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Interview

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日中韓は妖怪で1つになる掲載号:2015年10月

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荒俣宏 作家

その知識量たるや、とても1つのカテゴリーに納まらない。作家、翻訳家、神秘学者、博物学者、タレント等々、さまざまな肩書を持つ荒俣宏氏。忘れてならないのが妖怪研究家の顔だ。東アジアが混迷する今こそ妖怪の出番だという。

大学生時代から怪奇幻想文学の翻訳

――『帝都物語』で一躍有名になりましたが、これまでにどれくらいの本を出されているんですか。
荒俣 300冊までは数えていたんですが、その先は興味がなくなってしまって……。正確な数字はわかりません。300から400冊の間だと思います。
――大学時代から翻訳を手がけられ、日魯漁業(現マルハニチロ)勤務のサラリーマン時代は、睡眠時間を2~3時間に削って翻訳や雑誌『幻想と怪奇』の編集に携わっていたとか。
荒俣 昼と夜とは違う生活でした。私は1947年生まれの団塊世代。子どもの頃から親や先生に必ず言われることがあって「お前たちの世代は人間がたくさんいるから、ものすごい競争になる。競争が嫌いな奴は隙間を狙え」と。漫画なんかよかった。いまでこそ大卒の漫画家なんて当たり前ですが、私たちの時代はほとんどいませんでしたから。ある意味で隙間産業。そうした業界に入れば、楽しく生きていけるのではないかと思っていた。
――絵が得意だった。
荒俣 子どもの頃はまだ戦後の混乱期。あまり本もありません。読むものといえば幼稚園に並んでいた絵本くらいなものです。それを見ているうちに絵を描き始めてみたら、上手いねとか言われて。
――怪奇的なものを。
荒俣 少女漫画ですよ。当時は少年漫画の格が高くて、少女漫画はちょっと絵が描ければデビューのチャンスが多かった。
――翻訳も隙間産業。
荒俣 あまりやっている人はいなかったと思います。慶應義塾大学に入ったのは紀田順一郎という翻訳の師匠がいたからです。2人で怪奇幻想文学の叢書をいくつか立ち上げました。
――日本大学水産学部も合格していたそうですね。水産関係にも興味があった。
荒俣 子どもの頃から昆虫や魚の採集が大好きでしたから。日魯漁業に入ったのも世界各地の海で漁ができると思っていたからです。でも、文科系にそんな危険なことをさせられないということでコンピューター室に配属になりました。ちょうどコンピューターを導入していた時期で、初期の大型コンピューター、汎用コンピューターのユーザーの体験はなかなか面白かった。なんだかんだと10年近くプログラマーとしての技術を磨かせてもらった。
――サラリーマン生活は。
荒俣 33歳で辞めましたので9年ほど。さすがに33歳くらいになると異動だの結婚しろだのという話が多くなってきて〝気楽なサラリーマン〟ではいられなくなります。実際、部署も変わり、昼夜問わずの仕事となりました。翻訳の仕事もしていたので、とても体がもたない。
退職後の予定は、3カ月間翻訳業をやって本を2~3冊出し、そのあとプログラマーの仕事に就く。でも自由業は1週間やるとやめられない。ズルズルと現在に至り、荒俣家の中ではいまだに失業者です。母親は「まだ就職しないのかい」って言いますから(笑)

