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2023年

蒲生猛氏(北海道エアポート社長)を直撃「歯を食いしばった コロナ禍の3年」

蒲生猛 北海道エアポート社長

道内7空港の一括民営化の成功は北海道観光の飛躍のカギだ。ところが、第1歩を刻んだ2020年1月、新型コロナのパンデミックが始まった。想定外の猛烈な逆風にさらされ、運営会社・北海道エアポートはこの3年、試練に耐え続けてきた。

 

ビジネス需要はどこまで戻るか

 

 3年前の2020年2月、北海道エアポートの蒲生猛社長をインタビューした後、新千歳空港の国際ターミナルビルに足を運んだ。

 静まり返った様子に衝撃を受けた。長蛇の列がいつもできていた出発カウンターに目をやると、誰一人いない。列をさばくための金属ポールだけがずらっと無機質に並んでいた。

 火を見るより明らかだった。1カ月前に空港の運営事業を始めた北海道エアポートが苦境に陥ることは。

 しかし、コロナによる“乱気流”の出口がようやく見えつつある。蒲生社長に話を聞いた。

   ◇    ◇  

 ――時計の針を20年1月まで戻していただきたい。コロナの感染拡大が始まり、どんな心境でしたか。

 蒲生 最初は正直、ここまでの事態になるとは予想できませんでした。どんどん、しんどい状況になっていき、20年5月の新千歳空港の国内線旅客数は前年比約6%でした。未曾有の状況でした。

  ――当時の社内の雰囲気は。

 蒲生 当社は、航空貨物や燃料供給会社を始め各7空港の運営にかかわってきた方々、出資会社から来た方々が集まってできました。新たな体制でどうなっていくのかという不安と期待が入り交じる中、スタートのタイミングにコロナの感染拡大が起きました。社員のマインドを維持するのは難しかったです。

 ――社員にどんなメッセージを送ったのですか。

 蒲生 必ず回復期が来ると、機会をとらえて社員たちと話をしました。

 ――ご自身はどうモチベーションを。

 蒲生 絶対に会社をつぶさんぞと心の中で堅く誓っていました。体力の続く限り動き、やれることはすべてやる、と思っていました。

 コロナで大変厳しい経営環境が続きましたが、ある意味、足腰の強い企業にするための勉強をさせていただいたとも言えます。何が起きても耐えられる会社にしていこうと考えました。

 ――投資スケジュールの変更を迫られました。

 蒲生 道や各空港の所在自治体に頭を下げてまわりました。当初、約束していた投資の後ろ倒しをせざるを得ないと。ありがたいことに状況を説明すると、各自治体にご理解をいただきました。本当に感謝をしています。

 具体的には、約600億円規模の活性化投資の60%以上を、約400億円規模の更新投資については20%弱を先送りしました。

 ――今後、先送りした部分についてどうしていくのでしょうか。

 蒲生 22年度は回復傾向が続いているものの、この3年で600億円ぐらいの損害を受けました。マスタープランに提示した内容をナシにしようとは毛頭考えていませんが、それだけの痛手を被った企業として、また、コロナによる変化も考慮に入れて、投資のやり方やスケジュールはしっかりと考えていかなければなりません。

 ――コロナ禍でオンライン会議が急速に普及し、人の行動の変容も起きました。

 蒲生 その通りです。働き方は相当変わりました。

 羽田との利用者の半分近くがビジネス需要ですが、今後、この需要が完全に戻るわけではないでしょう。

 観光についても、少人数で動く流れが顕著になっています。そうした変化を前提として、どんな投資内容がふさわしいのか改めて見直していきたい。

 ――この3年の間、国からどのような支援策がありましたか。

 蒲生 3種類あります。受託事業期間を30年間から32年間に延長していただきました。それから運営権の分割金支払い分(年間24億円)の後ろ倒し。3つ目は無利子貸し付けで、22年度は58億円の枠を確保していただきました。

 空港所在の各自治体も、利用者増の施策を講じていただいています。

 もちろん、これらの支援の前提として自助努力を行っています。この3年で合計約100億円の事業費圧縮を行いました。

 また株主にお願いをし、22年3月には90億円規模の劣後ローン枠を設定することとなり、これを受け、金融機関からの支援も決まりました。

 私たちは、5者一体だと考えてています。

 ――5者一体ですか。

 蒲生 自社、株主、国、金融機関、各自治体の5者一体の協力体制で当社は運営を維持しているからです。


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