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Interview

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震災スピード対応の舞台裏掲載号:2018年10月

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丸谷智保 セコマ社長

地震が発生した9月6日から、セコマの多くの店舗が営業していた。ホットシェフでは、つくりたてのおにぎりを提供。そこには停電の中、奮闘するパート、従業員の姿が。丸谷智保社長が〝神対応〟の舞台裏を明かした。(取材日=9月12日)

“神対応”の現場に頭の下がる思い

――9月6日の北海道胆振東部地震発生時、社長自身はどのような状況でしたか。

丸谷 私は9月5日の夜、東京に入り、宿泊先のホテルで地震の一報を聞きました。これは一刻も早く、北海道に戻らなければならない。当然、新千歳空港行きの飛行機はとれないので、羽田空港から地方空港行きの便を探しました。

紋別空港行きの便を予約でき、早朝に羽田に向かっていると、当社の東京事務所から旭川便がとれたと連絡が入り、朝一の便で旭川に飛びました。車で札幌の本社に戻り、すぐに緊急会議を開きました。

――本部から各店舗への指示は。

丸谷 われわれも、まずは人命第一です。店とはなかなか連絡がとれず、ようやく午前7時過ぎくらいから情報が入ってきました。

そこでわかったのは、実は本部からさまざまな指示を出す前に、すでに自主的に店舗ごとに動いていたということ。地震後、停電で暗い中、朝の4時、5時には店に行き、片付けをして、6時には店を開けていました。それも、パートさんたちが率先してです。もうすごい。頭が下がります。

先日、スーパーバイザーに手分けをさせて、各店舗のヒアリング調査をおこないました。

千歳に住んでいて、電車で札幌の店舗に通っているパートさんは、店が心配だからと、家から2時間半歩いて店に来てくれました。

パートで勤務していた娘さんを応援しようと、母親が店まで手伝いにきたケースもありました。それも息子2人を起こして、引き連れてです。肝っ玉母さんですよね。お母さんが働いていて娘さんが来たという、逆のパターンもありました。

店舗間の連携もありました。周辺の何店舗かの店長がすぐに集まって、家庭に不安のある従業員をすぐに帰し、自分たちで店をまわしました。北海道が大変なときこそセイコーマートの出番なんだと。真っ先に行動してくれました。

――9月6日の時点で、1100店のうち、約1050店をオープンしていたと聞いています。

丸谷 パートさんたちは、当社と時給で結ばれている関係であるのに、自分の家の片付けもそこそこに、行動してくれました。単なる雇用関係ではないということです。

小学生の子どもをおじいちゃん、おばあちゃんに預けて出てきてくれた方もいました。

また、震災当日の朝にはお客さまから「こんなに大変な中で、朝6時から開店しているのがすごい。他のお店はどこも開いていない。改めてこの地区に不可欠な店だと感じた。働いてくれている全員に感謝したい」等の言葉をコールセンターに多数いただきました。

食のインフラという社会的責任を果たそうとする使命感、あるいは、地元密着だから、毎日いらっしゃるお客さまが心配だという思いからの行動です。

家に備蓄していた食料や飲料水を、店の従業員のために配る。そんなパートさんもいました。

これは日本人の持っている非常に優れた精神性ではないでしょうか。みなが助け合い非常事態でも冷静に行動する、これがおもてなしにもつながるわけです。

実は9月11日、当社の施設を視察に来られた世耕弘成経済産業大臣に直接、手紙を渡しました。当社の現場で起きた震災直後のエピソードを一つひとつ綴ったものです。

――ネット上などでは、セコマは“神対応”だったと称賛されています。

丸谷 神対応はわれわれ経営陣や幹部ではありません。パートさんなど現場のみなさんです。店長、チーフの地域への思いが、パートさんにも浸透しているのではないでしょうか。

炊飯量は8倍、供給方法は臨機応変

――店内調理の「ホットシェフ」も活躍しました。

丸谷 ホットシェフは今回、お客さまからの反響がもっとも大きかった。温かいものが食べられる、白いご飯が食べられるのがありがたいという声です。

通常のホットシェフの炊飯量は、5キロ、6キロくらいですが、地震後はあるだけのコメを炊き続けました。中には40キロ炊いた店もある。すべておにぎりにして並べました。

多くの店では、ガスで調理しています。ガス釜だと水があれば炊飯できるわけです。2011年の東日本大震災の時、茨城県で店をやっていました。断水の店舗が結構あり、群馬から焼酎「長次郎」の4㍑ペットボトルに水を入れて運び、炊き出しの白いご飯を出して喜ばれました。その時の経験が生きたと思っています。

