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「希望の光」と称賛される世界が認めた日本人。金井昭雄富士メガネ会長兼社長が語る企業とボランティア
取材日:2019年2月

写真大 (かない・あきお)1942年樺太生まれ。札幌南高、早稲田大学第一商学部を卒業後、米国に留学。72年カリフォルニア州オプトメトリー営業ライセンス取得。73年に帰国後、富士メガネに入社。96年に社長就任。2006年に会長就任。日本人初の「ナンセン難民賞」受賞。09年「緑綬褒章」受章。13年「渋沢栄一賞」受賞。17年「旭日小綬章」受章。富士メガネは、父・武雄氏が1939年に樺太で創業。現在道内56店、道外11店を展開。

写真 アントニオ・グテーレス第9代国連事務総長(左)とは10年以上の親交がある(富士メガネ撮影) 写真 2016年のミッションでは親子3人で支援活動を実施。左から次男の邦容カリフォルニア大学助教授、長男の宏将副社長、昭雄会長兼社長 写真 北海道胆振東部地震での視力支援活動

 今年で創業80周年を迎える富士メガネ。道産子ならずともお世話になったことがある人も多いだろう。しかしその会長兼社長である金井昭雄氏が、難民・国内避難民への視力支援で世界的に認められた人物であることはあまり知られていない。支援を開始してから37年。その活動を振り返ってもらった。

【見る喜びを提供するプロフェッショナル】

 ――創業80周年を迎えられますが、率直なお気持ちをお聞かせください。

 金井 目が見えるというのは当たり前のことのように思いますが、「ものが見えづらい」「視力が落ちている」という人にすると、普通の生活をするにも目に違和感を覚えます。当社はメガネを売ることが仕事ではなく、〝プロフェッショナルなメガネ店〟として「見る喜び」を国内外に広げることがモットーです。この80年間、メガネを通じてたくさんの人に見える喜びを提供してきたと思うと、感慨深いものがあります。

 ――松下幸之助氏に「世界一のメガネ店」と称されたという先代の有名なエピソードがありますね。

 金井 提供するサービスは高度でさまざまな要素があります。サービスとは、業績を上げるということではなく相手のことを思うこと。それを評価していただいたことが当社の誇りでもありますし、受け継いでいくべきものでもあると思っています。

 ――海外難民への視力支援活動も古くから続けていらっしゃいます。今年は、活動を開始されてから37年目を迎えました。

 金井 CSR活動、今は国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)とも言われるようになりましたが、37年前はボランティア活動で海外に行く人もほとんどおらず、そうした仕組みはもちろん、考え方すらもありませんでした。そんな中でのスタートでしたのでトラブルも多く、続けてこられたのはお客さまや社員、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や多くの国々のみなさんに支えられたからだと思っています。

 ――初めての訪問地はタイと聞いています。

 金井 それまでは創業記念日に学校にピアノを寄付するなどしていましたが、当社の専門性を生かせないかと考えをめぐらせていた頃、1983年にインドシナ戦争で多数の難民がタイに流れ込んだのです。しかも視力が十分でない人がたくさんいることを知りました。そこで1000組のメガネを持ってキャンプ地を訪問したのですが、日本人とは逆に遠視の人が多かった。近眼というのは細かな仕事や勉強に熱心な国では多いのですが、発展途上国では全く反対で、持っていったメガネの7〜8割方が近眼用だったので、ほとんど合わなかったんです。そこでバンコクの工場を借りて調整したり、日本に戻って手直ししてからタイに送るなどしました。遠視は手元が見えづらいですから、視力の回復は日々の生活に直結していたので大変喜ばれました。

 ――手探りのスタートだったんですね。

 金井 当時は、現地政府との連絡や、訪問先となる学校や病院の選定、通訳など、日本国内でそうしたノウハウを持っている人も組織もありませんでした。しかし翌84年に、UNHCRから現地におけるパートナーとしての申し出を受け、新品のメガネの寄贈ができるようになりました。

 ――そこから海外難民支援が本格化するんですね。

 金井 そうです。近眼と遠視の話もそうですが、日本では考えられないようなことがたくさんありました。私も近眼ですが、その10倍を超える重度の人や左右で大きく度数が違う人もいました。また気候風土でも目の状態は違います。赤道直下で暮らす人の中には強い紫外線のためにひどい白内障の人もいましたし、空気が乾燥していたり、風が強い地域では、眼の表面に充血した組織ができている人も多かった。難民キャンプは食事もイモなどの炭水化物が多く、血糖値の上昇によって視力障害が出ている人も多い。

 ――印象に残っている出来事はありますか?

 金井 特に記憶に残っているのが、3人の息子さんを戦争で失ったアゼルバイジャンのおばあさんです。息子さんが写った写真を見たいと言っていて、それに合わせてメガネをつくりました。また、遠視が強くて斜視のひどいお子さんがいたのですが、トライアル用のメガネをかけた途端に目が正常に戻り、お母さんから「魔法のメガネ」と言われたこともありました。

 ――世界には視力で困っている人が多いんですね。

 金井 私たちはメガネを提供させていただいていますが、現地に行ってみると自分の目がどういう状況かを知りたいという人が圧倒的に多いんですね。子どもを連れてきて「自分の子どもはよく見えているのか?」という親御さんもたくさんいます。我々は、戦争や紛争など難民発生の状況を通して同時に世界情勢を見ているのだと実感しています。 

