【さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー】第02回・個性派チェーン満開の時代

 月刊財界さっぽろ2020年12月号より、新連載「さっぽろ〈マチナカ〉グラフィティー」が始まりました。

 筆者は札幌市の出版社「亜璃西社」社長でエッセイストの和田由美さん(写真)です。和田さんはこれまで「和田由美の札幌この味が好きッ!」といったグルメガイドブックや「さっぽろ狸小路グラフィティー」「ほっかいどう映画館グラフィティー」といった、新聞・雑誌等のエッセイをまとめた書籍を多数刊行されています。

 今回の連載では、札幌市内の「通り(ストリート)」や「区画」「商店街」「エリア」などの「マチナカ」(賑わいのある場所)を、毎月1カ所ピックアップ。その場所について、名前の由来や繁華街となっていく上での経緯、さらに現在に至るまでの変遷といった歴史と記憶を綴ります。

 今回は第2回「個性派チェーン満開の時代」です。

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ドリームチェーン経営の「艪便村来想」 ©財界さっぽろ

 若い頃、〝ススキノの女王〟と呼ばれたことがある。決してうれしい呼び名ではなく、私が営むタウン情報誌の編集部がススキノにあり、昼も夜も道端で業界関係者と出会っていたからだと思う。実際はビンボーヒマなしに働いていたからで、飲み歩いていた訳ではない。

 事務所が入るビルは市電の曲がり角(南4西7)にあり、真向かいにL字形の飲み屋街・南新町と、それに並行して屋台団地(焼ツブの屋台から始まった私娼街)があった。

 たまに仕事を早く終えた帰りがけ、そこのお姉さんに「口開けだから安くしておくよ!」と声をかけられ、私がむっとして睨みつけると、すぐに謝ってくれた。どうやら男と間違えたらしい。

 何度も間違えられ、お詫びにお姉さんからリンゴを貰ったこともある。当時の私は、いつもジーンズ姿で髪も長かったから、1970年代初めによく居た、ヒッピー風の若者と勘違いされたのだろう。

 それはさておき、その頃のススキノには、幾つものチェーン店があった。私が最初に飲みに行ったのは、高校時代の女友だちが教えてくれたスナック「バー・サン」(64年開店。南4西3、第1グリーンビル)。後にスナック「月火水木金土」、パブ「艪便村来想(ロビンソンクルーソー)」、居酒屋「いろはにほへと」「春夏秋灯」などで一世を風靡する〈ドリームチェーン〉の最初の店で、オーナーは絵が上手で芸術家タイプの菊地日出男さんだった。

 バー・サンでは、友人のボトル〈ブラックニッカ〉の水割りを飲ませてもらい、初めてボトルキープというシステムの存在を知った。当時、カウンターの横でピアノの弾き語りをする若い女性がいて、それが後に「ソワレ・ド・パリ」でシャンソン歌手として活躍する、若き日の神山慶子さんだった。

氏家商事経営の「青春の館」は若者のススキノ登竜門 ©財界さっぽろ

 菊地さんに続いたのが、氏家俊雄さん率いる〈氏家商事〉である。ヒット曲のレコードをディスクジョッキーがかけるスタイルで人気を呼んだ「青春の館」(南5西4、アルトビル5階)は、低料金なので私たち世代にとってススキノ登竜門であった。
 ほかにロックンロールとジンギスカンの店「文明開館」、将棋居酒屋「飛車角」、ディスコ「生羅栗巣樽(なまらくりすたる)」などユニークな名の店が多かった。

 しかし、当時の私が一番驚かされたのは、室谷隆志さんが手掛けた店の一つ「薄野霊苑」(南4西3、第2グリーンビル)。洞窟のように暗いアプローチを抜けると、天井に盆提灯、棚に並ぶボトルには名前入りの位牌が使われ、カウンターには墓参用の手桶まであった。

室谷さんの演出に驚かされた「薄野霊苑」 ©財界さっぽろ

 まだ若かった私は、余りの見事な演出ぶりに度肝を抜かれ、ほうほうの体で逃げ出したもの。ほかにも「ノートルダムのせむし男」「シバの煉瓦洞」「海賊船」など奇妙な名の店が多く、近づかないようにしていた。

「喰いしんぼさんの味方!」がキャッチフレーズの〈はせ川チェーン〉は、札幌グランドホテルの元コックだった長谷川義一さんがオーナーを務めた。近江牛の「仙洞座所」を始め、「さっぽろっこはせ川」「DONはせ川」「喰処番屋」「北海道時代」などなど、隆盛時は10店舗余りを擁した。

 私にとっては、鬱々とOL生活を送っていた頃、大通南5丁目にあった系列店「レストランはせ川」で食べたハンバーグの旨さが忘れられない。田舎町で育った私が、生まれて初めて味わった本格的な牛肉のハンバーグだったからだ。

 最後に、友人だった通称「TOSHI(トシ)」こと浜野敏和さんの店について書き留めておこう。五木寛之のエッセイ集『風に吹かれて』にも登場する九州男児のトシさんは、私の南高時代の同級生とドイツのフランクフルトで知り合い電撃結婚。しかも札幌でオープンすることになった店で、宣伝を兼ねて結婚式を行うというので二度びっくり。それが、後に札幌の文化シーンを盛り上げた喫茶「佛蘭西市場」(71年8月開店、南5西2)である。同年11月には隣接してスペイン酒場「TOSHI」も開いた。

 トシさんは佛蘭西市場の2階をフリースペースにして、映画の自主上映会、演劇、朗読会、パーティなど多彩なイベントに開放した。黒テント札幌公演の打ち上げ、大島渚監督との交流会、ベストセラー『札幌青春街図』の出版記念会などが、私には懐かしく思い出される。

 骨董と絵画と映画をこよなく愛した彼は、美術関係にも顔が広かった。トシさんの片腕だったター坊こと藤村忠義さんと、佛蘭西市場に隣接するスペイン市場TOSHIを拠点に、その社交性を余すことなく発揮。札幌でも珍しい文化サロンを育て上げ、70~80年代における札幌のサブカル文化を下支えした、と言っても過言ではない。

 おまけにアイデアマンで、当時は珍しい日替わりコーヒーを出す喫茶「夢夢市場」や、アンティークな雑貨が揃う洋風居酒屋「日本市場」など、ユニークな店を次々と展開。中でも画期的だったのは、銭湯をイメージして入口を男湯と女湯に分けた酒房「銭湯」で、全国的にも話題を呼んだ。

 振り返ってみれば、破天荒でやんちゃな個性派オーナーたちが、全盛期のススキノを如何に面白くしていたかがよくわかる。

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