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Interview

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拡大する航空需要に全方位で対応する掲載号:2018年8月

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赤坂祐二 日本航空社長

札幌北高校出身で日本航空新社長となった赤坂祐二氏は、整備・安全部門ひと筋に歩んだ現場出身の新トップ。世界的な旅客需要の増加を背景に、競争が激化する業界で〝日本の翼〟をどう導くのか。本人を直撃した。

天井一面に飛行機のプラモデル

今年4月、日本航空社長に就任した赤坂祐二氏は、1962年1月3日札幌市生まれ。札幌北高校から東京大学へ進み、同大大学院工学系研究科航空学専攻卒業後の87年4月に日本航空入社。2001年12月羽田整備事業部生産計画グループ長、09年4月安全推進本部部長兼ご被災者相談部長、14年4月執行役員整備本部長兼JALエンジニアリング社長を歴任。16年4月に日本航空常務執行役員を経て現職。以下、赤坂氏との一問一答。

   ◇    ◇

――幼いころから飛行機への憧れを持っていた。

赤坂 好きになったきっかけはプラモデルです。戦闘機が好きで、狸小路にあった模型店の「中川ライター店」(2015年閉店)によく通っていましたよ。

月並みですけど「ゼロ戦」と「飛燕」(三式戦闘機)ですね。つくった模型はテグスで天井から吊していたので、見上げると一面に飛行機が見えて(笑)

――進路も航空産業へ進もうと考えていた。

赤坂 中学生の時くらいかな、飛行機の設計をしたいと思っていて。

――パイロットではないんですね。

赤坂 はい。だから航空会社よりメーカーの研究所のようなところへ就職できたらと。

――そのために、札幌北高校から東京大学へ。

赤坂 兄は北海道大学に進学していて、私もそうしようと思ったのですが、当時は航空学科がなかった。本格的に飛行機の設計を学ぶには本州へ行くしかなくて、それなら結構勉強しなきゃいけないな、と。結局1浪して東大へ進みました。

――飛行機の魅力をどんなところに感じていたのですか。

赤坂 1つは製品としてシンプルですよね。見た目からそうですから。でもその中身には空気力学とか航空力学から構造、制御、化学に至るまで、あらゆる技術が詰まっている。そこに興味を持っていました。

航空学科の学生はそうしたさまざまな分野を「広く浅く」学ぶものと言われていて。私自身、いろいろな分野の勉強ができて楽しい学生生活でした。

航空会社の安全対策に終わりはない

――日本航空へ就職するきっかけとなったのは。

赤坂 1985年の日航123便機墜落事故ですね。これがなければ、日本航空に就職していません。

――それはなぜ。

赤坂 私が学んでいた航空学科の学生の大きな目標は、日本でジェットエンジンの旅客機を設計、製造して飛ばすということ。実際、当時はそういう機運が航空業界の中にありました。

これは僕自身の印象ですが、あの事故でそういった熱が一旦冷めてしまったと思う。私自身も「飛行機の設計以前の問題だ」と思いました。私が日本航空に入社した最大の動機は、あのような悲惨な事故を二度と起こさないよう、自分の力を尽くしたいと考えたことにありました。つまり、飛行機の安全を守っていくためには、日本で飛行機を安全に飛ばすという実績を積み重ねることが必要であり、まずやるべき事は運航者である日本航空で安全品質を追求していくことであると。

――安全に対する実績を積んだ上で設計、開発をしていく。

赤坂 その上で国産旅客機の設計をしたいということです。いま思うと、ずいぶん遠大な発想ですが、真剣でした。

ただその当時はそこまで時間がかかるとは想像していなかった。日本航空にいるのも、せいぜい10年くらいだろうなというイメージでしたよ。

――10年で安全に関する仕事に区切りをつけて、自分の夢を追いたいと。

赤坂 そうそう。当時は誰にも言ってませんでしたけど。でも、いざ入社してみると、航空会社の安全への取り組みは、非常に深いものがあった。これは結構、腰を据えてやらないとダメだなと思い直しました。

――入社後、整備・安全部門ひと筋で30年。10年の経営破綻時、現場ではどのような状況でしたか。

赤坂 何が起こるのか、想像もできない状況で、非常に危機感を覚えました。その中でも安全だけは守る、それが自分の役割だと自らに言い聞かせるようにしていて。他部門と意見が対立する場面もありましたが、航空会社は安全がすべてということを、あらためて理解してもらえる機会にもなったと思います。

