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Interview

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常に医療界をリードしていく存在であり続ける
社会医療法人初の「非医師」理事長が誕生
掲載号:2010年9月号

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西村昭男(前理事長)大城辰美(新理事長) カレスサッポロ

より公益性の高い医療機関しか認められない「社会医療法人」に日本で初めて医師以外の人間が理事長に就任した。札幌市内で「北光記念病院」「時計台記念病院」などを運営する「カレスサッポロ」だ。新・旧理事長の2人を直撃した。

経営部門強化のため幹部を全国公募

――西村さんは聖路加国際病院名誉院長で98歳の現役医師でもある日野原重明先生と親しいですね。日野原先生からは「まだ若い」と言われていたそうですが、いつから社会医療法人である「カレスサッポロ」理事長の退任を考えられていたんですか。
西村 私は今年で80歳です。実は別の事業も考えていて、あまり遅くなるとそれができなくなる。また 組織というのは世代交代もしないといけない。そんなことで、この3年くらい退任に向けた下準備を重ねてきました。日野原先生が会長を務める「新老人の会」 の3つのモットーの1つに「創めること」があります。ですから、きっと日野原先生からもお許しがいただけるものと思います。
i6 ――3年前というと西村さんが実質的につくられた室蘭の「日鋼記念病院」を擁する医療法人社団「カレスアライアンス」理事長を解任されたころですか。
西村 そうですね。2007年9月11日の、いわゆる“カレスアライアンス・クーデター事変”以降です。私自身年齢が高くなっていたので、まずはアライアンスの理事長を誰かにお願いしようと思っていましたが、その前に解任された(苦笑)。
――そして、理事長を務める2つの法人からカレスサッポロの1法人になりますが、後継は大城さんだと考えられていた。
西村 前から考えていました。大城さんは経営部門強化のためスタッフを全国公募した際、3次にわたる 厳しい審査を経て、41人から3人を採用した中の1人です。1995年4月17日、日鋼記念病院本部企画管理部長として採用。翌96年からは統括財務管理 部長として大いに力を発揮してくれました。
――当時、医療法人の理事長は医師か歯科医師しかなれませんでした。
西村 そうした規定は当然変わるべきものだと思っていました。全国公募で優秀な人材を採用したのも将来の変化を見据えてのことです。現在も医療法人の理事長は、医師か歯科医師が原則ですが、都道府県知事の認可があれば非医師も就けることになっています。
――大城さんが西村さんから次の理事長を頼むと言われたのは。
大城 具体的にいつというのは……。クーデターが落ち着いた昨年の秋口くらいでしょうか。
西村 いずれにせよ明確になったのは5月27日の定時理事会・社員総会。大城さんに理事になっても らって、その場で54歳の彼を次期理事長候補とすることを満場一致で決議しました。そして「非医師等理事長選出許可申請書」を道に提出。6月23日付で高 橋はるみ知事より認可を受けました。7月10日、臨時理事会・臨時社員総会で、理事の互選により、8月1日付で大城さんの理事長就任が議決されました。
――「許可申請書」はどう書かれていたんですか。
大城 西村先生は次のように記してくださいました。「当法人は、主に諸事情により事業継続が困難と なった医療機関の要請を受けて、公益的な地域医療機能の維持を目途として、複数の医療機関を束ねた形で組織構成された。大城辰美は、社会医療法人母恋(旧 医療法人社団カレスアライアンス)において1995年に病院経営幹部の全国公募により、多数の応募者から数次にわたる選考を経て採用され、98年4月から 2007年5月まで当該医療法人の常務理事として、財政基盤など困難な経営再建に主導的な役割を果たしてきた実績がある。社会医療法人社団カレスサッポロ は、かねてより病院の健全な経営には、その道に精通した専門家が欠かせないとの時代認識から、当社会医療法人を総理する立場で能力を発揮できる的確な人材 として、大城辰美を理事長候補に選出した」と。

