「情報を先取り、タブーに挑戦」を編集方針とし、生活者・企業経営者に
最新かつ有益な情報価値をご提供する、北海道の地域政治・経済誌

ロゴ

トップページ > インタビュー

Interview

このエントリーをはてなブックマークに追加

先の先を読む“アスフカケツノ”事業で
社会の課題に応える
掲載号:2011年5月

photo

樋口武男 大和ハウス工業会長

 売上高1兆6000億円、純利益190億円(2010年3月期)を誇る住宅総合メーカー「大和ハウスグループ」。次代の要請に応えるべく、常に先の先を読んだ経営を進める樋口武男会長に、事業家としての志を聞いた。(3月17日取材)

被災者の救援に全力を尽くせ

――今回の震災では、住宅業界としての対応も注目されますね。
樋口 私は住宅生産団体連合会(住団連)の会長も務めています。震災が起こったのは、3月11日の金曜日。週明け14日月曜の朝に、私は大阪から東京の住団連に行って、緊急対策本部を設置しました。午後からは国土交通省に赴き、大畠章宏大臣からの要望をうかがいました。2カ月で3万戸の応急仮設住宅を供給してほしいということでした。
16日の水曜日に住団連の傘下10団体の責任者に集まってもらって、大臣からの要請を伝え、最大限応えられるように努力しようと確認したところです。
――東北には住宅関連の各社工場もあるのでは。
樋口 あります。被害を受けたところも多く、資材の供給体制は不透明な状況です。それだけに資材は優先的に被災地に回すということを国に主導してもらわないといけない。
i2――すでに忙しくなっているのですね。
樋口 被災地のみなさんのことを考えると、無事で元気で働けているだけでありがたいことです。国をあげてこの難事をどう乗り越えていくか。われわれ住宅業界は、住まいという分野で全力で応えていく体制をとっていきます。
――被災された地域には大和ハウス工業の物件も当然ありますね。
樋口 震度5以上のエリアの中に、15万7000棟を超えるお客さまの引き渡し物件があります。そのフォローもしなければなりません。
――2011年3月期の連結業績予想は1兆6600億円ですが、震災の影響はどれくらいと。
樋口 この震災で今期に限らず、来季の決算にも大なり小なり影響は出てくるでしょう。最終的な損害がどのくらいになるのかわかりませんが、いまは自分のところよりも、被災者の救援に全力を尽くせと言っています。
――いまや大和ハウスグループは国内64社、海外13社で、住宅、商業建築、リゾート・スポーツ施設、ホームセンターなどの事業を展開しています。そのトップの樋口さんは中途入社なんですね。

希代の実業家、石橋信夫の薫陶

樋口 大学を卒業後、中小の鉄鋼商社に就職しましたが、一生サラリーマンで通そうとは思っていませんでした。自分で会社をつくって、オーナー社長になるというのが20歳からの夢。商社ならさまざまな業務を手がけているし、従業員150人前後の会社でしたから、組織の歯車に終わることなく仕事の仕組み、流れを身につけやすいと思って、そこに就職したのです。
ところが当時は高度成長の入り口で鉄鋼の需要は急増、一生懸命働かなくてもやっていけた。こんなぬるま湯につかっていたのでは経営修業にはならないと、2年で辞表を出したんです。
――大和ハウス入社のきっかけは。
樋口 どこか厳しい修業の場はないかと探していると、ある週刊誌の記事が目にとまりました。「猛烈会社・大和ハウス」という見出しで、石橋信夫という機関車のようなオーナー経営者に牽引され、大阪府羽曳野市に大規模な住宅団地を造成している、社屋の窓は一晩中、明かりがともり、あたかも不夜城のようであると。ここだと思いました。
――大和ハウスでは、いわゆる“モーレツ社員”だったそうで。
樋口 私はそう思わないけど、世間から見るとそうなんでしょう。まあ、頑張ったと思いますよ。それは、目標というものが明確にあったからです。志といったらいいのか。そういうものがなかったら、管理職のみなさんにも言うんだけど、ただ「頑張れ」と言っただけでは、人はついてこない。
――志というのは独立ですね。
樋口 私は全然気づいていませんでしたが、子どもにひもじい思いをさせず、学費の心配もさせず、社会人として一人前にしていこうという過程で、お袋がタンスから着物を出して、それを風呂敷に包んで質屋に持っていくのを見てしまった。親父はまじめなサラリーマンでしたが、子ども4人育てていくのに、お袋はそこまでしないといけないのかと。そのとき、ものすごく感謝するのと同時に、絶対に自分は会社を持ち、オーナーとなって両親に恩を返したいと思いました。
――でも結局、独立はされなかった。
樋口 やはり当社の創業者である石橋信夫の影響は大きい。私を経営者として育ててくれた大恩人です。
実は私が40歳のとき、独立するチャンスはありました。福岡支店長の時代です。しかし、石橋信夫という魅力の尽きない希代の事業家を知り、じかに教えを受け、試されながらもいくばくかの信任を得て、山を一歩一歩登ってきたことの高揚感がありました。恩義もあるし、もっと薫陶を受けていたいという思いもあって、独立はしなかったのです。
ある意味、それは正解でした。41歳のとき、原因不明の胆嚢炎で1カ月の入院。続いて42歳のとき、その胆嚢炎も関係していたのかもしれませんが、猛烈な腰痛で動けなくなった。もちろん、また入院です。
2年続けての長期入院でした。退院後、オーナーのところへ行って「えらい迷惑かけました」と頭を下げたら、「樋口君、いい経験したな」と。そして「人間、大病して太うなる」と言われました。