――店頭には、通常メニューにない「塩おむすび」も並んでいました。

丸谷 商品提供は臨機応変でいいんです。たとえば、おにぎりを包むビニール袋がなければ、ラップに巻いてもいい。

ホットシェフの焼きたてパンを入れる袋があります。それにおにぎりを詰めた店もありました。場合によっては、商品がむき出しでもいいくらいです。

非常時だからこそ、マニュアルに縛られて提供できないということは、あってはなりません。お客さまが第一です。

軽油備蓄、釧路物流センターが活躍

――物流もスムーズでしたね。

丸谷 緊急時におけるロジスティクスの重要性をあらためて感じました。 

モノがセンター機能である物流センターに入ってくる、こない、入ってきても、それをあそこに何個、何ケースとピッキングします。仕分けするのはすべて物流センターです。ただ、無鉄砲にトラックだけ付けられても、いったいそこから誰が降ろすんだと。人、機械、システムがうまく働くように、トータルでロジスティクスを考えなければなりません。

――釧路の物流センターが大きな役割を果たしたそうですね。

丸谷 今回、甚大な被害という意味では、地域が限られています。しかし、そこに心臓部である発電所があったことで、全道災害に広がってしまったわけです。

震災後、ほとんどの道路はすぐ通れるようになっていました。ガソリンスタンドが閉まる中、トラックの軽油、あるいは車のガソリンを手配しなければならない。軽油をどこから手配したかといえば、釧路物流センターでした。

釧路には停電しても大丈夫なように、自家発電設備があります。そのための重油は、40日分あるので動かせるわけです。

地下埋設のタンクには、トラック用軽油4万8000㍑の備蓄があります。そのうち約2万㍑を抜いて、タンクローリーで札幌まで運びました。それで、札幌圏のトラックを走らせたのです。

――一方、札幌白石区の物流センターは地震の影響を受けたそうですね。

丸谷 当社の札幌センターは、高さ30㍍くらいある自動倉庫です。ものすごい揺れにより、棚から商品が落ちたり、つぶれたりしました。私も9月6日の夜にセンターを視察に行きましたが、足の踏み場もない状態でした。

7日早朝、約80人を動員して、すべて片付け、8日の昼間には、商品が供給できるまで復旧しました。物流センターの早期の稼働も、対応の速さにつながりました。

私自身も本州の大手食品、飲料メーカーさんのトップに直接電話を入れました。

「道内は停電状態が続いているので、仮に被害が少なくてもモノを動かせない。本州から飲料、カップラーメンを中心に倉庫にある在庫を送ってほしい」と7、8社に伝えました。

商品はすぐに来たので、大変感謝しています。ある飲料メーカーさんは、いまも個店別配送をやってくれています。配送トラックをどのようにまわすのか大変な時にもかかわらずです。われわれは本当に助かっています。

モノが足りないとはいえ、こうした協力のおかげで、ある程度、商品を店に手早く入れることができたと思っています。

災害時の一番の強みは“思う心”

――車のバッテリーをつないで、電力を確保していた店もありました。非常用電源キットは全店舗に配布していたのですか。

丸谷 そうですね。停電時に備えて全店舗に車からの電力供給コードを常備しています。それを使う手だても知っています。中には、従業員のダンナさんの会社から発電機を借りてきて、動かした店舗もありました。

本部も大きな発電機を調達して、石狩の冷凍センターを動かしました。4基ある冷凍機で庫内を冷やしているのですが、全部は無理なので、一基だけ稼働させました。扉を開けず冷気を逃がさなかったことで、長い停電でも溶けずにもたせることができました。通電するまでの間、まわし続け、なんとか溶けない対策をとっていました。

――いま、セコマは店舗の直営比率を高めています。震災対応がスムーズにできた理由の1つでしょうか。

丸谷 直営店の割合は、全体の約80%までになりました。まず、地域の旗艦店に荷物をドンと入れる。この時点で個店配送と比べて、物流が楽になります。

その店からケースごとにスーパーバイザーなどが各店へ運んでいく。新入社員も総出で店間移動をしました。1つの会社なのでやりやすいのです。

9月8日あたりから製造工場の操業を再開しました。どこの店もすぐに食べられる商品が必要です。通常ならば、発注が来るのを待ってから製造しますが、いまは先行して製造しています。直営店舗が多いので計画製造もやりやすい。1ライン1万個つくろうとなれば、一気にできます。直営化により、スムーズな商品供給ができています。

――各自治体への物資供給も素早かったですね。

丸谷 発災当日より災害時の物資供給協定を結んでいる自治体から支援要請がありました。道庁からの要請のほか、安平町や厚真町、その他の地域にも迅速に支援物資を送りました。

これらの対応を迅速におこなえるよう、経済産業省、北海道庁がロジスティクスの復旧と稼働に全面的に協力してくれました。

――まだ震災対応の真っただ中ですが、初期対応を振り返って感じることは。

丸谷 緊急時はAI(人工知能)ではなく、やはり人です。周囲に気を遣う、仲間を助けよう、困っている人に優先的に何かやってあげようとか。災害時に一番強みになるのは“思う心”です。その力のすごさをあらためて感じました。

地元に密着している企業だからこそ、迅速に対応できたと思っています。

=ききて/前田圭祐=