「情報を先取り、タブーに挑戦」を編集方針とし、生活者・企業経営者に
最新かつ有益な情報価値をご提供する、北海道の地域政治・経済誌

ロゴ

トップページ > インタビュー

Interview

このエントリーをはてなブックマークに追加

“緑丘魂”で次代のビジネスリーダーを育てる
北に一星あり 小なれど その輝光強し
掲載号:2011年5月

photo

山本眞樹夫 小樽商科大学 学長
小塚邦夫 小樽商科大学後援会 常務理事事務局長
齊藤愼二 緑丘会 理事長 

 小規模ながら、これまで多くの優秀な人材を輩出してきた小樽商大は、今年100周年を迎えた。山本眞樹夫学長、小塚邦夫小樽商大後援会常務理事事務局長、齊藤愼二緑丘会理事長の3氏に“緑丘魂”を語ってもらった。(3月18日取材)

小樽商大・高商が刻んだ長い歴史

i2――東日本大震災での学生やOBの被災が心配されますね。状況はどうですか。
山本 震災直後、青森、岩手、宮城、福島、茨城出身の学生の安否をすぐに調べ、無事を確認しました。ただご家族の方までは調べきれていません。無事でいることを祈ります。卒業生についても、本州出身の場合、東北地方の人が多い。被災されている卒業生もいると思いますが、それも把握しきれていないのが現状です。
本学としては保護者らが被災された場合、授業料や入学金の特別免除のほか、寮の優先的入居をすぐに決めました。
物資のSOSが国立大学協会を通じて入ってきましたので、すぐに調達できるものはいつでも送れる準備があります。本学としてもできる限りのことはしたいと考えています。
――小樽商科大学は今年、前身の小樽高商が誕生してから創立100年を迎えますね。
山本 非常に重みのある年数だと思います。実際に法律上設置されたのは1910年になりますが、72人の第1期生を迎え、小樽高等商業学校として開学したのは翌年11年の5月5日でした。
本学の場合、高商としては珍しく小樽高商、商大という一貫した1つの学校で、場所も同じところに位置しています。時代は変われど、この地で100年の歴史を刻んできました。日本でも伝統が長い学校の1つだと思っています。

現役生と卒業生が結ぶ強固な絆

――小樽商大の校風や特徴は。
小塚 いつも感じるのは非常に素朴であるということです。また、一時、名声が衰えてきているかなと感じたこともあったのですが、最近、就職に関わる活動のお手伝いで、東京・丸の内にある大企業にうかがうと、相当な地位にたくさんの卒業生が活躍しているということを改めて実感します。本学の栄光が脈々と流れているなとうれしく思います。
いまや「北に一星あり 小なれど その輝光強し」が本学のうたい文句になっていますが、まさにこの言葉がしっくりきますね。
――小樽商大と卒業生の関係は非常に強い絆で結ばれています。
齊藤 同窓会には大きな柱が2つあります。1つは同窓生同士のネットワークを強くすること。もう1つは母校に対する支援になりますね。このような活動を大学としても継続しておこなってきたことで、同窓生同士の団結力が強い。それと商大に対する熱い母校愛が相まって、より強固なものになっていったのではないでしょうか。

東京の同窓会館は北の卒業生の拠点

――大学としては同窓会との連携をどのように感じていますか。
山本 他の大学では見られない同窓生同士のネットワークの強さは、各方面で高く評価されています。本学は教職員と学生だけでできている大学ではありません。同窓会も含めて成り立っている大学です。規模の小さな大学ですが、同窓会からの経済的な援助は毎年、全国に類を見ない金額をいただいています。
これにより、本学の特徴である国際交流や社会貢献、ビジネススクールの設置などの事業も実現しています。
援助がなければ実現が難しかったものばかりです。創立100周年の最大の目玉事業である「輝光寮」の建設も同窓会からの寄付があり完成しました。非常に感謝しています。
また、知名度においても、高校においては決して高いとはいえません。ですが、実業界においては高いものがあると思います。この理由を企業の人事担当者に聞きますと、「御校の卒業生と一緒に働いていました」という話をよく耳にします。本学の強固なネットワークがさまざまなところに存在しているのだと実感しますね。
――小樽商大は社団法人緑丘会と財団法人小樽商科大学後援会という2つの同窓会の組織があり、緑丘会の本部は東京にありますね。
齊藤 昔は大学内にあったのですが、現在、池袋のサンシャインシティ内にあります。卒業生が東京にも多いものですから拠点を移しました。
同窓生の支援もあり、同じ場所に立派な同窓会館もあります。全国的に見てもこのような小さな規模の大学で、これだけの立派な会館を持っている例はないと思いますよ。小樽商大の卒業生だけでなく、道内大学の卒業生にも会館を利用してもらっています。東京における北の卒業生の拠点になっているのではないかと自負しています。
小塚 本部が東京にあることで、所管官庁である文部科学省と密接にコンタクトができるという利点もありますね。