現状維持は後退を意味する

――大和ハウスは戸建・賃貸住宅・マンションの住宅事業が全体の売上比率の56%を占めていますが、国内は人口減少の時代に入っています。
樋口 当社はそれら全部合わせて年間4万戸強。2010年の全国の新設住宅着工戸数は約80万戸。それがいずれ60万戸になったとしても、シェア10%とるつもりでやっていけばバリューアップになる。それぞれの地域でナンバーワンになり、シェアを10%とる。80万戸だったら8万戸。いまの倍になる。
需要がなくなったら仕方ない。しかし、需要がある限り、あとは戦略・戦術の問題です。何よりも社員のモチベーションが一番大事。社員が仕事をやるのに能力の差はそれほどない。あるのはやる気の差です。
海外展開は、いまは中国がメーンですが、アメリカ、ベトナムも検討しています。今後はマレーシアもインドネシアもインドもシンガポールも全部出ていく。「海外で働きたい人、手をあげてみろ」と聞いたら370人が手をあげた。
――優秀ですね。
樋口 1万3000人の中の370人だから、比率的には低い。でも370人も手をあげてくれるとは思っていませんでした。
このうち、西日本の社員120人を集めて話したときのことです。47歳の女性がいて、いま自分は英語を勉強している、3年後に必ず海外で勤務させてくれと言うんですね。何で3年後なのかと聞いたら、子どもが独立する、50歳からは自分の人生にチャレンジしてみたいと。女性のほうがしっかりしている(笑)。
――大和ハウスはいま、異分野へ次々と進出していますね。
樋口 当社は創業56年ですが、100年には10兆円を達成するという目標があります。それには次の3カ年で何としても2兆円を突破しないといけない。現状維持は後退を意味する。それはオーナーの口癖でした。そして、何をやったら儲かるかという発想で新規事業を起こすな、何が世の中のためになるかということを考えろとも言われた。そこで私は「フカケツノ」という旗印を掲げました。すなわち福祉、環境、健康、通信、農業の頭文字です。それに当社の伝統でもある安心・安全、スピードの「アス」を加えて「アスフカケツノ」というキーワードを社員全員に指示しました。

変化し続けたものだけが生き残る

――具体的には。
樋口 福祉関連は私自身の手で22年前に立ち上げた「シルバーエイジ研究所」を中心に、数多くの高齢者向け施設、病院を建設しています。目下、老老介護の時代に向けて介護補助ロボットを普及させるべく先端技術に出資しています。
環境問題は対応が急がれます。世界のCO2排出量は300億トンを超えたといわれている。しかし、自然界が吸収できるのは114億トン。そのギャップは広がる一方です。
当社が筆頭株主の「エリーパワー」は昨年、川崎市に工場を建て、大型リチウムイオン電池の生産体制に入っています。これには蓄電能力があり、住宅用はもちろん、ビルやホテルなどへの利用を考えています。
健康は全国にスポーツクラブを展開する企業をM&Aしました。また私がトップダウンで推進しているものの1つに「インテリジェンストイレ」があります。これは在宅健康チェックシステムで、用を足すたびに尿糖値、血圧、体重、BMI値(体格指数=肥満度)を測定できるトイレです。女性なら尿温度の測定でホルモンバランスがわかり、排卵日まで予測できる。当社のほとんどの住宅には標準仕様で入っていて、大いに好評を博しています。
通信は、いまから本格的な通信事業に進出するわけにはいかないでしょうが、こうした健康情報を医療機関にリンクさせるなどの形で進化させていきたい。
農業、つまり食の問題は喫緊の課題です。いま日本の食料自給率は40%。人口は2046年に1億人を切り、55年には9000万人を割るといわれている。そのとき15歳から64歳までの生産年齢人口は51%、総人口の半分しかない。一方、世界の人口は現在68億人。50年には91億人になるといわれています。日本が相変わらず60%の食料を輸入に頼ろうとしても、売ってもらえない可能性は大きい。あわてて自給自足を唱えても高齢化した日本国民が昔ながらの農作業をやれるわけもない。求められる道は“農業の工業化”です。農薬をいまよりもっと使うと、その害も出てくる。だからわれわれは有機栽培の工業化を進めています。
――未来事業の種は樋口さんの手で着実に蒔(ま)かれているんですね。
樋口 やみくもにあれやれ、これやれと言っているわけではありません。先の先を読んで、世の中に必要とされると確信を持っていることを事業化していけば、ほとんど間違いはないと思います。企業はいま盛んでも50年後に残るのは40%、100年後に残るのは3%を切るともいわれる。大きく、強く、賢いから生き残れるのではない。変化し続けたものだけが生き残れるのです。

=ききて/鈴木正紀=