――特別理事に就任した大西賢前会長、植木義晴現会長といった先代トップとは、安全部門についてどのような話をされましたか。

赤坂 彼らと私がそれぞれやってきたことについては、お互い理解し合っていると思います。認識というか、信念みたいなものについて、昔から通じ合うものがありますから。それについて、社長就任に当たって今更何かを話すようなことじゃないんでしょうね。私自身はそう思っています。

――自動車などに比べて、航空機は統計上もっとも安全な乗り物だと言われます。

赤坂 でも、終わりがないんです。果てしない。「もういいや」と思ったことも一切ない。

――社長となった今もそう思いますか。

赤坂 はい。せっかくこれまで勉強して経験を積んできましたから、今後もそれを生かせるよう、ずっとやっていくということです。

民営化で空港が地域の交流拠点に

――20年度までの中期経営計画では、国際線の強化を目指しています。

赤坂 航空事業においてもっとも成長が期待できるのが国際線ですし、稼ぎ頭になっていくのは間違いない。ただ首都圏では発着枠に制限がありますから、自分たちの意思で増減できるわけではない。空港の制約を踏まえながら需要を見てわれわれが供給を増やすということが基本です。

――5月に国際線LCC(格安航空会社)の設立を発表しました。

赤坂 国際線を伸ばしていく中で、低価格志向のお客さまに対して、われわれのアプローチがこれまでありませんでした。

フルサービスキャリアは近距離から長距離まですべてやっていますが、LCCについてはジェットスタージャパンと短距離で共同事業をしているのみ。そこで中長距離の国際線に対応するのが今回のLCCです。これですべてのマーケットにアクセスできる体制になりましたから、需要や空港の制約、発着枠の拡大に合わせて事業を進めることになります。

もう1つ力を入れているのが、他社との提携です。自分たちで飛ばすにはハードルが高い路線もあるので、提携を進めることでネットワークが広がる。これは大きなメリットです。

――メーンの航空事業以外の新規事業にも力を入れる方針です。

赤坂 航空事業そのものではありませんが、その周辺事業、たとえば空港でのグランドハンドリング(地上支援業務)や航空機整備業務を請け負うというのをまずやっていこうと。20年に首都圏で空港発着枠の拡大がおこなわれますが、それはわれわれだけでなく海外からの航空便受け入れも増えるということです。発着枠が増えても、空港側に受け入れ能力が足りなければ飛行機は降りられない。われわれが受け皿になろうということです。

――道内7空港の一括民営化について、地元企業連合へ参画を検討しています。

赤坂 参画については前向きに考えています。道内だけでなく日本各地の空港で民営化の取り組みが行われていますが、僕自身はこれを契機に、空港が地域のランドマークになってほしい。単なるお客さまの乗り降りだけでなく、地域の人の交流の場として発展してほしいし、そうすることで空港の価値が高まり、収益性も上がっていく。

それともう1つは、民営化によって航空需要を地域に喚起していく取り組みをさらに進めてほしいし、それは空港にとってもわれわれ航空会社にとっても大きなメリットになる。その意味でわれわれもぜひ一緒に参画させてもらいたいし、需要の喚起についてはノウハウがあるので、さまざまな協力ができると思います。

北海道らしさを外にアピールすべき

――北海道はインバウンドが伸びる一方で、道民自体は北海道の魅力についての理解が乏しいと言われます。北海道を離れ、外から北海道を見てきた経験から、その可能性、魅力について教えてください。

赤坂 われわれ航空会社の立場からすると、インバウンド需要が増加していく中、首都圏だけでなく全国で受け皿を用意していく必要があります。その中でもっとも可能性を秘めているのが北海道だと思います。

北海道といえばまず自然が観光資源として思い浮かびます。でも、文化的にも、道外とは異なる部分があります。北海道らしさというか。いま住んでいるみなさんは認識されていないと思いますが、確かにある。

それと「北海道には何もない」と思われる方もいるかもしれませんが、それが良さでもあり「北海道らしさ」の1つでもある。そういう日本的だけど日本的ではないところが北海道の魅力です。住んでいる方々が意識を変えて、外にアピールしていくこと。そうしないと、もったいないんじゃないか。私はそう思います。

=ききて/清水大輔=