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2023年

好本達也氏(J.フロント リテイリング社長)「札幌店の強みは現地採用と大丸イズムの継承」

好本達也 J.フロント リテイリング 社長 

大丸松坂屋百貨店の持株会社であるJ.フロント リテイリング社長の好本達也氏。20年前、札幌店立ち上げに関わった中心メンバーでもある。当時の戦略から、今日に続く躍進の根幹を聞いた。(3月1日取材)

 

0からの設計で改革理論を実践

 

 ――札幌店開業の3年前、2000年に開設準備室部長に就任しました。

 好本 開設準備室室長だった小林泰行が00年の1月に辞令を受けました。その時点では、まさか自分がとは思いませんでしたので、1カ月後に辞令を受けた時は青天の霹靂でした。私ともう1人の部長がそれぞれ小林を支える役割でした。

 3月になり、初めて出張で札幌に入りました。とても寒い日だったというのを覚えています。翌日訪れた帯広では、気温計がマイナス20度を示していました。

 私が実際に札幌に移り住んだのはそこから1年後。小林は00年の春ごろには移住していました。小林はその後、初代店長に就任。私は婦人服部長になりました。

 ――当時の北海道や札幌はどのような様子でしたか。

 好本 1997年に金融危機があり、北海道拓殖銀行が破たん。日本経済にとっても、北海道にとっても大変厳しい時でした。そういう時期に出店をするわけですから、無謀だ、という見方をする人が多かった。

 百貨店の出店に際しては大きな投資が必要となりますし、リスクも伴う。札幌への出店は英断でした。

 同じころ、大丸では六代目社長の奥田務がローコストかつ高収益構造を目指して改革を進めていました。人員の適性配置・育成とリストラを敢行しました。

 既存店では人員削減はなかなか進みません。私も札幌店の前は心斎橋店にいましたので、その難しさは身をもって知っていました。

 この約5年間の改革の中で、会社としてさまざまな仮説や理論を立てることができました。このノウハウを用いて、札幌店をローコスト運営のモデル店とし、効率運営を徹底させました。

 札幌では知名度もなく、しがらみもなしに0から設計することができる。だったら思い切りやればいいと考えたんです。

 当時、札幌店のような規模の店舗には800人の社員が必要というのが業界の常識。しかし実際は400人台でスタートし、大半は現地採用でした。

 ――現地採用にこだわった理由は。

 好本 本州のスタッフを呼ぶと、どうしても経費がかかります。何より、地元を理解している人間が必要だという方針でした。

 立ち上げを支えてくれたのは転職組でした。百貨店、家電量販店、アパレル、金融機関など、たくさんの業種の方が来てくれました。

 当然、新卒採用にも力を入れました。立ち上げ時から、今も札幌で働いているスタッフも多いです。

 現地スタッフは開業の1年くらい前から採用し、研修を重ねました。大丸グループが営業改革を始めたときには、各店に販売員トレーナーがいました。この人員を札幌に呼び、教育しました。この業界は洋服を売っていても、食品を売っていても、個人に任せられる裁量が大きい。大丸のイズムを身につけ、個性も発揮する。トータルでは、そんな人材を育成しました。


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