 ――UNHCRのお話が出ましたが、国連事務総長であるアントニオ・グテーレス氏からも厚い信頼を得ていると聞いています。

 金井 グテーレス氏は2005年からUNHCRのハイコミッショナーを務め、06年に私が「ナンセン難民賞」を受賞したときにはメダルとともに素晴らしい祝辞をいただきました。それ以降、ことあるごとに連絡をくれ、年に1回程度会うこともあります。昨年も当社の難民支援活動についてまとめたDVDができたので国連に送付させてもらったのですが、直筆メッセージ入りでお礼のカードを送ってくれました。本当に義理堅い人です。

 ――「ナンセン難民賞」を受賞した10年後の16年には、金井さんが変わらずに支援活動をされているということで「ヒューマニズムの象徴的存在」として「ナンセン難民賞」の授賞式に招待されました。

 金井 その場ではアゼルバイジャンでの活動を収めた映像が放映され、出席されていた方から大きな拍手をいただきました。37年間、支援活動をおこなっていますが、やはり継続することが重要だと感じています。

 ――本当に世界的な賞も数多く受賞されていますが、ナンセン難民賞は日本人初受賞で現在でも唯一。また日本資本主義の父ともいわれる「渋沢栄一賞」も受賞されている。直近でも2月下旬に日本フィランソロピー協会から選考委員長特別賞を受賞されています。

 金井 受賞は結果的にそうなったということで、それを目指していた訳ではありません。自分ができることをじっくりと積み重ねてきた結果だと思っています。

【親子3人が同じ資格を持ち支援活動】

 ――継続ということでは、副社長の金井宏将さんと、カリフォルニア大学バークレー校で助教授を務める邦容さんの2人のご子息も、会長と同様にオプトメトリスト・ドクター(OD)の資格を取り、支援活動をおこなっています。

 金井 やれとはひと言も言っていないんですけどね。本人たちの意向をしっかり聞いている訳ではありませんが、私の跡を継ぐつもりでやってくれているんじゃないかなとは思っています。

 ――親子でオプトメトリストというのも異例だと思います。

 金井 オプトメトリストは欧米では公のライセンスを有する視力ケアのスペシャリストです。その専門性の高さから世界でもそれほど人数は多くありません。2人とも忙しい中で16年と17年にアゼルバイジャンを訪問し、3人で支援活動をしたのは格別な想い出です。息子たちの成長も身近に見ることができました。本当は孫も含めて親子三代が夢なんですけどね(笑)

 ――世界的に支援をおこなっているオプトメトリストは多いのでしょうか?

 金井 難民キャンプを訪問するケースはありますが、オプトメトリストはドクターであって、メガネを大量に提供するのは難しいんですね。検査して「あなたに必要な治療はこれです」と言って、そこで終わりなんです。ですから、私が訪問したときに「前にも同じような人が来た」といわれたこともありますけど、メガネを提供すると本人も関係者もものすごく喜んでくれます。提供するメガネの数は、今は1回で4000組くらいになっています。しっかりと検査をして目の状態に合うメガネを提供するところまでをパッケージにしてできるのはわれわれのようなサプライヤーを持つ企業しかない。しかも、それを何十年も継続的にできるのはそれほど多くないと思います。

 ――社員も数多く連れていかれていますね。

 金井 18年までの36年間で、4カ国36回の現地訪問による支援をおこないましたが、参加メンバーは延べで189人におよびます。社員は毎年3〜5人くらいでしょうか。海外の難民キャンプでは、日本では考えられない環境で活動しますから、ちょっとやそっとのことでは忘れられないんですね。そうした体験をすると、社員は職業に対する誇りを養っていきますし〝優しさ〟も身につきます。支援活動によって使命感や自信、達成感を持つ社員が増えることで、当社の理念も実現できると思っています。

【胆振東部地震支援は5000件超】

 ――話は国内に移しますが、昨年9月に発生した北海道胆振東部地震でも支援活動をおこないました。

 金井 実は亡くなった方々の大半が当社のお客さまだったんです。海外はもちろんですが、われわれの地元で多くの人が困っているのですから社員とともに即座に行動を起こしました。地震発生直後に避難所に人材を派遣して活動を開始しましたが、当初は支援を希望する人は想定よりも少なかった。震源地近くでは揺れが激しくメガネを持って非難した人は少ないのではと思ったのですが、ケガの治療や生活復旧を優先する人が多かったんです。そこで受け付け期間を大幅に延長し、罹災証明書を店舗に持参してくれればメガネを無償で提供、修理をしたところ、月日の経過とともに件数が増え、12月は1カ月間で2188件。2月22日時点のメガネ提供数は3744件に達しています。

 ――時間がたってから多くの方が来られたんですね。

 金井 苫小牧市内の1つの店舗では1400件ほどの依頼で忙殺されていましたが、そこの店長はアゼルバイジャンでの支援活動にも参加していました。彼は「できるだけやらせてください」と熱意を持ってやり遂げてくれました。メガネを受け取った人からは「本当にありがたい」と言ってもらえているようです。

 ――最後に今後の展望をお聞かせください。

 金井 日本にいるとわからないことも多いですが、世の中は大きく動いています。戦争や紛争などによって難民の数は増え続けています。具体的に今後はどうしようというのはなかなか言いづらいものです。ただ、UNHCRが指定している難民・国内避難民の数は6850万人。そのうち私たちが支援したのは16万2960人です。まだまだ支援を求めている人は多い。そういう人がいる限り今後もできるだけ力になりたい。難民キャンプに出かけていくのは、精神的にも肉体的にも大変ですが、自分の人生にとっても大事なことだと思っています。

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