財界さっぽろ 2022年5月号のさわり

財界さっぽろ 2022年5月号

特集・ウクライナ戦争“ショック”

ミハイル・ガルージン駐日ロシア大使(左)と鈴木直道知事(2022年1月) ©財界さっぽろ

「21世紀になってもこんな残虐なことが起こるとは……」。毎日流れるニュース番組での現地映像を見ると、胸が痛くなる読者も多いだろう。

 ロシア軍がウクライナ侵攻を開始したのは2月24日のこと。戦況は長期化しその影響は世界中に拡大している。西側諸国は経済制裁・空域制限が強める一方、ロシア側も対抗策を次々と打ち出し、世界経済には計り知れないインパクトを与えている。

 本誌独自の視点で北海道への影響を総力取材した本特集。トップ記事は「北海道の貿易額、進出企業、姉妹都市……“近くて遠い国”ロシアとの関係を徹底分析」。

 ロシアとサハリン州(樺太)の南端・クリリオン岬と、北海道の最北端・宗谷岬の距離はわずか43キロ。北海道とロシアのつながりは、何よりもまず北方領土問題がある。日本側にとって80年近く未解決の状態が続く。このほかロシアからの来道者数、北海道の港湾を通じた貿易額、経済・人的交流など、双方の関係性を改めて調べてみた。

道銀ユジノサハリンスク駐在員事務所開設を祝うテープカット。写真左から3番目が堰八義博頭取(2009年3月) ©財界さっぽろ

 また北方領土返還運動を行う団体で、親子二代の語り部を務める母・娘の沈痛の叫び、資源開発を契機とした極東で道内企業進出の架け橋となってきた、北海道銀行のロシアビジネスの現状、資源産出国・ロシアの石炭と天然ガスを買い入れている道内インフラ企業2トップ(北海道電力、北海道ガス)への影響なども紹介する。

札幌地域労組・副委員長の“向こう傷半生”、花畑牧場・田中義剛に勝った闘士

札幌地域労組副委員長の鈴木一氏 ©財界さっぽろ

「生キャラメル」などで有名なタレント・田中義剛経営の「花畑牧場」。今春、同社で突如勃発したのが、ベトナム人従業員との労使トラブルだった。

 待遇を突如改悪した、などとして従業員は記者会見を開催。対する経営者側も作業を放棄したなどとして損害賠償を請求し、さらに名誉毀損でも告訴するなど、泥沼化するかに見えた。

 ところが3月中旬、一転して両者は和解する。和解内容を見る限りベトナム人従業員側の勝利といって差し支えないだろう。言葉もままならない異国の地で彼らはどうやって“勝利”を勝ち得たのか。そこで陰に日向に奮闘したのが「札幌地域労組」だ。

 従業員の一部が組合を結成。札幌地域労組と系列ユニオンとかちに加盟したが、そこで軸となって動いたのが札幌地域労組副委員長・鈴木一氏。彼こそは数多くの労使トラブルで勝利してきた、道内の一部の経営者や本道労働界ではつとに知られた存在だ。そんな彼の“向こう傷”を厭わない半生を追った。

“石川香織の手柄にさせたくない”帯広・広尾自動車道道事業化に横やりを入れた中川郁子

中川郁子氏 ©財界さっぽろ

「昨年の衆議院議員選で皆様に訴えさせていただいた(中略)豊似―広尾間(12・3キロ)の事業化が決まりました」

 今年3月、国土交通省は北海道横断自動車道(道東自動車道)と接続する十勝管内の「帯広・広尾自動車道」について、実際に建設が決まっていなかった最後の区間である豊似―広尾間の着工を決めた。

 地元自民党衆院議員の中川郁子氏は、自身のツイッターで冒頭のように報告。さらに「政治は結果です。これからも政府与党議員として、全力で責任を果たす(以下略)」とも投稿した。

 中川氏は昨年の衆院選で石川香織氏に再び敗れはしたものの、比例復活で国政返り咲きを果たした。広尾延伸の決定はその直後のこと。早速“仕事”をしたかのように見えるが、地元の受け止め方は違う。

「本来なら事業化は2年前に決まっていた。それに横やりを入れて遅らせたのは、他ならぬ郁子さんだ」との見方がある。その背景には、中川氏の石川氏に対する執拗な対抗心があった。

財界さっぽろが報じた、大物政財界人・文化人“令和への伝声”

池田勇人首相(右) ©財界さっぽろ

 財界さっぽろは1962年7月2日に設立。翌年11月には月刊誌「財界さっぽろ」が創刊された。以来60年間、日本を代表する政財界人、文化人が誌面を彩ってきた。

 インタビューや対談内での肉声には、令和の世でも通ずる金言も。そこで60周年を記念し、創刊後の歴史をひもとく全4回にわたる創業60周年特別企画を展開する。

 第1回の今回は1962~1977年の20人を紹介した(肩書は当時掲載のまま)。

松下幸之助氏(左) ©財界さっぽろ

 大野伴睦・自民党副総裁、佐藤栄作・北海道開発庁長官、池田勇人・内閣総理大臣、松尾静麿・日本航空社長、石田礼助・国鉄総裁、田中角栄・大蔵大臣、町村金五・北海道知事、三木武夫・通産大臣、福田赳夫・大蔵大臣、岩佐凱実・富士銀行頭取、岩田徳治、巖・岩田建設会長、社長、鹿内信隆・フジテレビ社長、松下幸之助・松下電器産業会長、石原慎太郎・作家、小佐野賢治・国際興業社長、大宅壮一・評論家、前田義徳・NHK会長、伊藤雅俊・イトーヨーカドー社長、水島廣雄・そごう百貨店社長、中内功・ダイエー社長――

連載・田中賢介、まだ見ぬ小学校へ(最終回)理事長が開校を語る

田中賢介氏 ©財界さっぽろ

「小学校」をつくると公言してから、2年間が過ぎました。ここまでの道のりはあっという間といえば、あっという間でした。いや、やっぱり長かったかな~。いろいろな感情が交錯しています――

 元プロ野球選手、北海道日本ハムファイターズSAの田中賢介氏の小学校がようやく“形”になった。田中学園立命館慶祥小学校が4月6日開校した。建学の精神は「学ぶを、幸せに。」学校目標は「世界に挑戦する12歳」だ。本誌では2020年11月から開校までの道程を記してきた。連載最終回は理事長・田中賢介に小学校への思いを改めて聞いた。

 北海道で、私立の小学校ができるのは、実に70年ぶりのこと。資金・収支面など、クリアしなくてはならないことがたくさんあった。「もうダメかもと思った」ことは3回ほどあったというが、諦めずに開校準備を進めていけたのは、「多くの方々の協力やサポートがったからです」と語る。

 学校目標にもあるように、田中学園ではチャレンジすることを重視する。さらに、チャレンジしたことでしてしまった失敗をより大切にしていく。それは子どもたちだけではなく、先生たちにも求める。「失敗をどんどん糧にしていきたい。そこが当学園の良さだということを浸透させていきます」と話す。このほか、田中学園をつくった意味・意義、校舎や先生たちについて、将来像などを明かしている。