「情報を先取り、タブーに挑戦」を編集方針とし、生活者・企業経営者に
最新かつ有益な情報価値をご提供する、北海道の地域政治・経済誌

ロゴ

トップページ > インタビュー

Interview

このエントリーをはてなブックマークに追加

菅原文太が語る「農」「日本の未来」そして「いのち」掲載号:2013年12月

photo

菅原文太 元俳優

 2009年、俳優稼業にピリオドを打ち、山梨県で農家になった菅原文太さん。昨年12月には「命を大切にする社会」をテーマにした国民運動グループ「いのちの党」を結成した。その背景には、日本の未来への危機感があった。

山梨県知事の誘いで農業に参入

――農業はいつから。
菅原 4年前の10月から始めている。
――もともとやろうと思っていたんですか。
菅原 俳優業はそろそろ引き上げ時だなと思っていてね。でも、何もしないでブラブラしてたらボケるだけだから(笑)。それなら妻が農業をやろうと。俺は宮城県の生まれで、ガキの頃から農業の手伝いをやっていたから、何の違和感もなく始められた。
――お父さんは画家だったとか。
菅原 画家っていっても戦争中だからね。もともとは河北新報の記者。途中で画家になって、河北の社長からは、うちにいてやればいいじゃないかみたいな話だったようだ。でも一番脂が乗ってたときに戦争に取られて、すべてがパー。
終戦後帰ってきてからは河北は覚えていてくれて多少の便宜は図ってくれたようだけど、戦後の食うや食わずの時代。絵なんか見向きもされない。あの時代の芸術家は気の毒だよ。
――子どもの頃、手伝ったという農家は。
菅原 親父の実家に疎開していた。岩手と宮城の県境の村で、小学校2年から中学を出るまで過ごした。コメどころ。それに戦争中だから増産増産でジャガイモとかサツマイモとか、どんどんつくらされていた。いま考えてみれば、日本中が有機農業なんだよ。農薬も化学肥料もない。自分たちが食べて出したものを、ちゃんと土に返していた。そういう循環型農業だったから、非常に力のある野菜や穀物ができていた。
i2――いま菅原さんがやられている農場は無農薬の有機農業。
菅原 日本も有機農業が注目されてきて、少しは面白くなってくるかなと思うけど。でも、日本の有機農法の比率は0・16%で世界最低。あとは全部農薬漬けということだよ。
――農場は山梨ですね。山梨で始めた理由は。
菅原 知事ですよ。横内正明知事がうちでやりなさいよと言ってきた。
――また、なぜ。
菅原 4年前、県の主催で講演を頼まれた。そこで農業の話をしたんだな。これから1次産業の時代が必ず来るから、農業をやんなさいと。ダメだよ、若い者がプラプラしてたらみたいな話をした。その講演を知事が聞いていたんだな。講演が終わったら「そうやって人に勧めるんなら、菅原さんも山梨で農業をやってくださいよ」ってね。
――農地は。
菅原 山梨でやろうとある程度決めたから、県の農政部の役人に探してもらったり、実際に案内してもらったりしているうちに、いまのところに落ち着いた。
――買ったんですか。
菅原 売ってくれない。だから、いまも借地です。
――売ってほしいとは言っているんですね。
菅原 言い続けている。
――広さは
菅原 いま細切れに8カ所借りていて、全部で2・7ヘクタールくらいかな。
――地元の農協とぶつかりませんか。
菅原 ありますよ。俺は農協に対しては遠慮しないで、ものを言っている。
――嫌がらせなどは。
菅原 ないわけでもない。こっちでやり始めてすぐのときに、農協のほうからコメづくりをしてくれって言ってきたんだよ。畑だけで手が回らないからムリだって断った。それでも手助けするからやってくれと。

