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Interview

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地域医療と先進医療の両面で
さらなる貢献を果たしていく
掲載号:2010年12月号

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島本和明 札幌医科大学学長

 医師不足が叫ばれて久しい。北海道の地域医療は崩壊の危機に瀕している。60年前「医学・医療の攻究と地域医療への貢献」のために設立された札幌医科大学。今ほどこの精神が試されている時はない。島本和明学長に同大が果たすべき役割を聞く。

臨床研修制度で地域医療は壊滅的な打撃

――母校10代目学長に就任して半年が過ぎました。
島本 思っていたよりも忙しいので驚いています。出身の第2内科の後任教授が11月まで不在だった り、学会の活動もそのまま引き継いでいたので、従来の仕事に学長の仕事が増えただけという感じです(苦笑)。第2内科のほうは11月1日から准教授の三浦 哲嗣先生が教授になりました。私の仕事も1つ減った。こうして徐々に学長の仕事に専任できるようになっていくと思います。過渡期の半年、1年はしかたない ですね。
――いま北海道の医療における一番の問題点は何だと考えられていますか。
島本 間違いなく医師不足です。大学でも医師不足は極めて大きな問題で、東京大学医学部ですら悲鳴を あげています。基礎研究者が足りないのです。臨床の教室の医師も学位の研究のために基礎に行き、2年間で論文をまとめて戻ってくるのですが、その臨床に医 師がいなければ基礎に行く医師もいない。マンパワーが不足して研究が維持できない。  臨床面でも同じことがいえます。地域医療を維持するために少ない人数で仕事を回す。以前は20人でやっていたことを10人でやる。  大学病院の医師は日中、臨床をやって夜に研究というのが常識なんです。朝8時から患者さんを診て、夕方6時から夜遅くまで研究をやって帰る。でも夜の臨 床を代わる人がいないとなると、ずっと臨床をやらざるを得ない。そういう医師がだんだん増えてきているんです。
――どうしてそんなに医師が減ったんでしょう。
島本 背景には2006年からスタートした卒後臨床研修制度があります。これで北海道の地域医療も壊 滅的な打撃を受けました。04年くらいから医学部卒業生が、1、2年後には研修が必修になるんだからと、いろんな研修病院に出かける動きがあって、大学の 医局への入局者が減っていました。また大学も、いい指導医がたくさんいるところに学生は集まってくるだろうということで、地域に派遣していた医師を大学に 戻したり、ある程度の規模の病院に医師を集約せざるを得ない状況になりました。  道内では、北大医学部で120人、札幌医大で100人、旭川医大で50人から60人と、毎年300人近い医師が3大学に残り、入局していました。それが 06年、07年の2年間、1人の入局者もいない。この2年間ゼロというのが極めて大きかった。
――2年の臨床研修を終え、札幌医大にはどれくらいの医師が戻ってきたんですか。
島本 それ以前の100人に比べると20人強落ちましたが、78人の入局者がありました。その後は77人、71人、昨年は58人にまで減りましたが、10年4月に78人にまで戻りました。  ――いずれにせよ、大学に医者が戻ってこなければ地域に医者を出すということは難しいですね。
島本 当初、厚生労働省は医師を大学から派遣するのではなく直接、医師の足りない病院へ入れるという 目論見で卒後臨床研修制度をスタートさせました。でもこれは最初から無理な話なんです。研修は地方の小さな病院ではできません。ある程度、大きな総合病院 でなければ診療科を回れない。結局、都市部の病院に医師が集まっただけ。地方の病院は全然医師が足りない。大学も足りないから出せない。極めて不均一な医 師の偏在が起こっています。これを何とか是正していかないと、地域で困っている病院を助けることはできません。
――ただ、医師数は毎年全国で3000人は増えているはずなんですよね。
島本 偏在そのものです。医局があるときは、たとえば出身の第2内科でいえば、7年から8年で内科専 門医、さらに循環器、腎臓のいずれかの専門医をとって、医学博士もとる。3つの資格をとるわけだから大変なんですが、その間に順繰りで2年は地方の病院に 行っていました。1年交代という約束で2年。それは誰も抵抗がなかった。
i7 ――そういうシステムがない限り、地方の病院へ行こうということにはならないでしょうね。
島本 いままで順繰りでうまくいっていたものが、本人の希望のみとなったところで、家族や教育のことを考えると最初から都会にいたいとなってしまった。  その時期、本学では2年間医局に誰も入ってこなくても交代で何とかしのぎ、ほとんど派遣は切らないで対応しました。  このとき医局任せの医師派遣をやめにして、各教室で派遣の検討委員会をつくった。教授は委員長になれないという条件をつけて、教室の総意で決めてもらうというシステムです。  第2内科では、私が入局したときから医局会という組織がありました。医師の派遣は医局会で決めていたのです。教授の権限は医局会で決めたことを認めること、あるいは差し戻すことに限定されていた。
――出身の第2内科では、そういう民主的な決定機関を持っていたのですね。
島本 そうです。

