アスリートインタビュー

北海道日本ハムファイターズ

【斉藤こずゑのファイターズじゃないと♡】村田和哉氏

子どもたちの野球に対する思いを育む

現役時代には知らなかった裏方の姿

斉藤 ファイターズ選手にインタビューをしてきた今コーナー、シーズンオフはチームOBにお話を聞いていきます。初回は私のリクエストで、ベースボールアカデミーコーチの村田和哉さんです。

“われわれ”は現役時代から村田さんを追いかけてきました!番組にはリスナーからいまだに村田さんへのメッセージが届きます。

村田 本当ですか!?ありがたいです。

斉藤 昨シーズン限りで現役を引退し、昨年12月から現職です。どのような活動を?

村田 主に小学生を対象とした野球教室を道内各地でおこなっています。シーズン中は多いときで月10回程度。中学生を教えることもあります。

斉藤 参加する子どもたちは村田さんのファイターズ時代を知っているでしょう。喜ばれるのでは?

村田 そんなことないですよ(笑)。プロで活躍できなかったので。

斉藤 いやいや、そんなことはないと思います。われわれは村田さんの活躍ぶりをしっかりと見てきました!チームは見事、日本一に輝きました。おめでとうございます。

村田 球団職員と選手OBという両方の喜びがありました。クライマックスシリーズと日本シリーズを見ていて、北海道のファンの力はすごいとあらためて感じました。日本シリーズはその象徴だったと思います。広島で2連敗して北海道に戻ってきてファンのつくってくれた雰囲気というか、勢いで一気に日本一になることができたのではないでしょうか。

あと、球団職員になって「スタッフもチームを熱く応援してくれていている」と感じました。事務所内には試合経過が映像で流れています。チームに点が入ると「よっしゃー!」と歓声が上がります。「こんなにも喜んでくれるんだ」と感動しました。選手時代にはわからないことでしたから。

斉藤 2014年限りでファイターズを退団し、15年は独立リーグ「BCリーグ」の福島ホープスで選手兼任コーチとして1年間プレーしました。福島での生活はどうでしたか。

村田 福島に行ってよかったと思っています。独立リーグは待遇面を含め、決して恵まれた環境にはありません。

ただ、本当にプロに入りたい気持ちがあるのなら、野球に集中できるので、独立リーグはいい場所かなと思います。

斉藤 ホープスからオファーがあり、独立リーグ行きを決めたんですよね。

村田 はい。ファイターズから戦力外通告を受け、その後、NPBのチームからオファーがなかったら福島に行こうと決めました。コーチ兼任での打診だったので「指導者としても何年か修業をしよう」と思いました。

斉藤 奥さまとは福島に行くときにご結婚されたんですよね。ご自身の野球人生の中で、つらい時期でのご結婚だったのでは?

村田 そうでしたね。ファイターズを戦力外になったあと、彼女が「移籍先が決まったら教えてね」と言ってくれていました。そして「でも、私に相談する必要はないから。決まったところに一緒について行くから」とも。

僕としては、まさか独立リーグまで付いてきてくれるとは思っていませんでした。ある日、彼女に「福島ホープスに決まった」と伝えたら、間髪入れずに「そうなんだ。じゃあ福島に行くね」と言ってくれました。これはただ連れていくわけにはいかないと思い、結婚を決意しました。

斉藤 すてきですね。結婚生活はいかがですか。

村田 楽しいです!ケンカすることもなく仲良しです。もっと早く結婚しておけばよかったとも思っています。

妻は札幌出身でファイターズ時代から付き合っていたのですが、現役時代は遠征や二軍の鎌ケ谷暮らしで、一緒にいられる時間が少なかったので…

斉藤 私と村田さんの行きつけの居酒屋が一緒なんですよね(笑)。最近行っています?

村田 全然行けていないんです。

斉藤 どうして?

村田 妻の料理がおいしいからです!

斉藤 なるほど。だから遠ざかっているんですね(笑)

(構成・竹内)

……この続きは本誌財界さっぽろ2016年12月号(11月14日発売)でお楽しみください。


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(むらた・かずや)1985年7月23日、千葉県流山市生まれ。B型。右投げ左打ち。中央大学卒。07年大学生・社会人ドラフト4巡目で北海道日本ハムファイターズに入団。身長165センチ、体重65キロの小柄ながら、現役時代は俊足巧打の外野手として活躍。14年にファイターズを退団し、独立リーグ「BCリーグ」の福島ホープスで選手兼任コーチとして1年間プレー。その後、現役を引退し、現在はファイターズのベースボールアカデミーコーチとして後進の育成に取り組んでいる