危うい化学肥料漬けの日本の農地

――何か魂胆はあったんでしょうね。
菅原 あんまり言ってくるので、それならものは試しでやってみるかと1反だけやることにした。コメの銘柄はコシヒカリって言ってきた。日本中がコシヒカリ。俺は天邪鬼だから、ほかがやっていない古い銘柄を探してこいと。それで持ってきたのが、九州の「ヒノヒカリ」と東北でもつくられていた「武川48」。なじみがあるのは武川48だから、一切薬は使わないことを宣言してそっちにした。うちの農場から1人つけたが、何もしなくていいと。ときどき水をかき回して、多少水を入れ替えたりすればそれでいいからってね。
ただ、その年は炎天下。周りのコシヒカリはバタバタ倒れて腐り始めた。結局、生き残ったのはうちだけだった。確かに農薬を使わないし、そんなに欲張って収穫しようと思っていなかったから、そんなに密に植えなかったのもよかったのかもしれない。
当然、農協はうまくやった俺にまた頼みにくるだろうと思ったら「菅原さんにはもう貸せません」ときた。ひどい話だろ。嫌がらせでしかない。自分たちが何十年もやってきたコシヒカリがみんな倒れて、初めてやる俺がうまくいったから癪だったんだろうなあ。農協でも非常に優れた組合長がいるところもある。石川県の組合長で農協から脱退した。そして、自分たちの区域だけで無農薬で有機農業を始めるって。よく思い切ったなあと感心している。
――そういう組合が最近出てきているようですね。
菅原 確かに少しずつ増えてきているけど、さっきも言ったとおり全国的には0・16%。欧州では少ない国でも10%、多い国では20?30%ある。でも、なかなかその先にいけないで苦しんでるね。やはり農薬会社とか、それに付随した種苗会社とか。たとえばモンサントという巨大なバイオ化学メーカーがある。そういうところが農業界を支配していて有機をやらせない。有機をやらせたら農薬も肥料も売れなくなる。そういうことで増やさないように抑え込んでいるんだろうと思うよ。世界的な現象だね。それが極端に強いのが日本だということだよ。
――菅原さんが借りた農地の土はどうでした。
菅原 農薬がいっぱいという土地もあれば、農薬を使わないで放置されていた土地もあり、スギナだらけの酸性土壌もあれば、それなりに使える土地もあった。本当にバラバラだった。まとまった土地が借りられれば効率がいいが、ここは後発の悲しさでね。
――それこそ軽トラ野郎で回るしかない。
菅原 そういうところから始めて、ようやく今年、土がよくなったなあ、環境がよくなったなあと実感するよ。4年目に入ってやっと土から化学製品がなくなって、本来の土に戻り始めた。あと1、2年すれば本当にいい土になってくれるだろうと思う。
i4――何か特別なことをしたんですか。
菅原 微生物が土をつくるわけだから、微生物を投入してやらないといけなかった。本来なら日本の土壌は何もしなくても何億という微生物がいて、太陽と水と酸素と、そういった自然の絶妙なバランスでいい土をつくっていた。
だけど1963年、アメリカから農薬、化学肥料が入ってきて、農協が率先して使い始めた。農家に押しつけたんだな。みんな断るわけにはいかないから、唯々諾々と使ってきた。それが50年。完全に日本の土は、化学肥料で覆われてしまった。恐ろしいことなんだけどね。政府も何も言わずに、アメリカから送られてくる農薬や化学肥料を受け入れてきた。でもそれを使うのは農家。農家は団結して、もう少し抵抗してくれればよかった。でも、そういう習慣は農業にはなかった。農薬のない時代は農協も無農薬の野菜を買い取ってくれた。でもいったん農薬漬けの時代に入ったら、それを使わなきゃ儲からない。人間の宿業なのかな。金が儲かるということは、何にも代えがたいということなんじゃないの。
――そういう世の中になってしまいましたよね。
菅原 本来の日本農業に戻すにはどうしたらいいんだということが、まさに突きつけられているんだ。良心的な農家は、これじゃダメだと思っている。でも、苦しくても、もう一度無農薬に戻ろうという人は限られているんだよね。
若い農家はそのことに気づかない。だって生まれたときから親父も周りの農家も農薬をバンバン使っていたんだから。そのことに何の疑問も感じない。彼らに無農薬のことを言うと、何で農薬を使ってはいけないの。きれいに育つし、量もとれるじゃないのと言ってくるんだから。

原発継続はあり得ない無茶苦茶な話

――菅原さんのところはどんな作物を。
菅原 結構な量をつくっているのはシイタケ、アスパラ。アスパラは農園の標高が900メートルくらいで準高冷地という気候が合っている。このあたりは獣害が多いところなんだが、なぜかアスパラはサルもいたずらしない。あとはニンジン、ダイコン、カブ、トマト、ナス、なるべく風変わりでカラフルな野菜。イタリア系だとか。よくある野菜だと大産地にはかなわない。だから隙間産業。ちょっと変わったものを発掘してはやっている。
――種類は。
菅原 30種類くらい。
――何人で。
菅原 研修生2人、正社員2人の男4人。普通1人で1ヘクタール見るというんだけど有機だから雑草が生える。てんてこ舞いしているよ。
――このままいくと遺伝子組み換えが入ってきたり、取り返しのつかないところに行ってしまいそうです。
菅原 科学というのはどんどん深まっていくじゃないか。より優れたものへと。果てしなく進んでいくと人力というのがいらなくなってくる。農家はただ運転席にさえいれば、耕すのも、種をまくのも、雑草を取るのも、薬品をまくのも、刈り取るのも全部、機械がやってくれる。戦争だってロボットでする時代だ。農家にとっては、よくないよな。そのために電気もガソリンも大いに消費して。だから原発なんてものもできた。
i6――原発問題も含めて、この国はどこへ行ってしまうと思いますか。
菅原 世界で最も大きな被害を原発でこうむったのに、首相は原発を継続しようということを言い出している。こんな無茶苦茶なことは本来あり得ないよね。ドイツのメルケル首相は、すぐではないけど原発はやめると宣言している。
――小泉純一郎さんが脱原発を訴えました。
菅原 主要な政治家としては初めてだ。小泉さんというのは、ときどき無茶苦茶なことをやるけど、なかなか大したもんだ。
原子力の専門家も国も資源エネルギー庁も、原子力は二酸化炭素を出さないクリーンで安全なエネルギーだとみんな言っていた。俺だって事故が起きなければ、多分原発ノーなんて言わなかった。日本中みんなそうだったんじゃないかな。近代化のためには仕方ないんだろうって。小泉さんも同じで、でもここまでくればやめなければダメだという理屈だよね。