日本人はやっと妖怪と仲よくなった

――妖怪研究家でもある水木しげるさんに師事されるのはいつ頃ですか。
荒俣 帝都物語が売れた頃ですから、1986年くらい。私が40歳前後の頃だったと思います。
――当時、すでに「日本オカルト界に荒俣あり」と認められていましたが、日本の妖怪に対しての関心はどうだったのですか。
荒俣 欧州の幻想文学を読む前提には、日本の物語があります。『雨月物語』の上田秋成、『怪談』や『骨董』の小泉八雲が大好きで、さらにそうした作品がないかと探していたら海外にもあるのがわかった。それを読むと日本のものより面白い。高校くらいから幻想文学の洋書を集め始め、のめり込んだというのが現在に至るそもそものプロセスです。
――妖怪の類いは日本に限らず世界中で知認されています。国籍や人種を超えたそうした感性は何を意味しているのでしょう。
荒俣 いまの日本で確実にいえるのは、日本人はやっと妖怪と仲よくなったということでしょうね。明治以降、妖怪の話などは迷信だ、科学的でないという認識で見られ、決してほめられるようなものではありませんでした。その頃から比べると妖怪に対する容認の度合いはものすごく大きくなりました。日本もやっと妖怪をバカにしなくなってきたということです。
そういう意味では江戸時代に似ています。江戸時代の庶民は結構暇でしたから、妖怪話が出るとみんなで乗った。すごく流行していたんです。話のネタとして優れた存在で、民話でずっと残っていたというのが日本の面白いところです。
――古事記、日本書紀から出てきますからね。
荒俣 昭和になってからも新しい妖怪がいくらでも出てきます。鬼太郎もそうですが、口裂け女とかトイレの花子さんとか。
――妖怪は人間が生み出したものであり、生み出す土壌があった。
荒俣 非常に必然性があるんですね。江戸時代に妖怪研究をしていた平田篤胤という学者がいます。国学の大家・本居宣長に次いで有名な人物です。彼は昔の文献を読み、あの世に行ったことがあるという人がいれば追跡調査をして聞きまくる。たとえば、いわゆる異次元の世界に行ったという少年がいました。名を寅吉といいます。「師匠は天狗。仙界の仙人のもとで修業をした」ということで、江戸で大変有名になる。篤胤は寅吉にさまざまなことを聞きました。寅吉は事細かに説明します。仙人の暮らしは人間と大差なく、ご飯もこんなものを食べていたとメニューまで詳しく話しました。篤胤は寅吉を養子にし、ことあるごとに同じことを聞いたそうです。篤胤は医者でもありましたから、話をしているときに寅吉の脈を取る。嘘発見器と同じで、答えるときにドキドキすれば怪しいとなる。ところが寅吉の答えは毎回だいたい同じで、脈も正常。かなり科学的な調査を9年もやったといいます。
もう1つ篤胤の研究で有名なのが、広島の稲生武太夫の話。武太夫が16歳の夏の1カ月、毎晩妖怪が出てきたが、ものともしなかった。妖怪たちは「すごい少年だ」と感服。最後に妖怪の大将が出てきて「われわれの負けです。家来になります。木槌を渡すので必要なときにトントンと叩いてくれれば、いつでも出てきます」と言って、妖怪たちはゾロゾロと退散していったという。この話もみんなが面白がって、武太夫が江戸勤めのときには、江戸城の中でも披露したといいます。例のごとく篤胤は何度も角度を変えて聞くわけですが、聞くたびに同じ話をする。この話は立派な絵巻になっています。
――面白い話ですね。
荒俣 それ以外にも、お化けや妖怪と恋をして、子どもを産んだというような話はぞろぞろあります。いつもはフェイズの違う世界に住んでいるけど時たま交流ができて、それが現世で愛した人の場合はその可能性が高くなる。そして、いつでも会えると考えるようになる。これは世界中でそうです。妖怪は怖がる存在から愛する存在に変わってきて、最後は友だちになるというプロセスがある。たとえあの世のものでも、好きになったものを愛するというのが重要なことではないでしょうか。
――日本の怪談にも亡霊になっても待っていたみたいな話がありますね。
荒俣 お化けや妖怪は、向こうに用事があるから出てくるのではなく、こちらが見たいと思ったときに初めて会えるものだと思います。日本人は昔から異界やあの世にいる人との交流を望んでいた。それは隔てるものがあっても互いを愛する強い絆が存在しているという1つの証です。人間社会にだって関係性を隔てているものが多々あります。人間と妖怪のつながりというのは、21世紀的なアプローチなのかもしれません。

徐福をテーマに3国共同の映像制作

――異界の者と仲よくしようという発想は、島国の日本では当然のことだったと思います。実際にいろいろなものを外から受け入れてきた国ですから。
荒俣 高天原からやってくる大和朝廷の先祖の神々はみんな外来者です。大国主が外来者の神々に「戦争をしないで話し合いでいきましょう。あなたたちに支配権を譲るから私たちも一緒に暮らさせてね」というのが出雲風土記などに出てくる話です。天津神は異界から地上に降りてくるわけですから、ある意味、妖怪みたいなもの。そうした者たちと仲よくしてきたのが太古からの日本の歴史です。「和をもって尊しとなす」はまさに妖怪との付き合いの基本なのです。
――いまがそういう時期にあると。
荒俣 日中韓は東アジアの大切な近隣同士。何とか和の精神で、これからの21世紀を開いていかねばなりません。もう亡くなりましたが、市川森一という脚本家がいました。彼は日中韓の脚本家団体の会長を務めていて、ある時「日中韓どの国の人も感動するようなドラマや映画ができないだろうか。私たちは同じ感覚を持った隣人なんだということがわかれば、もう少しいい関係が築けるのではないか」と考え、市川さんとプロデューサーと私の3人で3国共同の企画を考えることになりました。
いろいろリサーチしていくと3国にまたがる古代ヒーローが1人いることがわかりました。徐福という人物です。秦の時代、徐福は始皇帝に献上する不老不死の薬を求め、朝鮮、日本に渡ったと考えられています。
――その徐福の物語を3国共同で制作すると。
荒俣 そうです。徐福を通して、それぞれの国を理解する。さっそく物語のあらましをつくって3国の有力テレビ、映画製作者を呼んで会議を開きました。
――いつですか。
荒俣 2010年です。さまざまな意見はありましたが、徐福でいけるという方向で話が進んでいるときに東日本大震災が起きました。会議は中断。その後、韓国のイ・ミョンバク氏が竹島に上陸。中国との間では尖閣問題が起き、せっかく決まりかけたものがストップしている状況です。
――3国で乗れるものは古いものしかないと。
荒俣 現代の話だと何をテーマにしても難しいでしょう。一方で徐福は妖怪ではないけれども3国で手を結べます。それと同じことが妖怪でもできる可能性は大いにあるのではないでしょうか。日中韓は妖怪で1つになれると思います。

=ききて/鈴木=