100周年を機に2法人を公益法人

――緑丘会と財団法人小樽商科大学後援会はそれぞれ公益社団法人、公益財団法人を目指していますね。
小塚 緑丘会は1939年、後援会は60年に設立されました。長い歴史を歩んできました。
公益法人制度改革により、すべての社団法人と財団法人は2013年までに公益法人か、一般法人への移行を選択することになっています。まず後援会が財団法人の公益認定申請を出し、1月21日に認定されました。3月22日に認定を取得し、最終的な登記の完了は4月1日です。
緑丘会の社団法人も2月1日に公益の認定申請をして、3月15日に内閣府の第1回のヒアリングを受けました。好意的に話を聞いていただけたと思います。
大学関係の財団法人では一橋、神戸に次いで小樽商大は全国で3番目ですが、公益財団法人の認定は第1号です。社団法人の緑丘会も公益認定が決まれば第1号となりそうです。一橋、神戸は一般法人での申請をすると聞いています。
できればこの記念すべき100周年の年に、緑丘会も公益法人の認定を受けられるとうれしいですね。

90%以上を誇る高い就職率の理由

――就職氷河期に見舞われている昨今ですが、小樽商大は90%以上を誇る安定した高い就職率を継続しています。なぜですか。
小塚 学生向けの企業セミナーを緑丘会と学校が主催をして学生の指導にあたっています。年間1000社を超える数になります。参加企業は小樽、それから東京でも説明会を実施してくれます。
どうしても地方の学校だと、学生たちは就職に関しては少しシュリンク(萎縮)するような気持ちもあると思いますが、大企業にお願いして「どんどん中央に出てきてください」と説明してもらっています。学生には道内だけではなく、日本全国で活躍してもらいたい。そこから北海道を応援して活性化させることもできるはずです。こうした取り組みは今後も続けていきます。
山本 就職率の高さは本学の特長の1つでもあります。いまや大学選びの大きな基準になってきているのではないでしょうか。就職率の向上は不断の努力を重ねていかなければならない。90%以上の就職率を維持していくことは今後も最大の目標ですね。
国立大学法人となった04年、本学は教務課と学生課を見直し、就職課と学務課に再編しました。大学としても就職というものに力を入れていくという体制をはっきりさせたわけです。
今では単に就職の支援だけでなくて、在学中からのビジネス教育も含めたキャリア教育もやっていこうと、キャリア支援課と名称を変えています。
小塚 最近のすう勢として、大学を卒業し社会に出た後、2、3年したらジョブ・ホッピング(転職)をするというケースが増えてきている気がします。ですが、若者にはもう少し腰をしっかりと据えて自分の力を着実につけていくという方向に進んでもらいたい。本学では社会人として必要な基礎力が在学中から身につくようにと、カリキュラムに09年度から「社会人基礎力の養成」が追加されました。科目名は「地域連携キャリア開発」です。
さらに現在、大学入学前の3年間、大学在学の4年間、卒業後の3年間を合わせた10年間のキャリア支援を目指す「キャリアデザイン10年支援事業」の実施も検討している最中です。
――ITの分野でも活躍している人がたくさんいますね。
i5齊藤 私が入学したのはちょうど創立50年となった1961年でした。このころ大学の方向性がある程度決められたのではないでしょうか。当時としては珍しく学内にコンピューター室ができ、その4年後の65年には、全国に先駆けて管理科学科がつくられました。こうして小樽商大は商業学科、経済学科、管理科学科の3学科体制になったのです。(現在は4学科体制)
管理科学科の新設により、いろいろな分野に精通する優秀な学生を生み出し、その成果としてITの分野でも活躍できる人材を輩出していったということだと思います。
山本 その流れは現在もしっかりと受け継がれています。歴史を振り返ってみると、現在の情報関係の基礎をつくったのは古瀬大六教授になります。商学の科学化に力を入れたそうです。数値や事実、計算に基づいて商学というものを実践し、研究していくということを目指したのです。それを推し進めたのが、電子計算機の導入や管理科学科の設置であったというわけです。
理系の情報学科の出身者には、ハード面や情報面で太刀打ちすることはなかなかできません。ですが、本学の場合、幅広い経済、経営学を基礎にITの分野を学ぶことになります。実際のアプリケーションに強い人材が育成されることが特徴です。
こうした人材は今後もグローバルな社会において、ますます必要とされるだろうと思います。

