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Interview

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「成長持続の秘けつは“創造的破壊”にあり」掲載号:2009年9月

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岡田卓也 イオン 名誉会長 

(おかだ・たくや)1925年、三重県四日市市生まれ。46年岡田屋呉服店社長。48年早稲田大学商学部卒業。59年岡田屋に社名変更。70年ジャスコに社名変更。84年同社代表取締役会長。2001年イオンに社名変更、名誉会長相談役。

イオン創業者の岡田卓也名誉会長は、同グループを名実ともに国内トップの流通企業へと育て上げた。戦後の焼け跡からの再興、合併によるジャスコ誕生、全国チェーン展開、多角化など、その歩みは戦後小売業の歴史そのものだ。

イオンの発展は規制との戦いの歴史

――戦後の流通業の発展は、御社発展の歴史でもあります。その中で名誉会長が果たしてきた役割は極めて大きいものがあります。
岡田 士農工商というのが江戸時代からあります。小売業は一番下の「商」の中でも零細企業で、社会的地位が低かった。そういう時代がずっと続いてきました。ただし、百貨店は別物で呉服商から成長してきた。かつて日本で近代的な小売業は百貨店だけでした。
戦後、新しい業態として生まれてきたのがスーパーマーケットやGMS(総合スーパー)。それらは比較的早く近代化を進めていきました。一方で百貨店は戦前から百貨店法という法律で保護され、新規の参入を制限するということが続きました。
ただし、百貨店法の対象は企業単位でしたから、合併などで複数の会社を重ねれば、合法的に逃れることができました。それで食品を中心に衣料品なども扱うGMSが、どんどん出てきたわけです。ところが、今度は建物の制限ということで、大規模小売店舗法というのができました。
――規制ばかりですね。
岡田 私どもの歴史は規制との戦いでした。最近でこそ、「生活者のために」とか言われるようになりましたが、以前はそういう言葉はまったくなかった。GDPの60%が個人消費であるにもかかわらずです。その後、大規模小売店舗法は改正され大規模小売店舗立地法になりましたが、極端に言うと「競争なき中での競争、成長」。日本の流通業は本当の競争をやっていないのではないかと、私はそう思うわけです。
それが最近、欧米先進国並みの流通業に近づいてきました。典型的な例でいえば百貨店業界がずいぶん大きな変革をしています。私は、百貨店は政令指定都市以外で成立しないと思っているのです。地方の百貨店はほとんどなくなるのではないでしょうか。
ほかの分野においても非常に大きな変革があり、GMSもその波にさらされています。スーパー業界に、これだけ多くの企業がある先進国は日本だけです。これは規制で守られてきたということに原因があります。それが、これからはどんどん変化していくでしょう。

若くなければ時代 について行けない

――20年から30年ごとに社内体制を一新させていますね。
岡田 一般的に企業の寿命というのは30年と言われています。私は戦後、軍隊から帰ってきて家業を継ぎました。焼け野原の中で40坪の店をつくり、25年ほどたったときに、合併という手段でジャスコをつくりました。それから、各地のスーパーに話を持ちかけて、ジャスコをナショナルチェーンにしていきました。
そうやっているうちに、あっという間に20年が過ぎました。20年というのは、企業としては老齢期目前というころです。それでどうしようかと考え、1989年にグループ名をイオングループに改めました。実は84年に58歳で社長を辞めたとき、体質が変わるかなと思ったのですが、なかなか変わらなかった。それで体制を一新するためにグループ名を変えたのです。
小売業は、信頼をなくしては成立しないと思う。だからグループ名変更と同時に、社会貢献のためのイオン1%クラブと環境保護のためのイオン環境財団を、私の持っていた株式を基本財産にしてつくりました。環境財団では植樹や環境NPOなどに助成金を出したり、1%クラブでは東南アジアに学校をつくったりしています。
さらに現在につながる基本路線も構築しました。
――どういうものですか。
岡田 基本的に小売業は平和産業であるということ。日本は平和ですよ。だけど必ずしも平和ばかりでなく、戦争の道具をつくっているところもあるわけです。小売業はそういうこととはまったく関係ないですからね。小売業は、そのことにもっと誇りを持つべきです。
だから、イオン、イオングループというのは平和産業。同時に小売業は地域産業であり、人間産業でもあると。そして絶えず革新をし続ける企業集団がイオングループであるということを決めたのです。
そういう基本的な考え方を確立し、21世紀になったものですから、2001年に環境財団の理事長とイオン1%クラブの委員長以外の職は全部、辞めました。その時に社名もジャスコからイオンに変更しています。
――創造的破壊とでも言えばいいんでしょうか…
岡田 お客さまも世の中もどんどん変わっていきます。流通業界でも、その間に成長した企業があります。北海道では「ツルハ」や「ニトリ」などがそうです。これはお客さまが変わり、時代のニーズが変わったから成功したわけです。
しかし、時代の変化は早くなってきてますから、それに対応できない企業は滅び去っていきます。かつて私どもが「一緒にやりませんか」と声をかけた企業が全国にあるのですが、断ってきた会社もありました。当時、地域でのトップクラスの企業ばかりだったのですが、いま、その企業がどうなっているかというと、ほとんどありません。
変化に対応するためには、自らも変わらなければいけません。変わるために企業は常に若くなければならない。年を取っては変われません。だから一度、古い殻を脱ぎ捨て、生まれ変わる必要があるのです。

いまの規模では国 際競争に勝てない

――イオンはかねてから世界に通用する企業集団になることを目指してますね。
岡田 海外、特にアメリカではかなり業界再編が行われました。日本はこれからです。イギリスやアメリカのスーパーマーケットは、4兆円から5兆円の売り上げ規模があります。しかし、日本は、食品スーパー日本一といわれるライフにしても4000億円です。
売り上げの規模が一けた違う。これは日本が規制、規制で来たからです。ただ、あと5年もたてば、業界は様変わりすると思います。というのも、いまのまま では規模の点で国際競争ができなくなります。これからは外資も含めて大きな競争になる。当社もそれに対応していかねばなりません。
――農業への参入が報じられましたが、北海道での展開はあるのでしょうか。
岡田 北海道ではかつて、コメはあまりとれませんでしたが、いまや温暖化で日本一のコメどころになっています。しかし、コメは個人しかつくれない。戦後、誰かがそう決めてしまった。個人というのは零細ですよ。それで60年間やってきた。
農業はこれから大きく変わります。変わらなければならないところにきている。北海道は有望ですよ。これだけ広い土地があるのですから。ただ、加工は少な い。原材料の供給だけで終わっているところに大きな問題がある。しかし、原材料供給も、だんだんと近代化された産業へと変わっていけば、それによって加工 もまた、ずいぶん変わってくるのだろうと思います。
――今後、どういう変化が出てくると見ていますか。
岡田 戦後、大きく変わったのはモータリゼーションです。これでまちや店舗立地が大きく変わった。シャッター通りと呼ばれる駅前商店街などは、この変化からできてきたものです。
これからは高齢化社会。特に地方の場合は人口の構成が変わってきます。それに大都市一極集中で地方の疲弊はまだまだ進むでしょう。そして何より環境問題です。これは産業を根底から変える可能性があります。
そうした時代の変化に機敏に対応していくことが、これからは大きく求められるようになってくると思います。

=ききて/坂井=