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Interview

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“地域の生き残りを賭けた10年”
に挑む
掲載号:2017年9月

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和泉晶裕 北海道開発局長

7月7日の“開発人事”で「北海道開発局長」ポストに関係者の耳目が集まった。異例の大抜てきがおこなわれたからだ。話題の主は和泉晶裕氏、56歳。人口減少・高齢化で“待ったなし”の北海道。和泉新開発局長にご登場願った。

シーニックバイウェイの“生みの親”

――和泉さんは、北海道型のドライブ観光を推進する「シーニックバイウェイ北海道」の“生みの親”だそうですが。

和泉 これは北海道開発庁が省庁統合で、国土交通省になった2001年に、初めて提案したプロジェクトでした。

1993年に私は担当係長として、最初の「道の駅」 14か所を指定しました。 当時は、24時間利用できる清潔な水洗トイレと駐車場、そして何か地域の情報発信をすることだけが条件の施設でした。

「道の駅」という名前も知られていないので、はじめはスタンプラリーをやっても参加者が少なかった。

それが30~40か所ぐらいになってくると道の駅めぐりが増えて、スタンプラリー応募者数も爆発的に増えてきました。それで、北海道はドライブ観光がすごく盛んになる可能性があると確信しました。

そこで道の駅の人気が「点」でしかないので「線」 につなげていこうと考えたのが99年頃でした。そして米国で始まっていたシーニックバイウェイというプロジェクトを北海道型に検討することを、国土交通省発足後、一番最初の重点政策として出しました。

――従来の道路行政にはない発想ですね。

和泉 ドライブの目的である美しい沿道の景観と言っても、道路行政ではせいぜい用地幅内に限られています。沿道の都市・農村・森林景観は、地域の人がそこで生活や産業の営みを続けているからこそ、保たれるということから、地域の人と一緒になって、美しい景観や観光、地域づくりを行うプロジェクトをやることにしました。

1番のポイントは地域の方々が、地域をどうしたいかを自ら発案することです。それを行政が黒衣になってバックアップするというのがこの制度です。05年に制度がスタートして、もう12年たちました。

――ルートはかなり増えたようですが。

和泉 05年に支笏洞爺ニセコルート、大雪・富良野ルート、東オホーツクシーニックバイウェイの3ルートからスタートして、宗谷シーニックバイウェイ、釧路湿原・阿寒・摩周シーニックバイウェイ、函館・大沼・噴火湾ルート等々、全道に12のルートが指定されています。また天塩川流域ミュージアムパークウェイと層雲峡・オホーツクシーニックバイウェイの2つのルートが準備中です。

地域の約400団体、4~5万人の参加を得て、それぞれの地域で沿道で花植えや清掃活動、観光メニューの検討・実施など幅広い活動が行われています。

風景の良いところにウッドデッキをつくって、そこでゆっくり休んでくださいと。そういう知られていない地域の風景の良いところを、地域の人たちがどんどん発見・活用している。そうした地域の人たちの頑張りに支えられて12年間やってきています。 いまではCMになっているところもあります。

また、この活動は海外からの観光客を誘致するために英語の名称としていることから、外国人によるドライブ観光も進めてきました。今では年間6万台を越えるレンタカーが利用されています。

少人数で移動できるメリットは地方の小さな食堂やお店に立ち寄ることができ、お土産を入れるスペースもあることから地方への経済効果が期待される一方、安全対策もしっかりやっていかなければなりません。

シーニックバイウェイの活動は、開発局だけでできるものではありません。行政と地域の人がみんなで知恵を出しあいながら連携してやってきたことが大切でした。

阪神淡路大震災と豊浜トンネル崩壊

――経歴の中で、特に忘れられない出来事などは。

和泉 やはり95年1月の阪神淡路大震災です。33歳のときです。当時、私は苫小牧道路事務所の課長でしたが、室蘭開発建設部次長にいた吉田義一さんから「転勤できるか」と電話がかかってきました。しかも「今日付だ」と(笑)

ちょうど北海道開発庁長官をやられていた小里貞利さんが、震災対策担当大臣になられたんです。その際、大臣直属の部下を各省庁から集め「特命室」を設置しました。北海道開発庁からは土木職として私に白羽の矢が立ったようです。

大臣直結の機関だったので、仕事は本当に大変でしたが、やりがいがありました。いまでも各省庁から来た人達と、必ず年明け1月の震災の前には、一緒に昔の事を語り合う会が続いています。

そして翌96年2月に北海道古平町で起きた、豊浜トンネル崩落事故です。 この2つの体験はずっといまでも私の心の中にあって、 絶対に人命を失うような災害が起きてはならない、なんとしても防ぎたいという思いが常にあります。