品格を重んじる大学が文化人も輩出

――小林多喜二や伊藤整といった文化人も輩出しています。
山本 要因の1つとして考えられるのは、戦前、北海道における高等教育機関は官立では基本的に北大と本学だけでした。
北大は医学部と農学部から出発したこともあり、もともとは理系の大学です。ですから、文系の高等教育機関であった本学に自然と文学の秀才が集まってきたのではないでしょうか。
もう1つは、学校自体が持っている特徴にあると思います。本学は実学に力を入れていますが、それを支えるものとして品格という言葉をよく使います。本学が教養を重視した大学であることもあげられると思います。
かつて図書館にあった蔵書は、もちろん専門書もありましたが、俗に言う文芸書もたくさんあったと聞いています。こうした中から自然と文学者が育まれたのでしょう。
――みなさんの学生時代の思い出を教えてください。
山本 私は1968年に入学して72年に卒業しました。いわゆる学園紛争の真っ最中でしたね。まともに授業を受けた記憶がありません。
当時、この大学も封鎖されて、お寺や商工会議所の会議室で授業を受けたり、小樽市内中をキャンパスに授業を受けた覚えがあります。体育館で試験を受けたこともありました。
ただ、時間だけは山ほどありました。その点では友人と濃密な人間関係を築くことができたのかなと感じています。そのときの人間関係がいまの私の財産になっています。
そして、専門以外の本を読む時間もたくさんありました。授業を受けられず、欲求不満だったこともあり大学院に進んだという経緯もあります。いい悪いは別にして商大での4年間は、自分自身の人生を決めた時期だったと思います。いま商大の学長をさせてもらっていますしね。
小塚 私は北斗寮で暮らしたことですね。学校では理論経済学を学び、すぐは使いものにならなかったのですが、マクロのものの見方を練習させてもらったと思います。それから英語を中心とした外国語の勉強を続ける動機を与えてくれました。
北斗寮の生活では、先ほど言った社会人基礎力を知らず知らずのうちに学んだ気がします。よく寮の同期と「ここでの生活が原点だった」という話で盛り上がります。卒業してからすでに50年以上たちましたが、今でも親、兄弟に話せないことでも言い合えるそんないい付き合いをさせてもらっています。
齊藤 私は庭球部に所属していたので、その人間関係が中心となって学生生活を送ってきました。
当時から一番のライバルは北大。お互い切磋琢磨して技術を磨いたことを思い出しますね。今でもそのときの北大の仲間たちとは交流があり、毎年テニスの試合をしています。「100周年を記念して小樽商大でまたテニスを一緒にやりたい」と言ってくれています。うれしく思います。

“緑丘魂”にさらなる磨きをかける

i6――100周年はまた新たなスタートでもあるのではないでしょうか。
小塚 就職の厳しいこの時代に2011年3月卒業生の就職内定率は96・9%を達成しました。これはやはり、先輩方が築き上げてきた伝統であると考えています。これからも脈々と小樽商大生に流れる“緑丘魂”が受け継がれて、いい方向に進んでいくことを期待しています。
また、学生たちに「私は小樽商大生だ」という誇りを持ってもらえるように、われわれも少し別の角度から努力していかなければなりません。
同窓会や後援会の存在を学生によく認識してもらうため、広報活動をいま以上に力を入れていく必要がありますね。その結果、次の100年に向けて、自信に満ちあふれた学生が社会に出ていけばいいと思います。
齊藤 やはりこれからの100年をどうやっていくかが課題になってきますね。在学生とこれから入学してくるであろう若者を中心にまた新しい小樽商大の歴史をつくっていかなければなりません。
ITの分野もそうですが、ますます社会の中で商大生の評価が高まっていくだろうという明るい光はあります。そのためにもさらなる100年を見据え、これまで築き上げてきた小樽商大の伝統をさらに新しく、そして、力強いものにしていかなければいけないと感じます。
それはグローバルに活躍するビジネス界のリーダーをいかに多く輩出していくかというところが一番の使命だと思うのです。
本学は語学にも強い。7カ国語からの2外国語科目が選択必修となっていること。また、「TOEIC IPテスト」と呼ばれる団体特別受験制度を利用して、受験するTOEICテストの結果を加味した成績評価を導入し、「E-learning」による語学教 育にも力を入れているからです。
ビジネス面においても4学科の構成がきちんとできています。この2つは大きな利点です。
ビジネスリーダーは、学長が常々言われる品格においても重要だと思います。小樽商大生に脈々と流れる“緑丘魂”をさらにブラッシュ・アップ(磨き上げる)していけば、ますますそういう人材を輩出していけるのではないでしょうか。

日本復興の指針を決める人材が育つ

i8山本 東日本大震災が発生した「3・11」はこれからの日本にとって、アメリカにおける「9・11」と同じく非常に大きな転換点になるのではないかと感じています。その復興はこれからおそらく10年、20年と続いていくのだろうと思います。
それは今まさに育てている学生、あるいは今年、本学を巣立っていく学生が、日本の復興の針路を決める最前線にいるということを意味します。これからの日本の針路を決める若者を育てていくことを考えると、非常に責任が重いということは認識しています。
ただ、本学の教育モットーである実学、語学、品格をさらに磨いていけば、十分、世界から称賛され、見事な国家づくりを担える人材が育っていくと自負して います。われわれもただ単に100周年の区切りということだけではなく、「3・11」という大きな転換点に居合わせたということを重く受け止めて、次の 100年を考えていきたいと思っています。
いまのところ、7月に開催する100周年の記念事業は、すべて予定通りにおこなうつもりでいます。
ですが、こういう時期でもありますから、これからの日本の100年先の針路を見つめ直せるような行事にしていきたいとも考えています。

=ききて/進行舟木秀男=