アスリートインタビュー

北海道日本ハムファイターズ

【斉藤こずゑのファイターズじゃないと♡】植村祐介氏

若手の雄姿をスタッフみんなでテレビ観戦

投手から未経験のブルペン捕手に

斉藤 ファイターズにたずさわって、もう何年になりますか?

植村 2019年シーズンで13年になりました。長いようで、あっという間でした。現役が7年間、球団スタッフが6年間です。

斉藤 北海道が第2の古里というか、愛着を持っていますか?

植村 そうですね。個人的には北海道に育てられたと思っています。高校で北海道にきていなかったら、プロにも行けていなかったはず。ですから、大事な場所になっています。

斉藤 プロ7年間を振り返っていかがでしたか?

植村 苦しかったというのが正直な気持ちです。

斉藤 まず、その言葉がでてくるんですね。

植村 そうですね。ほとんどをファームで過ごし、満足のいくシーズンは1度もなかったかな、と。

斉藤 同期入団は吉川(光夫)投手ですね。

植村 唯一、残っているのは光夫だけですね。トレードでジャイアンツからまた戻ってきましたからね。高卒で一緒でしたから、とくに頑張ってほしいです。

斉藤 戻ってくることが決まったときの感想は?

植村 「まさか!?」と思いました(笑)。

斉藤 当時はマー君、ハンカチ王子世代ですもんね。

植村 入団時期は違いますが、佑ちゃんも同い年です。2人とは球場で会ったら必ず何か話しますね。

斉藤 球団スタッフに転身する際、悔しい気持ちがあったりは?

植村 全然なかったんですよ。現役の最後は肩も壊してしまっていたので。もっとやれたとか、そういう思いはありませんでした。

斉藤 気持ちの整理がついていたんですね。

植村 はい。球団から声をかけてもらって、野球に引き続き携われるという喜びのほうが大きかったです。球団には感謝しています。

斉藤 球団スタッフとして、どのような仕事を?

植村 最初は一軍のバッティングピッチャーを2年間やりました。その後、ファーム担当になりました。ファーム1年目もバッティングピッチャーでしたけど、2年目以降はブルペンキャッチャーが主な仕事です。

斉藤 ピッチャーからキャッチャーに転じたんですもんね。どうしてまた?

植村 大きな理由は人手が足りなかったんだと思います。ただ、そもそも僕、キャッチャーの経験がなかったんですけどね。

(構成・竹内)

……この続きは本誌財界さっぽろ2020年1月号(12月14日発売)でお楽しみください。


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(うえむら・ゆうすけ)1988年7月5日、大阪府生まれ。O型。右投げ右打ち。北照高校卒。06年高校生ドラフト3巡目で北海道日本ハムファイターズに入団。12年にプロ初勝利をあげる。13年シーズン限りで現役を引退。その後、球団スタッフに転身。バッティングピッチャーをへて、現在はファームのブルペンキャッチャーとしてチームを支える