非医師の登用で医療界に一石を投ず

――そもそもの出会いは。
大城 93年でしょうか。東京で開かれた「高機能医療研究会」の会場だったと思います。
西村 その当時、大城さんは徳洲会を出て、沖縄で300床の病院を立ち上げていた。なかなか厳しい条件の中、彼が中心になって全室個室など、かなり先進的な取り組みをされていた。医療業界内でも話題で、私も大城さんの名前は知っていました。
大城 94年ころでしたか。業界団体の見学会で私も日鋼記念病院を訪れたことがあるんです。
西村 そのときに話をしようと思っていたら、大城さんは途中でサボって午前中くらいに帰ってしまっ た。残念だなと思っていたら、その後、沖縄の病院を辞めたというあいさつ状が来た。私は急いで連絡をとって、日鋼記念病院で経営幹部を全国公募するから、 ぜひ応募してほしいと。当時、大城さんは他の医療機関からも引く手あまただったようだが、応募してくれた。
――なぜ応募を。
大城 病院の隅々を見ると、病院経営者の考え方がよくわかります。日鋼記念病院を見学したとき、ここには自分に不足しているものが全部あるという気持ちになりました。ですから決断は早かった。
西村 大城さんが来てからも、日鋼記念病院では、かなり先進的な取り組みを実践してきたという自負があります。
i8 大城 日本で第1号の医療機能評価認定証を受けました。97年7月のことです。また北海道の民間病院 で初めて臨床研修指定を受け、その中に家庭医の養成を盛り込んだ。これも日本初です。当時、家庭医なんて聞いてもわからなかった。今では多くの医療機関が 取り組んでいます。当時よく言われていたのは「頭で描いても、それを具現化している病院は少ない。日鋼記念病院はそれができている」という評価でした。
――カレスサッポロも日本初が多いですね。
大城 医療機関債の発行は05年3月、社会医療法人の認定は08年7月。いずれも全国第1号です。
西村 決して“第1号オタク”ではありません(笑)。病院医療の質など、さまざまな医療のあり方を、制 度創設のずっと前から真剣に追求し続けてきた偶然の結果です。今回の非医師の社会医療法人理事長就任も、病院経営の責任者のあり方を私自身、十数年前から 試行錯誤を繰り返してきた1つの回答です。医療界に一石を投ずることになればと思っています。病院経営というのは、やはり経営の専門家がやるべきでしょ う。経営の勉強も何もしていない医師がやるのは無理です。そういう分離ができていないのは、先進国で日本くらいなものです。
大城 西村先生も院長・理事長という時期がありました。でも理事長専任になったとき白衣を脱ぎ、「自分は医者じゃありません」といい続けてきました。経営者としての意識がはっきりしていた。

非医師のほうが広く受け止められる

i9 ――大城さんが理事長になるのは、そうした日本的な医療経営を見直す1つの突破口になりそうですね。
大城 苦難の道が待っているのは間違いないと覚悟しています。西村先生から場を引き継ぐのですが、い ま西村先生がおっしゃったことを“正解だった”と世の中に示さなければならないと思っています。そういう中で、これまで同様、常に医療界をリードしていく 存在であり続けるために、非医師としての場をどのようにつくるか。私自身が試されているのでしょう。
――院長・理事長のいい面は、医師確保にあったと思いますが。
大城 これは医師・非医師にかかわらず、病院経営者すべてが悩んでいる問題です。ただ、医師と医師だ と価値観がぶつかることがあります。自分の診療科に絞られた感覚でものを話されるケースがある。私は医師でないぶん、それを広く受け止め、何がやりたいの か純粋に聞くことができます。医師の望みに対し、それを提供しやすい環境は、非医師のほうがつくれるのではないかと思っています。

社名は「アグリ工房イタンキ」

――医療界の旧体制との狭間の中で理事長を引き継ぐのは本当に大変そうです。
大城 創設者の本当の苦労というのは引き継いだ人間にはわかりません。なるべく創設者の築いたものを なくさないように頑張るだけです。とくに変えてはいけないのは、病院は「人間相互の慈しみと信頼の心が活きる場所」であるという理念。西村先生のもとで 15年やってきているので、考えていることはあまり違わないでやれるとは思いますが、同じようにはできないので、そのぶんは努力していくだけです。
――退任後の計画は。
西村 これまで人間を対象にして半世紀ほど激しく働いてきました。残された人生は農業法人を立ち上げます。
――農業は以前から考えられていたのか。
西村 一般に人の興味は年齢とともに動物、植物、鉱物に移るといわれています。まだ石仏や墓石には興味がわかない(笑)。そういう意味では自然な流れです。これまで人を育てる難しさをかみしめてきた。植物はもっと素直だと思います。
――もう農業法人は立ち上げたんですか。
西村 準備中です。
――社名は。
西村 「アグリ工房イタンキ」です。
――本社は室蘭に。
西村 はい。私の終の家に隣接した、崖上、強風、潮風という農業にまったく適さない絶景の土地に、バイブリッド型の植物工場を建設。将来はそこでの生産野菜を食材とした景勝レストランを経営する。そんな夢の構想です。
――そうはいっても医療界とまったく切れるということにはならないでしょう。
西村 医療の現場とは切れます。名誉職で残るということも一切ない。公的な役職もほぼ整理がついてい ます。現場を持っているといろいろなしがらみの中で自由な発言はできない。そういう中で、農業法人をやっている老人が、何か知らないけど医療界のことが詳 しいし、厳しいことを言っているぞと、そうなればいい。もちろん“カレス理念”の創始者として、カレスサッポロを外部から熱烈応援はします。ただ、病院に 立ち寄るのは一患者の立場だけになるでしょう。

=ききて/鈴木正紀=