人口減少・高齢化がJR問題の背景に

――さて、北海道はいま人口減少・高齢化で、地域が危機的な状況にあります。そんな中、第8期北海道総合開発計画が策定され、2年目を迎えます。

和泉 まさに私の最大のミッションはそれだと思って取り組んでいます。

北海道の人口減少というのは本州よりも10年以上速く進んでいて、97年に570万人でピークが訪れました。以来、ずっと減少してきているのです。高齢化も本州より10年ぐらい速く進んでいる。地方の過疎化も急速に進行しています。

JR北海道問題について、いろいろデータを調べると、 ひとつの大きな要因は、地方の人口減少が進んでいるということなのです。

地方の人口減少が進み、高齢化も進んでおり、通勤・通学客が減少している、ということが大きな原因です。 もうひとつは、87年国鉄民営化時に、地方交通線を廃止したときに、北海道では1000㌔以上もの路線がなくなったことです。

それで地方がより不便になった。鉄道のない地域がすごく増えて、その地域の方々は自動車に依存することとなるので、自動車の保有率がどんどん上がった。

いわゆるモータリゼーションの進展といわれますが、北海道でそのきっかけとなったのが鉄道の廃線でした。

そうすると残ったJRにも影響を与えて、いまのような状態になっているのだと思います。

北海道の地域構造は特殊で、地方から全部、札幌に集まる。九州は7つの県があって、県庁所在地にそれなりに集まり、そこから福岡へ行くという構図になっています。北海道でも帯広や釧路などの主要都市に一度集まればいいのですが、基本的に地方から札幌に集まる。それがJRの利用にも影響しているのです。

――高速道路が延びたこともJRの足を引っ張ったという見方もあります。

和泉 そういう話を聞きますが、高速道路の無料区間が初めて供用したのは98年ですし、そのときにはJRの利用が既に落ちていて今の状態になった後なのです。有料の高速道路も国鉄民営化時には、岩見沢、小樽、室蘭あたりまでしか延びていませんでした。そこはいまでもJRはちゃんと頑張っていますから、高速道路が関係していることではありません。

人口減少と高齢化の問題が、道内でJR問題に症状として1番顕著に最初に現れたと、私は思っています。これからはいろいろなところでその症状が出てくると考えています。 

――第8期計画では、農林水産業、観光等を担う「生産空間」を支え「世界の北海道」を目指す、としていますが…

食と観光担う「生産空間」のサバイバル

和泉  「食」と「観光」が北海道の戦略産業ですが、農業、水産、観光を担っているのは地方の市町村です。そこをいま、われわれは「生産空間」と呼んでいます。そういうところに限って、医療や教育、交通という生活に欠かせないことが不十分なので、そこを何とかしなければならないと考えています。

全国の市区町村別の平均所得額順位(2016年)という資料を見ますと、100位以内の市区町村は、ほとんどが首都圏、近畿圏、中部圏に集まっています。九州も中国も四国も入っていません。

ところが北海道では、猿払村と安平町、別海町、佐呂間町、長万部町の5つも入っているのです。

1位は東京都港区で1111万円、2位が千代田区で915万円、3位が渋谷区で772万円。

そして猿払村が692万円で、なんと4位なんです。安平町は11位で523万円。別海町は58位、佐呂間町は85位、長万部町が99位です。

そういう生産空間としてのポテンシャルを、多分北海道のどこでも持っていると思っています。そこで、生産空間を支える取り組みとして、北海道型の地域構造を保持・形成していかなければなりません。

北海道の強みを支える一方で、将来的に過疎化、無人化の進行が危惧される生産空間が、その役割を果たし続けるために、都市機能・生活機能が日常生活に支障のない水準で提供される「基礎圏域」を形成して、重層的な機能分担と、ネットワークによる連携を通じ、生産空間での暮らしを広域的に支える必要があります。

この10年は「生産空間のサバイバル」、「地域としての生き残り」を賭けた重要な期間です。早急に手を打たなければならない。“待ったなし”というのが、この10年だと考えています。

もうひとつ生産空間を支える取り組みが「地域づくり人材の発掘・育成」です。

――人材というのは。

和泉 国土計画で人材とか人という言葉が載っているものは特殊だと思います。

開発局が持っているノウハウを使って、1つの組織だけでできることは、いまの複雑な世の中では非常に限られています。

ですから、他の国の機関や道庁、自治体、民間企業、各種団体の方々と、うまく連携する枠組みをしっかりとつくっていく。それをプラットフォームと言っています。プラットフォームの目的に賛同いただけるメンバーを募集・登録し、パートナーシップ会議を通じて北海道の新たな価値を創造していく。そういう場でも開発局がコーディネーター役をやっていければ、と思っています。

シーニックバイウェイなどは、そのプラットフォームの初期モデルのひとつといってもいいと思います。

以前は、人口増加への受け皿づくりが、北海道開発法の基本でしたが、いまは人口減少にどう対応するかが問題です。

第8期北海道総合開発計画では、全国に先がけて、どうやってその答えを見出すかが1番のポイントだと思っています。

=ききて/干場一之=