ほっかいどうデータベース

今振り返る、私の思い出紀行 第六回 NECソリューションイノベータ 北海道支社長 荒谷 幸彦氏

中国人民大学での最後の日に教職員と留学生とで撮影した卒業記念写真

私の母校である北海学園大学での学生時代、1986年(昭和61年)の夏休みに行った中国人民大学での短期留学の旅が深く思い出に残っています。

この留学は大学校内にある中国人学生の学生寮が8月の夏休みの帰省で空くのを利用して実施されるもので、北海学園大学からは4人、関東の東海大学から20人、京都からの学生が4人、社会人の4人が成田空港に集まり出発。現地に着くとフランスなどヨーロッパからも10人くらいの学生が来ていて、計40人ほどが一緒に短期留学しました。

中国人民大学は北京市にあり、天安門広場から北西約8㌔㍍のところに立地。近くには北京外国語大学などいくつかの大学や文化施設、動物園などが点在する文教地区にあります。当時は文化系の大学でしたが、現在は理工学部も設けて、中国有数の総合大学となっています。

当時は日中国交回復後10余年で、対日感情も悪くはなく、日本の学生も積極的に中国に留学するような時期でした。

人民大学では、午前中が中国語の講義、午後が北京市内・近郊の観光や中国雑伎などの参観に時間があてられました。天安門広場をはじめとして故宮博物館となっている明・清時代の王宮「紫禁城」のほか、「天壇公園」や「万里の長城」など多くの名所・旧跡を訪れましたが、故宮博物館だけでもとても1日では見ることのできない中国というスケールの大きさを身に染みて感じました。

食事も楽しみの一つでした。普段は寮の食堂でしたが、何を食べても美味しく、豊富な食材を生かして、どの国からの留学生の舌にも合うよう工夫していることがうかがえました。夏の暑い時期でしたので、食事時には青島ビールも欠かさず飲んだものです。

また、大学の隣にある外国人向けのホテル「友誼賓館」もよく利用しました。全般に物価が安い時代でしたので、学生でも割り勘であればあまり懐を気にしないで北京ダックなどの高級メニューを注文できました。

人民大学での留学期間は約1カ月で、後半の2週間は修学旅行として上海、杭州、南京など南方地域を巡りました。気候風土も食べ物も北京とはかなり違う地域でしたが、それぞれに長く奥の深い歴史があり、広大な国土が持つ多様性の一端に触れ、一つの国として歩み発展していく大変さのようなものを感じました。

その後、社会人となってからもソフトウェア開発のプログラミング部分を大連に拠点がある会社に委託していた関係で、中国に渡航する機会が多くありました。聞き取りが少々と単語を話せるレベルの語学力でしたが、現地の人から中国語の発音を褒められたのは、やはりこの留学のお陰だったと思っています。

荒谷 幸彦氏