逆回転した歯車を元に戻すのは大変

――それが全学のモデルになったんですね。
島本 当時、私がワーキンググループの中で病院の臨床関係を担当していて、新たな派遣方法をまとめる立場でした。道民に対し、誰が見てもわかるようなオープンなものにできてよかったと思います。
――結局、勤務医が都会で開業してしまうから、いつまでたっても地域の医師が増えない。
島本 臨床研修制度が始まったとき、たとえば4人の医師で回していたところを1人抜け、また1人抜け、2人になる。でも患者は減らない。結局2人で4人分の仕事をすることになる。もちません。それで残った医師もやめて札幌で開業というケースが一時ものすごく増えました。医師の都市部における偏在です。歯車は、いったん逆に回りだすと、これを戻すのは大変な労力が必要になります。
――学長になられて、改めて札幌医大の果たす役割をどう考えられていますか。
島本 やはり地域医療を抜きにして、ものごとを考えられません。教育にしても「地域医療マインド」をもつ医療者を育てる立場で、学生のときから地方に行かせます。そこで実地の体験をしてもらい、地域医療への理解を深めてもらう。そんな取り組みもしています。また卒後、一定期間北海道の地域医療に従事することが義務付けられている特別推薦枠を5人から15人まで増やしています。あとは初期研修が終わった後、多くの医師が本学に戻ってきてくれれば、また各教室から派遣することもできる。とにかく地域医療に何とか応えていくというのが第1です。
――大学に戻ってこさせる工夫のようなものはあるんですか。
島本 卒業生の2割は本州方面にいっているのですが、彼らとは必ずコンタクトをとるようにしています。10年くらいたつと北海道に戻りたいという人はそれなりにいる。そういう人に対し、いつでも大学に戻れる、あるいは就職先を探す場合でも、道を介していろんな病院を紹介する。一度出て行くと、なかなか帰りづらくなるものです。でも本学は、学生でも、研修医でも、卒業初期でも、中堅でも、あらゆるレベルで北海道に戻ってきてほしい。そのための努力、協力は惜しみません。
i8――ほかには。
島本 盛んです。文部科学省からの研究費も多く、その額は医学部の中でも上位に入っています。当然、研究レベルが高いので予算もつく。とくにがん、免疫、最近は再生医療なども全国をリードする立場で研究をしています。こうした研究は医師不足であっても維持をして伸ばしていかないといけない。私はこれがなければ大学ではないと思っています。  そして、3番目が教育です。ついつい医学部というと卒後の研究と臨床に目を奪われがちですが、これを維持するために最も重要なのが学生の6年間。いまはもっともっと教育に力を入れるべきで、それによっていい医師が、いい研究者が出てくる。学内の改革も進めている最中で、私は教育を改善するという方向にかなりのエネルギーを費やしていると自負しています。
――この3つが鍵だと。
島本 はい。この3つを進めるために、いま本学で何が最も必要か。教員、学生、研修医、事務、あらゆる職種の人の意見は同じです。まずは新病棟をつくること。また管理棟、教育棟は耐震構造になっていないこともあって、この新設は時期的にやらないといけない。研究所も古い。保健医療学部のニーズも増えてきている。ここも狭くて古いので保育所のある隣の土地も利用して新しく拡充する。  いい医師を育てるために病院を、いい教育をするために教育棟を、いい研究をするために研究所を、それぞれ新しくつくる。これが、臨床、研究、教育の3つのキーを支えるために、いま取り組むべき「新キャンパス構想」なんです。

3つの鍵を支える新キャンパス構想

――すでに基礎医学研究棟はできていますね。
島本 はい。1999年3月に竣工しました。附属病院は、耐用年数がまだ十数年あるのですが、6人部屋が大半です。いまアメニティーとしては4人部屋が常識です。新棟を建てて、いまの病棟とつなぐ。現在900床のうち6人部屋が600床ほどあります。つまり100部屋。それを4床化したら200床分を新たにつくらないといけない。それが新棟です。  病床が移ると同時に、現病棟は改装を図る。患者さんにとって居心地のいい病院にしたい。これによって手術室もリハビリテーション室も広げることができる。いま附属病院で課題となっている部分がそこで解決できるのです。これはなるべく早くやりたいと思っています。  いまよりもさらにいい医療ができれば、もっと医師が集まってくる。現状のまま医師たちの情熱だけで、臨床も研究も教育も支えていくのは極めて厳しいと思います。施設を新しくすることで卒業生が残る、外からも医師が来る、それによって地域医療がカバーできる。そうなるのが理想です。
――大きな構想ですね。
島本 私は学長に就任した際、職員のみなさんに言いました。あと2年半で6年の中期計画が終わる。その後、新キャンパス構想を含めた新中期計画をスタートさせる。それに向けて全力をあげますと。  臨床、研究、教育の3つの核を推進するために、本学にいま必要なのは、これだと思っています。
――新キャンパス構想の着工時期などは固まっているのですか。
島本 2年半後に新中期計画がスタートするということは、来年にはいろんなことが具体的に動くということです。そうでないと間に合いませんから。  いまは足腰を鍛えるために、職員一同がんばっています。今年は附属病院を含め大学の経営状態も非常にいい。
――学長の任期は4年でしたね。
島本 任期中に新中期計画に確実に入ります。新キャンパス構想を着実に進め、地域医療と先進医療の両面で北海道に対しさらなる貢献を果たしていきます。

=ききて/鈴木正紀=