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Interview

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初プロジェクトばかりを担当
「あいつならできる」と言われた男
掲載号:2009年12月

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東口 豊 日本情報セキュリティ認証機構 顧問

(あずまぐち・ゆたか)1946年10月12日、釧路市出身。69年小樽商科大学卒業後「富士通」入社。大型コンピューターのOS開発に従事。第一保険システム部長などを歴任。96年「富士通金融システムズ」システム本部長。99年「富士通エフエスオー」社長。2001年「明生システム・サービス」常務。05年「日本情報セキュリティ認証機構」社長。09年同顧問。

富士通入社早々、巨大プロジェクトの中核部分の開発を見事完遂。その後も次々と困難なプロジェクトを成功させた東口豊氏。いつしか新たな挑戦には必ず登用されるようになった。その手腕、マネジメント能力は、企業経営にも生かされている。

初仕事が大型計算機のスーパーバイザー

――小樽商科大学管理科学科の卒業ですね。
東口  北海道大学と小樽商大の2つから合格通知をもらい、どちらにいこうか決めかねていました。小 樽商大を改めて見にいったときのことです。私が学生会館でコーヒーを飲んでいたら「君はここの学生か」と見知らぬおじさんに声をかけられた。「ここの学生 になるかどうか見学に来たんです」と答えたところ、「今度、大学に大きな電子計算機が入る。その最新鋭の計算機で4年間遊んで暮らしたらどうだ」と言われ た。「これからは電子計算機の時代がくる。だから是非やってごらん」と。
当時「電子計算機」という言葉も知りませんでしたが、直感的にそうなんだと思いました。親は猛反対です。国鉄勤めの父は「何だかんだいっても北大がいい んだ」とバカなことを言う。あまりにうるさいんで、さっさと入学届を出して、そのまま旅に出ました。帰ってきたら父もあきらめていた。それで大学の4年 間、1台何億円もするコンピューターを自在にといっていいほど使わせてもらった。
――そうした大学生活を経て富士通に入った。
東口  富士通では年に2回くらい大学生向けの講習会をやっていて、これに参加すると日当が出て昼飯 もつく。大学も勉強になるからと勧めていた。それで私も参加するんですが、講習の最後にあるプログラムをつくれという課題が出た。富士通ではその結果をす ぐに本社に送って検証したようです。あとで知りましたが、たまたま私のプログラムは、まともだった。
就職が近くなったときに、大学から「富士通を受けてみないか」と言われました。自分としては「オンライン化を進めようとしている銀行にいく」と答える と、「面接だけでも受けてくれ」とボーイング727の往復航空券をくれるわけです。初めてジェット機に乗れるという誘惑には勝てませんでした。
――富士通は大学に話をして採る気満々だったんですね。
東口  そうなんでしょう。長髪でひどい格好で面接を受けました。それでも帰り際、人事担当がやってきて「今日はどこに泊まっているか」と聞いてくるんです。姉がいるのでそこに泊まりますと言ったら、住所を教えろと。そうしたらその晩に「採用します」という電報が来た。
――粋なことをしますね。
東口  当時、富士通としてはコンピューター事業を本格的に進めるということで、全国各地の大学からコンピューターをやった人間を、とにかく集めていたようです。
いずれにせよ、採用通知をもらうと弱い。次を受ける気持ちにならない。その日に電報までくれるんだから、これはいってみようかという気になりました。
――どういう部署に配属に。
東口  演習など7カ月くらいの社内研修があって、その後配属されたのが最新型大型計算機をつくる部 署。しかも私の担当はその核部分となるスーパーバイザー。各アプリケーションの実行を管理するプログラムをつくることでした。もちろん、先輩がたくさんい て「君、できるのか」「君のところが動かないとOS全体が動かないんだ」とプレッシャーをかけてくる。さすがにビビりましたが、それでも私のプログラムを 最初におろさないといけないので、何とかつくり上げた。
――しかし、そんな重要な部分を新人にやらせるというのはすごい。同期にも有名大学出の技術者がいたわけですよね。
東口  同期は100人以上いたと思います。そのうち私を含め文系は20人くらい。あとはみんな理系で、東京大学、京都大学等々、完全にその筋の勉強をしてきた人ばかりでした。
――大型コンピューターの部署にはどれくらいいたんですか。
東口  7年くらいです。次のバージョンを開発していたとき、富士通の方針がIBM互換路線に変わりました。OSを一からつくる時代は終わり、それでお客さまのプログラムを開発するほうに移りました。
――どんな分野を。
東口  いろいろです。たとえば宇宙の分野では、最初の気象衛星「ひまわり」の姿勢制御のプログラム とか、ロケットの追跡管制システムとか。流通部門では、POS管理システムや業務アプリケーションのジェネレーターの開発。そのほか、中央官庁の業務シス テム開発や保険会社の年金数理システムの開発などもやりました。
本当にいろんな経験をして、それが面白かった。大変だけれども、血湧き肉躍るというか、初体験のプロジェクトが圧倒的に多いんです。経験がないから失敗 するのか成功するのかわからない。そういうときは「これは東口がいいんだ」「あいつならできるんじゃないか」というようなことになっていた。それが自分に とっても刺激的でした。

システム開発も経営もマネジメントが大切

――その後、社外に出て、いくつかの会社のマネジメントを任され、現在はセキュリティーの部門にいる。
東口  いろんな分野を歩かせてもらいました。技術者の多くは特定の分野の中だけで終わってしまうん ですが、私はそこから移った。確かに、引っ張り上げてくれる人はいなくなる。でも、それはそれでいいこと。移ったことで違う世界を知り、そこには学ぶこと も、やりがいもたくさんあるということを実感しています。
常務や社長として企業経営にもたずさわってきました。どの世界にも素晴らしい人がいる。埋もれているだけ。今いる人材の中から、ある役割を与えたらきち んとなるケースも多い。それもマネジメントの1つだと思います。私はいま審査の分野にいるんですが、受ける側のときよりもその重要性がよくわかります。な ぜこういう規格があるのか、それはどういう意味なのか、そして企業経営にどう影響してくるのか。システム開発も企業経営もマネジメントが大切だと痛感しま す。

=ききて/構成鈴木=