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Interview

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歌舞伎は“進化する大衆文化”だ掲載号:2013年6月

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迫本淳一 松竹社長

 400年の歴史をもつ歌舞伎に新しいページが加わった。4月2日、東京・銀座に新生歌舞伎座が開場。1年にわたるこけら落とし興行では110万人の動員を目指す。創業当時から歌舞伎の継承と発展に努めてきた松竹の迫本淳一社長に、伝統文化を守り抜く気概を聞いた。

最先端の技術を用いた新生歌舞伎座

――老朽化による建て替えのため、約3年ぶりに開場した第五期歌舞伎座ですが、出だしは好調ですね。
迫本 4月2日に待望の初日を迎えることができました。連日、多数のお客さまに来ていただいており、まずはホッとしています。これから1年間、こけら落とし興行が続きますが、一方でそれ以後のことも見据えて〝しっかりやらなければ〟という思いも強く持っています。
――新しい歌舞伎座の外観は第四期のものをかなり踏襲されていますね。
迫本 終戦後の1951年1月に開場した第四期歌舞伎座ですが、日本が戦後復興から高度経済成長へと移り変わっていく時代、そしてその後に続く時代も、歌舞伎座にとっては大変厳しい時代でした。そんな長い逆境の時代を生き抜いてきた歌舞伎座だからこそ、昔の劇場の姿を残したいというお客さまの声が大きかったのだと思います。そしてこの気持ちは俳優さんもスタッフも同じでした。だから極力、雰囲気は変えないようにしたのです。
設備に関しては、お客さまに、より快適にご観覧いただくため、さまざまな改善をおこなっています。場内はエスカレーターやエレベーターを設置してバリアフリー性を高め、地階から3階までの移動もスムーズになりました。長時間お待ちいただき、ご不便をおかけしていたトイレの数も1・5倍に増やしています。客席の構造も改善して、各階とも舞台が見やすくなっています。その舞台も、従来の優れた音響や構造を残しながら、廻り舞台に大ぜりを新設。舞台袖も広くして転換をしやすくするなど、新機能も備えています。
江戸時代から続く歌舞伎の世界観の継承と、お客さまの使い勝手の向上。その融合を、最先端の建築技術を用いることで実現できたと思っております。
i2――ただ開場前に中村勘三郎さん、市川團十郎さんという大物の俳優が相次いで亡くなりました。
迫本 閉場中に亡くなられた俳優さんは5人いますが、勘三郎さんと團十郎さんには、これから新しい歌舞伎座でさらに何十年も演じていただきたかった。本当に残念な気持ちでいっぱいです。
――第四期歌舞伎座開場のときにも有名な俳優が亡くなられていますね。
迫本 大俳優が一度に亡くなるということは過去にもありました。明治の第二期開場前は、五代目尾上菊五郎さん、九代目市川團十郎さん、そして初代の市川左團次さんが相次いで亡くなられた。ご指摘の第四期開場前には、終戦の年に十五代目市村羽左衛門さんが亡くなり、1949年には七代目松本幸四郎さん、七代目澤村宗十郎さん、六代目尾上菊五郎さんという当時のトップの俳優さんが次々と亡くなられました。確かに大きな打撃ではありましたが、そのつど若手が伸びて危機を乗り越えてきたという歴史があります。われわれもそういう先輩たちに負けないように、より一層、頑張らなくてはならないと思います。
――そういうジンクスみたいなものはあるんですね。
迫本 たまたまそういう時期に重なったということだとは思いますけれども、会社が一丸となり、俳優さんも一丸となっていいものをつくるという姿勢を貫いていけば、必ず次の世代が育ってきます。そういう過去の歴史は、どんな危機に直面しても必ず乗り越えられるという励みになると思います。
――そもそも、なぜ松竹が歌舞伎という江戸時代からの伝統芸能にかかわるようになったのですか。
迫本 当社は1895年(明治28年)の創業以来、歌舞伎をはじめとする日本固有の伝統芸能に深くかかわってきました。とくに歌舞伎は、一企業である当社が創業以来117年にわたり支え続けてきました。歌舞伎座は1889年に松竹とは別資本で当地に誕生しましたが、経営はあまりうまくいっていませんでした。当時、白井松二郎、大谷竹次郎という当社創業の兄弟が一番興行に勢いがあったので、歌舞伎座の経営を引き受けることになりました。それがスタートです。
――歌舞伎という日本固有の文化を、一企業が守って後世に伝えていくという役割を担っている。責任は重大ですね。
迫本 確かに歌舞伎は日本の伝統文化ではありますが、決して過去の遺産として保護されているものではありません。ヨーロッパでは伝統的に演劇や音楽に国の支援が盛んで、実際オペラなどにしても国からの補助を受けています。でも歌舞伎は、興行に関して国からの助成は一切受けずにやっています。