命を大切にする国民運動グループ

――原発問題での小泉さんの意見は、確かにまっとうです。でも小泉政権がやってきた政治は、日本の絆を分断するようなものではなかったか。
菅原 アメリカに寄りすぎたことは致命的だった。そういうよくない政治がいまだに続いている。でも今回の原発事故は、それ以上の大きな出来事だ。ある意味、放射能問題はどうにもならない。いったん地球上に現れたら収拾がつかない。俺たちはそんなことはわからないでいたけど、学者たちは知っていたはずだ。これが開けてはならないパンドラの箱だって。
そういうことを考えると、原発のことを見過ごしていくわけにはいかないよね。その点だけでも小泉さんはすごい。あの人の発言は誰よりもインパクトがある。そのインパクトを逃さないことが大事だ。だから一度、小泉さんに会いに行かなきゃならんなあと思っているよ。お前なんか会いたくないって言われるかもしれないけど(笑)。
――農業の問題も原発の問題も、国は一体どこを見てやっているんでしょう。
菅原 誰ということはわからないけど、明らかなのは国民じゃないということだ。では誰が支配しているのか。オバマでもないし、安倍でもないし。彼らも大きな渦に巻き込まれているだけだろう。いろんな説はある。世界経済を席巻する巨大な資金の流れのような巨悪の見えざる姿。闇の中に潜んでいる。それは暴きようがない。ただこのままいけば人類の最後。大袈裟に言えばそういうことだと思うよ。
――みんな変だって感じていると思いますよ。
菅原 感じている。俺みたいな80歳の老人でも気がついているんだから。だとしたら立ち上がるしかない。いまは右も左もない。だから昨年の12月、命を大切にする社会をテーマにした国民運動グループ「いのちの党」を結成した。
――いまも続けている。
菅原 もちろん続けているが、何か顕著な功績が生まれているわけではない。まだ音なしの構え。
いま命が羽毛のごとく軽く扱われている。子どもたちは虐待、イジメ。大人だって年間何万という自死者が出ている。こうしたことは国や政治家がきちんと見ていて手を差し伸べなければいけないけど、そんなことにはなっていない。いのちを大事に、大切にする国にしたい。そのための集まりで、政党ではない。
――メンバーは何人くらいいるんですか。
菅原 会を始めるときまでに、何人かに入ってくれよ、入らないかというようなことで、いいことだから入ろうかという人が40人くらい。あと発会してからおい入ってくれということで、計50人くらい。
――いま発売中の「ほとんど人力」でさまざまなキーマンと対談をしていますが、そこに登場された人は。
菅原 いますよ。頼めば入ってくれる人もいるんだろうけど、むやみに頼むものでもない。もう少し具体的に動いてからでないとね。
人間は本来、お互いに協力し合って、地球上で生きていくしかない。そういうところから外れているのだとしたら、正していくことが人間の務めだ。
そうしたことを一人ひとりの人間が自覚して何かやるかということを思いつかなきゃいかんのだけど、そう簡単ではない。でもやらなきゃいけない。心ある人が連動していかないと。いのちの党は、そういうことに努めていかなければいかんだろうなと思っている。

辺境からの人が立ち上がればできる

――いまの日本人にそれは期待できますか。考えることを放棄してしまっているような感じすらします。
菅原 中心にいる人たちには何も期待できない。辺境にいる人たちが立ち上がればできる。昔から言うよ、辺境に光があるんだと。辺境にこそ人間らしい暮らしがあるんだと。辺境からの人よ、立ち上がれということかな。
明治維新は、長州や薩摩や高知の辺境の人たちが立ち上がり、中央に攻め込んで、日本の近代化が始まったけど、その人たちが中央になってしまった。
いまは社会の仕組みの中で辺境というものがどこにあるのか。非正規雇用の人たちがそうかもしれない。有機農業者もそうかもしれない。彼らが立ち上がったとき、何かが変わる。それをするようにするのも、いのちの党の役割だと思う。
有機農業者には結構、侍がいるよ。批判や差別に耐えてやってきているから、すごい人がいっぱいいる。
人間は、科学からいったん離れてみるべきかもしれないな。科学が進み過ぎるのは人間にとってよくないよ。原始生活に戻る必要はないが、なるべく科学に頼らないで人力をつける。単純で素朴な暮らし方を取り戻さないといけない時期にきているのだと思う。
――地理的には北海道はまさに辺境です。
菅原 東北から北の人はみんな立ち上がって、日本から離脱するのもいいんじゃないかな。

=ききて/鈴木正紀=