽しみ方ができるようにもなってきたと思います。

――石川選手は引退を考えていたそうですね。

石川 はい。昨シーズンはやり残すことはないようにしよう、と自分の中で決めてプレーしていましたけど、どこかにまだやりたいことがあって、もう1年サッカーをやりたいと思っている自分もいた。そんな気持ちでいる中、チームから契約延長のオファーがあったので、もう1年チームのためにプレーしたいと思えたんです。だから今年の方が「やってやろう」という気持ちが強い。ベテランだからチームを支える立場に、というだけではなく、もっと貪欲な気持ちが自然に湧いてきています。

早坂 僕も、同じようにいろいろなことを考えました。年齢を重ねて経験を積んできたことで、チームや監督が考えていることが客観的に理解できる部分があるわけですが、サッカーはピッチに立てる選手の数が決まっている。これまでは試合に出て当たり前という感覚でしたが、そうではなくなった時、自分の価値って何だろう、と。

――以前「30歳を過ぎたら辞めようと思っていた」と話していました。気持ちの変化はありますか。

早坂 そこは変わらず毎年、今シーズンが終わったら辞めてもいい、というつもりでプレーしています。でも昨年は試合に全然出ていない中で、そのことに対する悔しさがあった。悔しいと思う感情がまだあったんだ、と自分でも驚いたし、そう思うということは「サッカー選手として、俺はまだ終わっていないのかな」ということにもなるのだろうと。

石川 ミシャ(ペトロヴィッチ監督)の戦術は、ベテランにとって難しさがあるのは間違いないです。ミシャとは普段からよくコミュニケーションを取っていますし、僕らのことをリスペクトしてくれていることもすごく感じます。そして、クラブが僕らにどんな役割を求めているかも理解している。でも、1人のサッカー選手としては、いまのポジションにいることでのストレスが少なからずあります。そこは僕らで、お酒を飲みながら愚痴を言い合って発散していますが(笑)

こうした取材で、その点について聞かれた時にいつも話していますが、僕はスゲさん(GK菅野孝憲選手)と早坂の姿勢にすごく助けられているということ。2人とも心の中で思うところはあるけど、チームの前ではプロとしての姿勢を見せ続けている。すごいなって。その姿に日々、勉強させてもらっていますし、やるべきことはしっかりとやるという気持ちにもなる。

早坂 スゲさんはすごいと思いますね。GKは僕らのようなフィールドプレーヤーよりもっと出場機会が限られているので。いつ出場できるかわからない中でしっかり準備している。いろいろな思いをかみ砕いて受け入れているんだなと。

でも、こうやって悩めること自体が恵まれているとも思う。この年齢になると、そもそも契約してくれるチームは少ないので、そこは感謝してやるしかないとも思っています。

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「もう1年、サッカーをやりたい自分がそこにいた」(石川)

――昨年10月26日のルヴァンカップ決勝戦(延長含め3―3、PK戦の末敗戦)でのPK失敗について、あらためて振り返っていただきたいのですが。

石川 もう100回くらい聞かれています。

早坂 まぁ、みんな聞きたいよね(笑)

石川 あの試合が終わった直後は、ガックリ、という気持ちではありませんでした。試合前から出る、出ないにかかわらず悔いなく戦おうと決めていましたが、延長戦の後半に出場して、PKを外して優勝も逃しました。悔しさはもちろんありましたけど、悔いはありませんでした。あれが自分の実力だと思っていますし、あそこで自分が蹴りたいと思った結果についても、悲観していません。

――PKは蹴りたい人が蹴っていい、ということだったそうですね。

石川 そうです。5人目のキッカーに、誰も手を上げなかった。いままでの自分ならあの場面で蹴りたいと思わないのに……“お祭り”だったんでしょうね。蹴りたいと思えたので、手を上げて5人目になった。蹴りたいと思ったのは試合を楽しめていた証拠ですし、心底勝ちたいと思っていた。

チームとしては優勝が目標だったので、そこに関しては申し訳ないという気持ちがあります。でも、自分としてはこのサッカー界の中でも本当に得がたい経験をさせてもらった。これからは、それをどう生かしていくかということに力を注ぎたいと思います。あのPKがあったから何かを成し遂げられた、と言えるようにする責任が自分にはあるのかなと。悔しさはもちろん人一倍感じているからこそ、それを今年のプレーにつなげたいです。

――もう1年現役を続けたいと思わせる原動力にもなった。

石川 むしろ、それがすべてかもしれないです。あの後、もっとサッカーをやりたいと思った自分と向き合えましたから。あのPKが決まって優勝していたら、満足していた。やり切ったと言えたと思いますけど。

――早坂選手は何か声をかけましたか?

早坂 いえ、かけていないです。あのような場面での悔しさは本人にしかわからない。決勝まで行ってあんなにすごい試合をして、PKキッカーの1人になったということだけで素晴らしい経験。それをどうかみ砕くのかは本人次第。だからとくに何も。ただ、進藤のPKの蹴り方だけはちょっと……(笑)。あんな蹴り方は普段見たことがないから「見たことねぇよ!そんな蹴り方!!」と言いましたけど、それも彼の経験になるでしょう。

――2月16日から公式戦が始まりますが、意気込みは。

石川 個人としては、チームのためにプレーすることはもちろんですが、サッカー選手としてもっと貪欲にやりたい。自分自身では年齢の影響はそんなに感じていませんし、まだまだ全然動けています。試合に出るためにいままでやってきたものをベースとして、プラスアルファで新しいことを、肉体的にも精神的にもトライしていきたいと思います。

早坂 僕も自分が思っていた35歳のイメージと比べて、意外に体の不調はないですね。筋肉への負荷が2日後に来るとかはありますが。今シーズンも一日一日、楽しく自分らしくやっていきたいと思います。それができたらいろいろなことが自分にとってプラスになると思うので、それだけですね。自分の中の決断を、大事にしていきたいと思います。(ききて・清水)


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石川直樹(いしかわ・なおき)1985年9月13日、千葉県柏市生まれ。180センチ・74キロ。柏レイソルユースを経て04年にトップチーム昇格。08年7月にコンサへ期限付き移籍。11年にアルビレックス新潟、13年にベガルタ仙台を経て17年7月末にコンサへ復帰した。背番号2、DF

早坂良太(はやさか・りょうた)1985年9月19日、奈良県奈良市生まれ。183センチ・73キロ。静岡大学在学中に大学選抜へ選出。08年からJFLのホンダFCで社会人選手としてプレーし、10年にサガン鳥栖(当時J2)へ移籍。17年シーズンから北海道コンサドーレ札幌へ移籍。背番号26、MF