芸術性と大衆性の両方を追求する

――歌舞伎の演題はいくつくらいあるのですか。
迫本 それはすごいですよ。古典から新作まで細かく分類すると1000にものぼると思います。
――新作も。
迫本 もちろん、新しいものも生まれています。著名な方では、野田秀樹さん、串田和美さん、三谷幸喜さん、渡辺えりさん、宮藤官九郎さんなどが脚本を書いています。
――新作は年間にどれくらいあるものなのですか。
迫本 なかなかできないですよ。年に1本あるかないか。多くても2、3本です。歌舞伎の脚本を書く作家さんが増えてほしい。
歌舞伎はいつの時代でも古典の継承と新しい創造が両輪です。ですから現代のお客さまに支持されています。そういう意味では守るというよりも、もっともっと攻めていくべきだと思っています。
――伝統文化でありながら常に現在進行形。ほかにそうしたものは思いつきませんね。
迫本 世界的にも稀だと思います。歌舞伎は伝統文化であると同時に、常に進化する大衆文化です。先輩たちが日々の研鑚の中で芸術性を高めてきました。今後も芸術性と大衆性の両方を追求できる歌舞伎であり続けたいと思います。
――現在、歌舞伎俳優は何人くらいいるのですか。
迫本 約300人です。
――期待している若手は。
迫本 ベテランから若手まで各層がそれぞれの魅力を発揮し、活躍されることを期待しています。
――歌舞伎俳優が映画やドラマに出演することについてどう思っていますか。
迫本 あくまで歌舞伎の芸を継承していくというのが基本ですが、その邪魔にならない限りはいろんなことをやったらいいと思っています。ただ、あまりそちらのほうに力がいってしまうと、歌舞伎に戻ってこられないとおっしゃる人もいます。
――そういう意味では九代目市川中車を襲名した香川照之さんは、特殊な例になりますか。
迫本 46歳で入ってこられるのは、珍しいことではあります。香川さんは映画やドラマでも非常に実績がある俳優ですので楽しみです。本人もすごくやる気になっています。

喜劇が最も高尚と語った三國連太郎

――現状の映画界をどう感じられていますか。
迫本 昔はマスのエンターテインメントだったと思います。その後、テレビが主流になり、いまや人々の趣味は非常に多様になっています。当然、時間の使い方も多様です。昔のように映画をマスの娯楽と思ってやっていると太刀打ちできないと思います。そういう中で、どうやって映画をアピールしていくかということを考えなければなりません。昨今、洋画のメジャーの作品が昔ほど当たらなくなってきているので、やはり日本のお客さまが大掛かりなアメリカの映画に飽きられているなという感じは受けます。欧州をはじめ他の外国にもいい映画はたくさんあります。ここをどうやって盛り上げるかということだと思います。
――お好きな映画は。
迫本 儲かる映画といいたいですが(笑)。結構、幅は広いですね。邦画で言えば寅さんでお馴染みの「男はつらいよ」シリーズ。感情移入ができて〝よし、頑張ろう〟みたいな応援歌にもなっている。また日本の風景もよく描かれて、本当に素晴らしい映画だと思います。小津安二郎監督ほど世界的に知れわたってはいませんが「二十四の瞳」などの名作で知られる木下惠介監督の映画も好きです。
洋画でいえば、非常に当たった「ローマの休日」をはじめ、ヴィスコンティ監督の作品や、音楽の「エルビス・オン・ステージ」みたいなものも結構好きです。
洋画でいえば、非常に当たった「ローマの休日」をはじめ、ヴィスコンティ監督の作品や、音楽の「エルビス・オン・ステージ」みたいなものも結構好きです。
i5――松竹映画「釣りバカ日誌」のスーさん役で親しまれた三國連太郎さんが亡くなられました。
迫本 三國さんは松竹スタートの俳優でした。晩年は、また松竹エンタテインメントに所属されて、うちでマネジメントさせていただきました。よく「松竹でスタートして、松竹に戻ってきました」みたいなことをお話されていました。
「釣りバカ日誌」のとき撮影現場に陣中見舞に行って、三國さんとお話したことがあります。三國さんはタバコと葉巻を吸われるが、私も両方大好き。そこで葉巻の話をして、三國さんから高級なシガーをいただいたことがありました。
三國さんは難しい作品にも本当に存在感のある俳優として挑戦してきた人ですが、喜劇が最も高尚だという考えを持っておられました。「釣りバカ日誌」みたいな、笑えてちょっとホロっとくる映画は、俳優にしても監督にしてもつくるのは難しいんだと言われていたのが思い出されます。
――北海道は結構、映画のロケ地になっています。
迫本 素晴らしい自然があるのが魅力です。当社作品では「幸福の黄色いハンカチ」があります。北海道を舞台にした中国映画「狙った恋の落とし方」は、アジアを席巻した映画の1つになりました。北海道はロケ地として、ものすごく可能性のある舞台だと思っています。
――ぜひ北海道を舞台にした映画を松竹さんでもつくってください。
迫本 ぜひやりたいです。

=ききて/鈴木正紀=