アスリートインタビュー

北海道コンサドーレ札幌

【砂川誠のコンサの深層】コンサオールズ会長・後藤義一氏を直撃!

プロアマ混成チームをまとめる

 砂川 後藤さんには9月26日に立ち上がったコンサドーレOB会「コンサオールズ」の会長を引き受けていただきました。後藤さんは1996年から3シーズン、所属されていましたね。

 後藤 もう20年以上前のことになるね。JFL初年度のコンサは、チームの元になった東芝所属選手と自分のような移籍組のプロ契約選手が半々くらいだったから、今振り返るとチーム事情が複雑で。

 砂川 初代キャプテンとして、それをまとめて来られた。

 後藤 苦労はしました(笑)。自分自身、プロ契約したのが92年からで、Jリーグも始まってまだ3年。プロとしてのノウハウがあったわけでもなくて。社員選手とも、とにかくコミュニケーションをとっていこうとしていましたね。

 ©財界さっぽろ

 砂川 当時の思い出は。

 後藤 厚別公園競技場でのホーム試合は、サポーターの声援も相まってすごく一体感が出るイメージで、プレーしやすかった。マラドーナの弟(ウーゴ)やバルデスといったFW、DFのペレイラ、GKにはディド・ハーフナーがいて、センターラインがしっかりした中でプレーできたのもあるね。

 砂川 後藤さんたち先輩がいらっしゃる間に行われた数々の試合とその結果から、厚別は今でもサポーターの間で“聖地”と呼ばれています。

 後藤 そうか、あのころからのサポーターにとって厚別は聖地なんだね。僕たちが当時言われていたのは「熱しやすく冷めやすい」という土地柄のこと。だから、JFL参入初年度の“熱い”間にしっかりサポーターを増やしていこう、ということだったね。

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 砂川 自分は札幌ドームでの試合が主でしたけど、そこで受けるサポーターの熱い思いは、厚別でつくり上げられてきたものだ、というのはずっと感じていましたね。

 後藤 それと、練習も当時は栗山町のグラウンドまで1時間くらいかけて移動して。終わった後は町内の温泉に入って帰る、という。そんな思い出が残っています。(構成・清水)

……この続きは本誌財界さっぽろ2021年11月号でお楽しみください。


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(ごとう・よしかず)1964年静岡県生まれ。清水商高から中央大学を経て古河電気工業サッカー部へ所属。同部がJリーグへジェフユナイテッド市原として参加する際の92年にプロ選手契約。J初年度の93年から市原でプレーし、96年にコンサドーレへ移籍。JFL参入初年度から3年間プレー。その後横浜FCを経て03年オフに引退。同クラブ下部組織コーチやJFLのアルテ高崎監督などを経て現在、東京国際大学サッカー部ヘッドコーチを務める。